聖なる導き

 ふいに足を止めたアゥトブを、サイは見上げた。

 思わぬ近さで視線が合い、顔が熱くなったサイは、慌てて前へと目を向けなおす。

 こんなことは初めてに思えた。アゥトブの態度がどうあれ、いつだってサイは真っ直ぐにアゥトブを見つめ続けてきたはずだった。


 そんな様子を気に掛けるでなく、アゥトブは木の側に片膝をつくと視線を落とす。その足元には、茎が異様に膨らんだ天辺に指先ほどの赤い花冠かかんを載せた、不格好な草花があった。


「これだ」


 木の根の狭間に、ひっそりと生えた草花。見覚えのあるそれは、日常的に森を歩くサイとて滅多に目にすることはない。日の当たる場所の多い集落内や、その周辺では見ることのないものだ。サイは、何かが引っかかり首を傾げる。

 地を這うような雑草だ。花飾りにするにも小粒過ぎて摘むこともなく、たまに見かけても意識に留めることなく通り過ぎるようなもので、よく思い出せるわけではない。だが、他でもない「飾りには使えない」という記憶と、奇妙にも合致するのだ。


 振り返って見上げたアゥトブは、このサイの反応には、しっかりと頷いてみせた。


「異様さが、伝わったようだな」


 大森林の外からも人の行き来がある昨今、東の熱い地には、このように水を蓄えた植物もあるらしい――と、アゥトブは続ける。

 珍しくもアゥトブが饒舌な姿に、サイは目を見開き、ぽかんと口を開いたまま見つめる。ただ森を徘徊するだけでなく、いつの間にそのような知識に触れる機会があったのかと、様々な驚きからだった。


 季節が巡る度に一度か二度、大荷物を背負った他の種族が、交流と商いのために立ち寄ることがある。彼らが向かうのは、大森林内南部に点在する集落の中でも、一番の人口と開けた土地を誇る「首都オレスト」と呼ばれる区域だ。サイらの集落は森の南側でも西寄りで、そちら側の果てから「岩腕がんわん族」と呼ばれる、手足が岩に覆われたような肌を持つ人種の国の人々らが主な来訪者だ。位置的にも休憩にちょうど良いのだろう、必ずといってよいほど彼らは水などを求めて足を止める。サイも含めた少女らは、物珍しさで木陰から遠目に眺めることはあれど、近付くことはなかった。耳が葉状でないことや重そうな手足など、何を頼りに動けるのかと思うほどの違いがあるのだ。大森林の外縁には「首羽くびはね族」と呼ばれる種族もいるのだが、彼らの場合、首から生える小さな翼が、葉状の耳の役割を果たしているのだろうと納得もできた。

 どちらにしろ、サイの生活からは遠く、すぐに忘れてしまう存在ということだ。


 ようは、長くとも一晩でも泊まれば良いといった人々と、アゥトブは交流していたとしか考えられなかった。サイは良くも悪くも自分とアゥトブ、そして、二人で暮らす集落内、手の届く範囲の世界にしか関心がなかった。


(……そういえば、ここも、ディプフ王国だとか名乗ってるんだっけ)


 長老など偉い大人たちが、他の種族との取引の為、相手の流儀に合わせる形で勝手に言い出したことという認識だった。そもそも、「森葉族」などといった呼称が必要となったのも、身体の形が異なる種族と接する機会が増えたためだ。そうでなければ、ただの人間で済んだ話だ。しかし、外の人間が同種族として、ひとまとめに見ようとも、大森林に暮らす者は多い。北側の人間になどは、会うどころか噂に上ることもなかった。見も知らぬ人々など、サイにとっては赤の他人に過ぎない。


 もちろん、経緯を長老らに聞かされ納得はしていた。大森林の南の果ては大きな黒い山が世界を区切っており、祖父母の時代には、その周辺の土地を巡る他種族との争いがあったという。それから現在も、外の脅威から森を守るために、同種族で手を組む必要があるとのことだ。

 さらには、自然の驚異も存在する。こちらの方がサイや普通に暮らす者にとって、不安としては、より身近なものだ。数十年おきに、激しく大地が鳴動する。その度に、人は危機を迎えているらしい。周期の狭間に生まれ育ったサイの世代に、馴染みのない話ではあるが、小さな頃には不気味な地響きが続いていたらしいという話を聞いてはいた。


 とはいえ、不条理な感覚が拭えるわけではなかったが、今では、そんな感覚も頭の隅に追いやって過ごしている。


「話は逸れたが……ともかく、これは、そういった外の種ではないということだ。サイの違和感も、見知ったものだからだろう? これが、俺が調べている、森の変異に関する証の一部だ」


 そこまで言われてサイは、我に返った。言われた通りだからだ。

 戸惑いつつもサイが頷くと、アゥトブは片手を異様な草花に翳した。

 何をしているのかは、すぐに理解できた。サイの耳が、ぴくりと反応する。


「魔素の流れ……」


 通常、自然に体が感じ取っている感覚。それを、あえてアゥトブは一部へと集中している。時に獲物を狙う際に行うようなことだが、それも視覚と意識の向く先へ無意識のうちに連動しているものだ。

 アゥトブにとっては、まさに己の獲物と定めた対象ではあるだろうが、わざわざ狙う必要のない相手である。

 溢れる疑問を漏らさぬよう、息を詰めて眺めていれば、さらに様子は変化した。手元に集中していた魔素の流れが、草花へと同化したように。

 それは獲物を仕留めるべく集中した際に、武器と一体化したような感覚と重なった。


 アゥトブにとって、獲物であり、武器でもあるということなのだろうか。だからといって、動かせないのだから何かが起こる訳ではない。意図を図りかねていると、突然に流れは途切れ、花から手を離したアゥトブは振り返る。あれほど集中していたにも関わらず、汗一つなく涼し気な顔で言った。


「試してくれないか。聖質の魔素で」


 サイは慌てた。

 一朝一夕で身に着けたわけではないだろう、こなれた動作だ。今すぐできるとは思えなかったのだ。

 その上、アゥトブの要望は、聖質の魔素。さらに高度なものだ。


 基本的に生物の持つ魔素は、赤いものだ。しかし、わずかながら青い魔素を持つものもある。岩腕族の国から、赤を邪質の魔素、青を聖質の魔素という呼び方が伝わった。遠い昔には、どちらも同じほど持っていたと言われているが、それらは年々減り続けているという。今では持たないものの方が多い。さらには、赤い魔素が動的であり肉体の隅々まで様々な働きをするのに反し、青い魔素は静的な特性であるためだろう。使いどころがないため、サイ自身も特別意識することなどなく、混然とした感覚しかない。そもそも分けて意識するといった考えがなかったのだ。


 しかし、珍しくも顔を逸らすことなく待つアゥトブの表情が、ほんの微かながら曇るのを見た。恐らく、これは、アゥトブなりの対話なのだと思った。しかも、初と言えるかもしれず、最後の機会とも思えた。


 サイは拳を固めて気合いを入れ直すと、勢いよくアゥトブに並んで屈みこんだ。


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