恋《れん》

 アゥトブは、覚悟を決めたというように一つ息を吐く。

 そして、父親と相対した。


「村を出る」

「狩りに参加も出来ない奴が、森で生きていけると思っているのか」


 即座に返ったのは、あしらうような言葉だった。まるで真剣に受け止めていない。当然の事ではある。

 一夜の宿にと他の村を頼るにも、信頼を得ねばならない。

 その信頼は、森葉族にとって一人前の戦士足るかということが判断の基準であるのは、どこも変わりがないのだ。

 大森林内での決まりではあるものの、偶に訪れる旅人らから聞いた話では、他の種族も、そう違いは感じられなかった。力があることを誇りに思い、だからこそ、こうして選ばれた者が長い旅路を踏破し、他国との交渉までもっていけるのだと語っていた。


 それだけ、見知らぬ地に向かうというのは困難を伴うのだろう。しかもアゥトブは単独で活動するつもりでいるのだから、なおさらだ。


 村の大人の目が届く場所の外へと出て行くということは、本当の意味で自力が試される。信念を通すと言えば聞こえは良いが、あえて自ら危険を冒そうという愚か者である。

 アゥトブとて、自分一人で生まれ育ったわけではないことを頭では理解していた。だからこそ、これまで育んでくれた地、家、家族へと、己の力量を証明しなければならなかった。

 現状、アゥトブに対する皆の認識は『変人』である。実際には、その変わり者という呼び名に『落ちこぼれ』という意味が含まれていることも理解していた。

 せめて、その意味くらいは払拭すべきだと考えたのだ。


 かくして、アゥトブは翌日から真面目に、大人が子供を率いる狩りに参加した。手始めに、取り損ねていた資格を得るためだ。


 そして大人達に認められるや彼らの目の前で、一人で狩りをも成し遂げた。父親との約束通りに。

 もともと一人での立ち回りには慣れていたし、情報もあったとはいえ、そこそこ大物の丸鹿だ。大人達から見ても、文句のつけようがない獲物だった。


 証拠として見せる決まりのため村長宅前広場へとアゥトブが獲物を置くと、集っていた人々は湧いた。

 皆も、彼を変わり者だと考え諦めていたといえど、やはり仲間内から外れ者を出したくない気持ちはあった。

 戦士予備軍である同世代の少年らも、素直に祝福の歓声を上げる。


 アゥトブは笑みを浮かべることなく、そんな彼らの姿を深刻な顔付きで眺めた。

 目に焼き付けるように。



 ♧♧♧



 祝い事となれば瞬く間に出来事は伝えられる。

 広場に居合わせた友達から、すぐにサイの元へも報せは届けられた。

 日が傾きかければ、一仕事終えて皆は家に戻る。ちょうど自宅に戻ったところに伝えられ、サイはすぐさま広場へと駆け出した。

 サイの瞳は輝き、興奮に頬を紅潮させて、誰にともなくまくしたてる。


「あのアゥトブが!? いや、やってくれると思ってた! アゥトブが実力を隠してるなんて知ってたし?」


 サイは、皆のアゥトブに対する評価がいまいちなことは理解できなかったが、これで実力は確かだと示された。

 サイが我がことのように喜んだのは、それが婚姻を許してもらえる一番の理由だからという下心も満載だった。


「うぇへへ……」


 たとえ、アゥトブの自分に対する心証がいまいちであっても、こうなればサイを選ばざるを得ないだろうと目が眩んでいく。

 サイは、アゥトブに喜んでもらおうと頑張ってきたつもりだ。まったく興味がなかったアゥトブの観察対象を、自分なりに調べることを日課にしてもいた。

 それに、一度だけとはいえ、同行を許された一時を思い浮かべる。何度も思い返したその記憶の中で、アゥトブの反応からも、自分が大きく失敗したようには思えなかった。


 これからも少しずつ時間をかけて、二人にとっての当たり前な日常を作り上げていける。


 そう、確かな手応えを感じていたサイの顔を、数日ぶりに満面の笑顔が彩った。

 アゥトブとの将来が確実になったのだと、明るい未来で頭は埋め尽くされていった。



 ♣♣♣♣♣♣



 当の話題の中心人物であるアゥトブは、すでに自宅に戻っていた。

 通り道は一つではないし、アゥトブは村長から認定の言葉を引き出すと即座に踵を返していたのだ。母親は広場で、皆の祝いの言葉を受けているだろう。

 結果は見えていたため、広場に着く前に一足先に自宅へと戻っていた父親は、アゥトブを待ち構えるように立っていた。

 アゥトブは短い言葉で父親へと要求を迫る。


「約束だ」


 覚悟を確かめるとでもいうように細められた目で慎重に眺めた、わずかな沈黙の後、父親は頷く。


「……もう、何も言わん」

「ありがとう」


 もう日が傾き始めていたが、すでに荷物をまとめていたアゥトブは、父親の返事を聞くや家を出た。

 元から集落の端にある家で人通りはないが、騒がれないようにと、この時間を選んだことでもあった。どのみち、大森林のほとんどは日中でも薄暗い。特に森の中では、魔素の流れで周囲を見ることの多い森葉族にとって、暗い森を移動することなど大した苦労はない。

