暗雲

 サイにとって、楽し気な長老前広場の宴は自分のものではなくなった。

 逃げ出すように背を向けたサイだったが、走る内に徐々に頭に上っていた血も引いていき速度を落とす。


「……今回は、ってだけだし」


 アゥトブが姿を現さなかったのは、参加資格がなかったから。

 だから今回は、うまくいかなかった。

 けれど、サイたち世代の子供たちにも上下に兄弟がいる。

 また再来年あたりに何組かが揃うため、その時に改めてということになるだろう。

 必ずしも全員が婚約の儀に参加するわけではない。

 相手の数が揃ってなければどうしようもないし、怪我や病気などで止むを得ずといった場合もある。


 少なくともアゥトブは、どうしてもサイが嫌だから拒んだのではない。

 あえて狩りに参加せず資格を得られなかったことが、遠回しな断りの可能性もあったが、そこは違うような気がした。

 はっきりと嫌なことを口や態度に表すアゥトブだ。

 だけど、そこだけは伝えられていなかったのだ。


 それが、アゥトブがここで生きることを考えてないためではないか、という不安は飲み込んだ。

 なんにしろ、確かめなければならないだろう。


 アゥトブを探して、いつものように過ごそう――そう考えて、サイは気持ちを切り替えると、努めて明るくいようと笑顔で顔を上げた。

 だが家の手前で、笑顔は固まる。


「うわっ」


 ぎょろぎょろと頭を振りながら、忙しなくうろつく不審な男がいたのだ。

 男は振り向くや叫ぶ。


「サイぃい! 戻ったかあぁあ!」

「お父さん、なにしてるの。ちょっ、とびつくな!」

「ウゴォッ!?」


 両腕を振り上げて、すっ飛んできた父親を、サイは咄嗟にしゃがんで足払いしてしまった。

 横っ飛びに転がって止まると、這いずるようにして頭を上げた父親は、くしゃりと顔を歪める。


「良かった。泣いてなかったか」

「お父さんが泣きそうじゃん。不気味だから立って」


 勢いよく飛び上がった父親は、情けないような気持ちを滲ませている。

 弓を番えて獲物を狙う寸前でさえ、能天気な笑みを貼り付けているような男だ。

 こんな様子は、滅多に見せない。


「あ、そういえば広場にいなかったね」

「出がけに、あいつ慌ててやってきてな。参加できないって話を聞かされたんだ」


 サイは待ちきれずに一足先に飛び出していたため、おじさんとはすれ違ってしまったようだ。

 サイはアゥトブのことで頭がいっぱいで、うっかり両親の存在すら忘れ去っていた。

 母親は炊き出しなどを振る舞うために、広場に残っているのだろう。

 ともかく、それで手分けしてサイを探してくれていたらしい。


「婚約、ごめんな」


 そう言った途端に、父親の表情が消える。

 嫌な予感がした。


「なんで謝るの。また次があるし」

「母さんにばかり任せてないで、もっと気を回しておくべきだった」

「やめてよ……」


 サイは常日頃からアゥトブ推しだったが、当然家の中でもそうだ。

 そして父親はサイの話を、聞いてるのか聞き流しているのかは分からないが、にこにこしながら耳を傾けていた。


 しかし、アゥトブとの婚約に関してだけは、あまり良い顔はしなかった。

 だが、アゥトブの父とは仲が良い。その息子であるアゥトブに不満はあれど、婚約反対と言い切ることはしなかった。

 なんせまだ子供だ。成長の余地はある。そう考えており、サイも伝えられていた。


「もちろん、あいつが戦士になるってなら構わん」

「もちろん。アゥトブはかっこいいから大丈夫!」


 格好良いことと、だから大丈夫の繋がりは不明だが、サイが自信満々で言い切れば大抵は父親が苦笑を漏らして話はおしまいだった。


 しかし今回ばかりは、口を出すことにしたようだ。

 父親にとって、この婚約の儀こそが容認出来る期限だったのだと、その態度は告げている。

 重大な宣告を下される。

 察知したサイは、先回りするように叫んだ。


「まだだ……まだ、終わっちゃいない。話、聞いてくるから!」


 再び身を翻そうとして、それを許さない言葉がサイの足を大地に縫い留める。


「隣に話を付けてくる」


 サイは息を呑み、ゆっくりと首を巡らせる。

 父親の言う隣とは、ここからやや北上した位置にある別の集落を指している。

 信じられないものを見るように、サイは目を見開く。

 父親は、先ほど見たアゥトブの父親が信念を聞かせた時にも劣らぬ厳しい顔つきだ。


「む、向こうだって、今頃になって話持って来られても、困るとおもう、よ?」

「仕方ねえ。もうここに歳の合う男は余っちゃいない」


 さっきは気を取り直すことができた。

 一日の元気をすべて注ぎ込むようにして、笑顔になれた。

 けれど、もう今日の分は在庫切れだ。


 無言で走り去るサイに、止める声はかけられなかった。

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