帰る場所
サイは、ひたすら森を奔る。
見慣れた姿がないかと木立に視線を彷徨わせるが、けれど、ただ記憶の姿を呼び起こしては景色に重ね合わせる。
サイの髪よりも暗い金の髪、なんでも知ってそうな切れ長の目から覗く、緑柱石のような瞳。
その目が、サイを映していたことなどあっただろうか。
それでもサイは構わなかった。
自分が夢中になっていて、追いかけたいだけだったから。
しかし、婚約の儀だけは別だった。
少なくとも、双方の同意が必要だ。
そして、それは叶わず、次回にといった期待も今のままではない。
無心に走り続けたのは、何もアゥトブを探してだけのことではなかった。
走るほどに心や体に絡みつくような嫌な感覚を、振り解けるのではないかと思ったのだ。
アゥトブの父親は、誰もがこれは親子だと思うだろう、ふてぶてしい顔つきの男だ。他と比べれば落ち着いているし、少し頭の固いところも似ていた。
サイへの心証のほどは分からないが、他にアゥトブの許嫁のなりてはいないだろうと現実を受け止め、それでサイを認めてくれていたようだった。
サイの父親は、いつも能天気に笑っており、特にサイの前では顕著だった。だから自分には甘いのだと思っていた。サイが本気で望むことなら、なんでも聞いてくれるのではないかと思っていた。
ちなみに母親は、さっぱりした人間で、やるべきことさえやれば後は成り行き任せでいこうといった方針のようだった。
だからこそ、珍しくも暢気な父親が強く言う事なら、一歩引いて賛同する。
(少しくらい、待ってくれたって、いいのに……)
懸命に走れど、悔しい気持ちは振りきれずに湧いてくる。
わがままなのだろうと自分でも思ったからこそ、言い返すこともできなかったというのに。
そんな自分が歯痒く、目尻に滲む雫を乱暴に拭うと気合いを入れ直す。
「うっしゃあ!」
自らを奮い立たせるために声を上げると、地を蹴る足に力を込めた。
アゥトブのお気に入りの場所は知っている。
だけど頭を冷やすべく、サイは集落の周囲を回るように走っていた。
遠回りをやめてアゥトブの隠れ家と呼んでいる場所へ近づくと、ようやく走るのを止めた。
息を切らしながらも、周囲を見渡しながら歩く。
そこは木々が密集して、塀を作っているような場所だ。この大森林内には、こういった場所が幾つか連なっている。おかげで各集落も縄張りを決めやすい。
その自然の塀は真っ直ぐではなく曲がりくねっており、時には一部が捻じれすぎて渦巻き、塀からはみ出るようにして巨木のように生えて見えるところもあった。
その内側に、絡まった幹の間にできた隙間から入り込むことができる。その内側の樹上にある洞が、アゥトブは好きらしい。
サイは足を止めて見上げたが、それ以上に近寄りはしなかった。
自分だけのお気に入りの隠れ家なのだ。
本当に誰にも知られてないことはないし、初めて森をうろつくのを許された子供らは、見つけた時に好奇心で入り込む。かつてはサイも、探検したことがあった。
あちこち探検する内に、どこにでもある景色の一つとなり、好奇心の湧く場所ではなくなっていくため近寄る者も減る。
サイは、アゥトブが考えごとをするのにうってつけなのだと話していたことを覚えていた。
一人になりたいのだと、アゥトブから念を押されたときだ。
だからサイは、二人だけの約束と思って守っている。
アゥトブとて常にここにいるわけではない。
だけどサイは、そこで糸が切れた人形のように、立ち尽くした。
あてどない気持ちだった。
これまで、両親の待つ家に帰ることを、当たり前に受け止めていた。自分が戻れる場所であると疑ったことなどなかった。
(なんで私、途方に暮れてんだろうね)
大事に育ててもらったのだろうと思うし、不義理なのは自分であると理解もしていた。
しれっと帰っても追い出されることはないどころか、当たり前に「お帰り」と受け入れられるだろうことは頭では分かっている。
それでも、その先の未来には、アゥトブと二人で帰る家があると思っていたサイにとって、父親にアゥトブを否定されたことは、現在の居場所をも失ったように重く響いたのだ。
歩く道は自分で選ぶのだというような、アゥトブの行動。
全て両親が示してくれた、集落の掟通りに生きてきたサイには、根本的に理解できないのだとつくづく思うのだ。
まるでこの塀のこちらとあちらのように、分けられている。
自分のようなちっぽけな存在には、決して手の届かない相手なのかもしれない――落ち込みまくりのサイは、項垂れながら踵を返す。
未練がましく周辺を見回しながら、足を引きずるように戻っていると、アゥトブが森の中から姿を現した。
ここにいなければ、他のお気に入りの場所は少し離れているため、サイはほっとした。
アゥトブもこちらに気付いたのを見て、声をかけつつ手を振る。
「アゥトブ」
アゥトブは、サイを見ると不快気に口を曲げた。
最近では、あまり見られなくなっていた顔だ。
恐らく、また面倒事を持ってきたとでも思ったのだろう。
それでもサイは変わらず、アゥトブと会う喜びを笑顔で伝える。けれど今回は、さすがに自分で思う以上に堪えていたようだ。
声をかけたが、それ以上の言葉は何も浮かばなかった。
ふと、寂しさが過ったのだ。
さらに笑顔で誤魔化そうとしたが、笑い切れたとはいえない顔になったのが自分でも分かった。
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