 そうして森へと差し掛かったときだった。


「あっ、アゥトブー!」


 アゥトブは、溜息を吐きながらも振り返った。

 両腕を上げて、頭の上で大きく手を振りながらサイが駆けてくる。

 赤みを帯びた木漏れ日が、走って跳ねるサイの明るい金の髪を焚き火のように揺らめかせる。

 彼女が息を切らしているのは、一度広場へ向かったものの、帰ったと知らされて慌てて戻ったためだろうと理解した。


 それだけアゥトブも長い間、否応なくではあれど、サイのことを見てきたということだった。



 ♧♧♧



 サイは、アゥトブの前でつんのめるように足を止めると肩で息を吐く。

 すぐに勢いよく頭を上げて、顔をほころばせた。


「ふぃぅ……おめでとう! これで一人前だね! もう、誰にも文句は言わせないから!」


 言いながら、興奮のあまり思わずアゥトブに抱き着こうとしてしまったサイだったが、一歩引かれて空振りする。

 うっかりとはいえ、ついつい出てしまった行動に、内心ではしまったと思いつつ、アゥトブに向かい合い直した。いつものことだと気を取り直して咳払いし、落ち着いてお祝いの言葉を告げようとしたところで、違和感に気付いた。


 アゥトブの、いつもと違う装い。

 狩りから戻ったばかりというのに、まるで、再び出かけるような恰好だ。


「えっ、と。出かけるの?」


 珍しく、何かを言いかけたままアゥトブは視線を逸らし、次には、しっかりサイへと顔を向け直した。


「出て行く。今まで、世話になった」


 サイが軽く尋ねたことへの返答にしては、アゥトブから漂う深刻な雰囲気や真剣な表情と内容が合っていないように思えた。

 噛み合わないのは、いつものことではあったが、瞬く間にサイの中で不安が膨れ上がる。

 それで話は終わったとばかりに背を向けようとしたアゥトブへ、サイは必死に声をかけていた。


「え、また狩り? 戻ったばかりなのに」


 サイは不安から、いつものように話しかけていたが、その声は上擦っている。


「もう戻らない」

「で、でもでも、認められたって……」


 サイは、ぎゅっと自分の服を掴んで、どうにか声を振り絞る。

 その震える声を聴いて思い直したように、アゥトブは顔を向け直した。


「……これで、サイが望んだ相手は、ただの落ちこぼれではなかったと記録に残る」


 言い終わるや、顔を背けてアゥトブは歩きはじめる。

 その背に、記憶のアゥトブの声が重なった。


『けじめは付ける』


 アゥトブが、大人達を認めさせた理由――。


「じゃ、じゃあ、これからなにするの!?」


 やぶれかぶれに出たサイの声に、アゥトブは足を止めた。考えるように、梢を見上げる。


「そうだな……冒険家でもやっていく」


 そう、振り向きもせずアゥトブは言い、片手を上げて簡単に別れを示した。

 あまりのことにサイは、ぽかんと口を開けたまま森の暗がりに消えていく背を、目を皿にして見続けた。

 多くの言葉が胸には過っていたが、まるで喉に丸太でも詰まったかのように、どれ一つ口に出せなかった。

 予想の一つではあったが、こうも突然に突きつけられるとは考えてはいなかったのだ。

 だが伊達に長年、アゥトブを追いかけて来たわけではない。

 アゥトブの行動が、何を意味するのか理解できてしまっていた。

 あまりの衝撃で、時が止まったようだった。

 そして視界から、アゥトブの痕跡は一切消えた。

 そのまま視界の木々すら、ぼやけて消えていくようだった。


「ひ、ひぅぅ……!」


 いつの間にか息を止めていたらしく、窒息しそうになって口を開いた途端に、膝が激しく震え崩れ落ちる。

 地面についた震える手に、大粒の雫が弾けた。




「う、う……うわああああああああああああああああああん!!!」




 こうしてサイは、完膚なきまでに失恋した事実を受け止めざるを得なかった。



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