Sigh《サイ》

 アゥトブは、体内に青い魔素を持たない。現在の多くの人々と同様に。


(だから、頼ってくれたんだよね……がんばらなきゃ!)


 サイは鼻息荒くアゥトブに並んで屈んでみたものの、嬉しさと緊張で体が強張った。両拳を顔の横で掲げたまま固まってしまう。なにしろ経験のないことで、取っ掛かりに迷うのだ。

 いつもするように、魔素が自然と動く行動を思い浮かべようとする。武器を手にした感触と、獲物を仕留める際に集中する感覚。それだけだというのに、視覚情報と合致しないせいか上手くいかない。通常、獲物と得物は離れているはずである。それが同じ位置にあるのだから、魔素のやり場に困ってしまう。

 アゥトブが涼し気だったことから、どうにかなると思ったのだが、考えるほどに離れ業に思えてきて混乱してしまった。


(うぅ……ど、どうしよう)


 両手のひらを開いたり閉じたりしながら、あわあわしていると、溜息が聞こえた。

 びくっとして横目に見れば、アゥトブは呆れているでも、落胆している風でもない。アゥトブは不格好な草花を指し、サイが注視したのを見て、おもむろに口を開いた。


「この、はみ出草だが」

「え、はみでそう?」

「便宜上、そう呼んでいる」

「あ、草の名前かぁ……。う、うん、分かった。その……これが、なに?」

「まずは手で触れるだけでいい」


 サイは真剣な表情で草を見下ろし、両手で膨らんだ茎を包み込むように添えた。


「意図を話してなかったな。こういった植物の、部分的な異常発達は、邪質の魔素の流れが変わったせいらしい」


 そうしてアゥトブが言うには、邪質の魔素――赤い魔素が増大したことによる変質。そして、それらに聖質の魔素――青い魔素が引き起こした事象はない、というものだった。

 そして、邪質の魔素がひどく流動的なせいで起きた変質ならば、聖質の魔素の停滞する質を当てれば、別の反応があるのではないかという。


「検証の一つに過ぎない。もともと検証は無駄なものだ。だから、力まなくていい」


 サイが失敗しようが成功しようが構わないと、気を遣って言ってくれたのだろうことは窺えた。それが逆に、サイに居たたまれない気持ちを呼び起こした。

 アゥトブが聖質の魔素を持つなら、とうに確かめ終えているだろう。

 思えば、これほど一つの事に熱中しているアゥトブだが、他人を巻きこもうとしたことはない。ずっと遠慮してきたからこそ、ようやく誰かを頼る気になってくれた。それが、弱気からというよりは、今朝のサイに対する罪悪感から出たことだと思えば皮肉ではある。

 要は、ここまでの何かがなければサイを頼る気になどならない、それだけ頼りがいのない人物だと思われたまま、ここまで来てしまったということである。


 サイは小さく頭を振ると、アゥトブに関する雑念を懸命にはらう。

 理解出来る出来ないの問題ではなく、これまではサイ側に、内容について真面目に訊く気がなかったことを自覚してしまったのだ。

 これまでもアゥトブの少ない言葉や仕草などから、どうにか意図を汲み取ってきたつもりではある。しかし、出来るだけ機嫌を損ねないように、心証を悪くしないようにというものだった。

 アゥトブのためと言いつつ、彼が興味を持つことへの理解を初めから諦めていたようなものだ。これでは、サイの方から突き放したと思われていたとしてもおかしくはない。

 今だけは、目の前のことに集中しなければならない。


(……やってみよう。これが仕事だって思って)


 目を細めると、普段は、あまり意識することのない感覚を研ぎ澄ませた。

 狩りをする時などに血の巡りを意識して赤い魔素を収束させるのとは違う。逆に、それらを意識から外すようにして、手のひらに青い魔素のみを集めていく。赤い魔素のように活発な動きは見せないものの、静かながら、確かな存在感を放つ。

 不思議な感覚だった。赤い魔素と似たものがありながら、動くというよりは、浮かび上がってくるようである。どちらも同じ魔素だから同様に感知できるはずなのだが、あまりにも違う。

 どこか硬質で、ここまでしっかりした感触があるというのに、気が付き辛いというのもおかしなものだ。普段もそのようなものではあるが、赤い魔素の流動性に紛れてしまい、感じ取りにくいのだろうと思えた。


「これは、そうか……」


 あまりのことに呆然としていたサイは、アゥトブの呟きに我に返る。

 見ればアゥトブは息を呑み、目を見開いていた。


「あ、もしかして、できてる?」


 ほんの薄っすらとではあるが、今にも霞んで消えそうな青色が、手のひらから茎に反射している。

 喜びよりも安堵が勝り、自分でも落ち着いて観察する余裕ができた。

 しかし、青が触れた部位辺りの魔素の流れは不規則で、サイは不快さに手を離してしまった。


「あ、ごめん。変な流れで、気持ち悪くて……」

「いや、十分だ」


 アゥトブも眉間に皺を寄せて、先ほどの部位を見つめている。直接触れずとも、異様さは把握できたのだろう。

 その絶句した様子も何を思ってなのか、サイには推し量ることさえできない。

 今しがたの青を思い浮かべながら、手のひらを見下ろす。自分の体のことも、良く分かっていなかった。


(それに、私は……アゥトブのこと、何も知らないんだ)


 これまで、自分は自分、アゥトブはアゥトブ。違う人間と認め、気遣いながら暮らしていければ良いではないか――そう思っていた。


(分からないよ)


 どこまで関わろうとすれば、厚かましいのか。距離をおくだけが、気遣いなのか。

 はたして、それは自分らしさと言えるのか。

 我を通したいなんて考えるのは、結局、自分本位ではないのか――混乱してサイは、ぎゅっと目を閉じる。


 いずれにせよ、今朝の婚約の儀を終えられなかったことで、二人の関係は一度解消されたも同然。サイの希望とは別にして、少なくとも周囲はそう考えて行動する。

 ただ真っ直ぐに、盲目に、アゥトブを好きだと言えた自分には戻れないのだと、頭の片隅に追いやっていた事実を静かに受け止めていた。




 帰り際も、二人の間に言葉はなかった。

 けれどもサイの胸中は、奇妙な満足感で穏やかった。

 ちらと盗み見たアゥトブの横顔からは、どう思っているのかなど、いつもながら何一つ掴めはしない。

 眉間に皺を寄せていないからには、先ほどのことで特にサイへの不満はなかったということだ。その理由というのも、何かに気を取られた様子から、先ほどの現象について考えているに違いないためだ。

 アゥトブの中で、サイの存在は小さなものなのだろう。

 それでも、こうして穏やかな空気が流れる時間は初めてで、ようやく側に居ることを許された気がした。

 許嫁の儀の失敗と、父親の顔が浮かぶ。

 決して喜ばれはしないだろうが、このままの距離感でも良いから、何事もなかったように暮らしていけないかと願ってしまう。


 とうとう、木々が途切れた向こうに家が見えてくる。思わず俯いてしまうが、微かに風が揺れアゥトブが振り返ったのが分かった。

 サイも惜しむように頭を上げる。

 これまた珍しいことに、アゥトブが真っ直ぐ見ていた。


「けじめは付ける」


 それだけ残して走り去る背を、サイは呆然と見つめる。


「え。ちょ、それ、どういう意味ですかー?」


 遅れて出た疑問は、空しく葉擦れの音に掻き消えた。

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