婚約破棄?

 恋を自覚した幼い日の失敗は、今もサイの胸を痛める。

 あれから成長して、幾ら突っ走り気味のサイでも、多くの勘違いや行き違いを理解していた。

 それも、あの直後に、もっと仲良くなろうとして悪化させてしまったせいではある。

 しばらくは顔を見た途端に逃げ出され、口を利いてくれることなどなくなり、何度も泣いたものだ。


 悩んだサイは、仕方なく距離を置いて、アゥトブ自身をよく見るようになった。


 サイが自分の騒がしさを押さえて、根気よく付き合うことで、ようやく関係は、ましになった。


 お隣同士というだけでなく、父親同士は狩り仲間で親友でもある。

 嫌でも家族付き合いがあるために、アゥトブもずっと不貞腐れているわけにはいかなかったことに助けられた形だ。

 成長と共にサイの態度も落ち着いたために、アゥトブも水に流すことにしてくれたようだった。


 それらに感謝したサイは、慢心することはやめた。

 相手と会話になるように話すことにも気を付ける内に、アゥトブも嫌な顔をせず当たり前に返事を返してくれるくらいには、関係は改善していた。

 もちろん、そこで図に乗らずに我慢を覚えた成果だろう。


 そうした生活はサイの精神的な成長を促した。

 自分の事だけではなく、相手自身のことだけでもなく、アゥトブが大切にしているものへも気を払うくらいはできるようになっていた。

 分からないものは分からないので、せめて軽んじることのないように気を付けよう、という程度ではあった。

 だが、そうして関わらないでいてくれることが一番、アゥトブとしてもありがたいことだったようだ。


 たとえば、そんな関係がましになったある日のことだ。

 サイが家を出たところで、森に出かけようとしていたアゥトブと出くわした。


「アゥトブ! また隠れ家?」


 サイの挨拶にアゥトブは振り向くが、もう嫌な顔はされない。

 無表情ながら、会釈で挨拶を返してくれる。


「そっか。気を付けてね」


 サイが無理に付いていこうとせず、それだけで済ますようになったためだ。

 珍しくアゥトブは、足を止めた。

 そうするとサイは、ついお喋りしそうになるのだが、ぐっとこらえる。


「大丈夫だって分かってるけど、一人のときは、なにかと困ることもあると思うし、心配になるし、それだけだから」


 引き留めるような言葉は避けて、サイは、はにかむように笑う。

 黙り込んだままのアゥトブは、じっとサイを見つめる。


「な、なに? なにか、まずかった……?」

「いや、本当に、少しは成長したんだなって」


 思いもよらぬ言葉だった。

 意味を理解したサイの頬が、赤く染まる。


(お、おぉ、なかなか、いい感じじゃない?)


 このままゆっくりと関係を育んでいければ、いつかは――そう希望を持っていた。


 だが時は、待ってはくれなかった。




 婚約の儀の日は来た。

 長老の家の前の広場に、関係者が揃っている。

 炊き出しも行われており、関係ない者にとっても祭りのように楽しみなものだ。


 話題の主役らである、少年少女が、長老の前に立ち並んでいる。

 そこに、ぽつんと一人で佇む少女。


「あれ? 私の許嫁が、いないんですけど?」


 泡を食っていたサイに、男が声をかけた。


「アゥトブは、今回は参加できん」


 アゥトブの父親だった。


「なんで!」

「資格がない」


(なぁんだ、そこまで私が嫌だとかじゃないんだ……じゃなくて)


 理解不能な理由に、サイは混乱した。


「資格がないって、そんなわけない! アゥトブは頭いいもん! おじさん、こんな時まで罰だとか言わないよね!?」

「ぅわあ、落ち着け。ほんとお前は、あいつのことになると見境ねぇな」

「当たり前だよ私の儀式でもあるんだよ!? 一人で婚約の儀とかしてたらやばい奴じゃない!」

「まぁまぁ」


 おじさんは、困ったように口を曲げて頭を掻いた。


「……悪いが、俺だけの判断じゃない。どうもあいつな。どの狩りにも参加しなかったらしいんだ」


 婚約の儀に参加するための資格を、アゥトブは得られなかった。


 なにも大変なものではない。

 大人の狩りに参加して、補助をする。狩りそのものが苦手だとしても、指示に応えて動くことなども含まれる。

 多少失敗しようが粗忽ものだろうが、そうそう目くじらを立てられることもない。


 なぜならを小さな集落にとって、協調性や、その基盤となる知識の共有が大切だからだ。

 個々の性格などとは別の話だ。

 その最低限の生きる術を身に着けさせてやるのが、大人の責任というものだった。



 だから、森葉族が普通に暮らしていれば嫌でも身につくようなもので、成人前の婚約の儀に間に合わない者などいない。


 それでも、参加しなかったということは、当人の心の内に問わねばならない。


 この集落に暮らすつもりがあるのか、どうか――。


 そこまで考えが及ぶと、サイは唇をかんだ。


 これまでの、アゥトブの様子を思い浮かべ、根本の原因は何かと考える。

 気がかりはあった。ありすぎた。


 今でこそ物静かで、時には苛立たし気な様子を見せたりと、神経質なアゥトブだが、そうではない時期もあった。

 皆と同じように笑い声をあげて騒いで、友達と暴れていたことを、今さらながらに思い出していた。

 それがいつからか、今のように一人で森をさまよい歩く変人になっていたのだ。


 残念ながら、サイがアゥトブの許嫁になると決める前の変化のため、あまり気にかけておらず記憶も薄い。

 けれど、サイがアゥトブを意識した日、サイも軽く受け流していたことだが、アゥトブが長老と話したということは噂で聞いて知っていた。

 よく思い返せば、あの後から今のように変わったようでもある。


 きっとアゥトブは、あの時には、諦めていたのだ。

 長老に話し合いの場を持ちかけるなど、よほどのことだ。

 アゥトブが気にかけていることの重大さなど、サイは知らなかった。

 そういった集落全体に関わるほど大変なことなら、大人がなんとかしてくれるものだし、子供が口出しするようなものではないと考えていたこともある。


 大人達に理解を得られなかったことで、逆に、アゥトブの方が、この地に見切りを付けようとしているのかもしれない。


 たまらなく、不安になった。


「……なんで怒ってばっかりで、ちゃんと話を聞いてくれなかったの」


 責めるようなサイの言葉に返ったのは、慰めでも歩み寄るものでもなかった。


「俺は、あいつの父親だが、この集落を守る戦士でもある」


 きっぱりと、厳しい声で、斬り捨てられた。


 ――おじさんたちのせいだよ!


 そんな文句は、言えなかった。

 それは自分にも刺さる。


(正しいことだって、私も思ったよね。アゥトブに寄り添いたいって、思い続けてたはずなのに)


 アゥトブの味方になりたかった。

 けれど、自分は平凡な森葉族なのだと痛感してしまった。


 サイは俯いたまま、震える手を握りしめると、背を向けて駆け出していた。

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