一人ぼっちの花嫁

宵埜白猫

あなたがくれた、最後の手紙

 先週彼女と見に行った有名な悲劇のようだった。私の前に、冷たくなった最愛の人が横たわっている。二人で暮らす家の、いつも寝ているベッドの上だった。枕元に薬とその小瓶が転がっているんだから、これが演劇の最中だと言われても驚かない。むしろそうであって欲しいとさえ思う。

 あの物語のおかげというかせいというか、とにかく私は馬鹿になりきれなかった。

 何度も何度も彼女の元へ行こうとナイフを手に取るが、そのたびにあの有名なラストシーンが頭を過る。

 もしここで私が死んでしまったなら、あんな悲劇が生まれてしまうのではないだろうか。逆に、もし私がここで彼女を待っていれば、案外いつものように緩慢な動きで起き出して甘い声で私の心を揺らすかもしれない。

 毎朝耳元で聞いていた「おはよ~」なんて気の抜けた声が頭の中に響く。

 ありえない夢物語。そんなことは分かっていても、私はそんな夢物語を期待してしまうくらいに彼女に心を奪われていたらしい。

 もうこれが何度目か、私はナイフをサイドテーブルに置く。

 その時、ナイフを持つ指の背が何かに触れる。固い感触。見ると、そこには一通の白い封筒があった。


桔梗ききょうちゃんへ』


 懐かしさすら感じる丸文字。それだけが、白い封筒の真ん中に書かれている。

 私は数舜迷ってから、震える手をその手紙に伸ばした。

 手に取って、ひっくり返してみる。やっぱりそこには何もなくて、私は恐る恐る封を切る。

 正直言って、中にある手紙を読むのが私は怖い。いつも、たまにうるさいくらいに愛を叫ぶ彼女に、私は一度もそれを返してあげられなかったから。

 目の前で彼女が眠っているのは私のせいなんじゃないかと思ってしまう。私はそれを確かめるのが、怖かった。

 なんだかいたたまれなくて、手紙から顔をそらす。なんでそっちを見てしまったのか、眠る彼女の顔が目に入った。

 ずっと見ていたはずなのに、やっと彼女の表情に気付く。そこに浮かんでいるのは苦しみでも怒りでもない。まるでいつも私の隣で眠るときのような、穏やかな顔だった。

 それを見て、私はゆっくりと手紙を取りだす。自分の性格の悪さに辟易としながら、封筒の中に綺麗に収まっていたそれに目を通した。


『やぁ桔梗ちゃん、愛してるよ~! 君がこの手紙を読んでいるという事は、僕はもう死んでいるのでしょう。なあんて、お決まりのセリフで始めてみる。』


 それは彼女の声が聞こえてきそうなほどに、独特な口語体で書かれた手紙だった。

 あまりにいつも通り過ぎて、こんな状況なのに思わず笑ってしまう。


『今、桔梗ちゃん笑ったでしょ。僕ねぇ、その笑顔が好きなんだ~。だからちゃんと笑っててね。』


 変なところで察しの良いのは、手紙でも変わらないらしい。


『あとね、僕が死んだのは桔梗ちゃんのせいじゃないし、もちろん生き返りもしないから、ちゃんとご飯食べて寝るんだぞ。まぁすぐには無理かもだけどさ。』


 一緒に寝てるあなたが死んだベッドで、寝れるわけないじゃない。

 今になってやっと、目に涙が浮かぶ。


『桔梗ちゃんには黙ってたんだけどね~、僕病気でさ、いつ死んでもおかしくなかったの。それ隠すためにこそこそ痛み止め飲んだりして大変だったんだぞ。なんてね。おかげで最後まで、いつも通りの君が見れたよ。大好きな君の、控えめな笑顔』


 突然の言葉に、理解が追いつかない。大体、一緒に住んでてそれを隠すのはどれだけ苦労しただろう。

 いっそ言ってくれれば……って、もし彼女にそんなこと言われたら、確かに笑えてなかったかもしれない。


『結果的に君を困らせちゃってることは、すごく心苦しんだよ? でもね~、こんな短い人生だったけど、僕は君と同じ家に住んで、一緒にお風呂入ったりご飯食べたり、寝るのも一緒だったね。それがさ、すっごく幸せだったんだ。まるでお嫁さんにでもなった気分だったよ。君が僕の事をどう思ってたのか、ちゃんと聞けなかったのは残念だけど、僕は君の事を愛してる。』


 ああ、なんで今まで言ってあげられなかったんだろう。たった五文字で、それだけで、彼女を一人にせずに済んだのに。


『と、こんなことだけ言って締めると重い女みたいになっちゃうからさ。桔梗ちゃん。今だけ、僕のために泣いて。君がもうこれ以上泣けないってなったら、僕の事はいったん忘れて君の人生を生きて。僕の事は、ほんとにたま~に、暇になったら思い出してくれるくらいでいいからさ。私に会うために自分から死ぬのだけはやめてくれよ? じゃ、良い人生を。』


 かすみより。と最後に小さく書かれたその手紙を読み終わって、私はもう、涙を堪えられなかった。

 落ちる涙で手紙が濡れてしまわないように、私は手紙をそっと置いた。

 彼女に言われた通り、思いっきり泣いてやる。頬を熱い雫が伝う度、ここで彼女と過ごした記憶がよぎる。

 ……どれくらいの時間が経ったのか、ようやく最後の一滴ひとしずくが手の甲に落ちた。


「……愛してる。私も、あなたを愛してる! ……かすみ、あなたを忘れるなんて、きっと無理よ」


 だって、あなたはこんなに私の中に居るんだもの。後悔は絶えないし、早くあなたに会いたいけど。あんまり早く行くとあなたに嫌われちゃうものね。

 次に会った時は、あなたが引くくらいに伝えてあげる。


 あなたのことが大好きよ、って。

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一人ぼっちの花嫁 宵埜白猫 @shironeko98

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