五の七

 縁側にだらしなく肘枕で寝そべって、信十郎はさっきから、座敷のほうから流れてくる、季恵の歌うわらべ唄を、聴くともなしに聴いていた。

 はじめて聴いたような、歌詞も節も信十郎の知らない唄だったが、どこかで聴いたような懐かしい気がする。ひょっとすると、同じ唄でも土地土地で少しずつ違っているのかも知れず、似たような唄を、かつてどこかで聴いていたのかもしれなかった。

「ああもう、不器用だねえ」

 季恵が笑いながら、お結にお手玉の指導をしている。

「そうじゃないよ、こっちの玉を投げるだろ、投げてる間にもう一個を持ちかえて。違う違う、両方いっぺんに放しちゃだめじゃないか」

 お結は生まれてこのかた、おそらくお手玉などしたことがないのだ。そんなまったくの素人相手に季恵は熱心になって教えているのだが、声音にとげとげしさはなく、丸みをおびた、ほがらかなもの云いだった。

「お結ちゃん、ひょっとして、お手玉したことがないのかい。そう。お手毬は。ないの。そうなの、変わった子ねえ」

 そんな、穏やかで温もりを感じさせる背後の会話とはべつに、庭の向こうから、なにか中年の女らしいふたりのささやくような話し声が、先ほどから聞こえていた。

 庭の反対側にある塀の向こうの路地でかわされているその会話は、大きくなったり小さくなったり、ときに笑い声が混ざったりしていたが、その内容が季恵についてのことだとしだいに聴きとれるほど、聞えよがしにささやかれているのだとわかってきた。

「まったく、ずうずうしいもんさね。あんなおとなしい正二まさじさんをまるめこんで、身をひかせたうえに、亡くなってもいすわって出ていこうとしないんだから、いい性格してるよ」

「そうよねえ、いかにも女郎だわね」

「正二さんだって、殺されたようなものだわよ」

「そうよ、毒でも盛ったのかしら」

「きっと、あっちのほうで、精も根も尽き果ててしまったんだわ」

「そうね、きっとそうね」

「それに、今度は若い浪人風の侍らしいわよ」

「そんなのを連れこんで、どうしようってのかしら」

「どうもこうもありはしないわよ。女郎なんて、男の身体がないと生きていけないのよ」

 そう云って、下卑た笑い声を高らかにはなつのだった。

「毎度毎度、おんなじ中身の話をくりかえして、よく飽きないよねえ」

 声につられて顔を動かすと、季恵が敷居ぎわまでにじりよってきていたのだった。

「最初は、働き者だの気立てがいいだの、さんざん褒めそやしていたくせに、もとが女郎だったとわかったとたんに、あんなんさ」

 季恵は、寂しそうに吐息をついて続ける。

「死んだ亭主は気にするな、って言ってくれたけど。あたしはいいんだよ、じっさい他人から後ろ指をさされるような生き方をしてきたんだから。でもね、あたしを透かしてあの人がけなされているみたいでね、くやしいじゃないか」

 それから彼女は、昔に経験した、嫌なことを吐き出すような口調で話し続けるのだった。

「あたしは、江戸の深川で生まれ育ってね。まずしい裏店くらしだったけど、ふた親もそろっていたし、弟や妹の面倒をみながら、それなりに幸せな生活をおくっていたんだ。けど、十七の時さ。悪い男にひっかかっちまってね。まだねんねだったからね、ちょっと見てくれがいい男だったもんだから、のぼせあがっちまって。そいつが京でひと旗あげるっていうんで、あたしもほいほいついてきたのさ。そしたら、三月もしないうちに、そいつは長屋を出ていったまんま帰ってこなくって、かわりに来たのが島原の女衒ぜげんだった。いくらで売られたと思う。三両だよ。たった三両でこの身体が売られたんだよ。島原もぴんきりでね、たいそうな妓楼とは違って、売られたのは小汚い女郎屋さ。それから十年、鞍替くらがえだのなんだの、流れ流れて大津の飯盛り宿であの人にあったのさ。あの人は、仕事の品を納めた帰りで、たまたま、そこがそういう宿だって知らずにあがってね。三十過ぎまで木を組むことしか知らなかったような男が、はじめて女を知ってその気になっちまったんだろうね。次に来た時に突然身受けしたいなんて云いだしてね。本当は色々と手続きがいるんだけれども、あたしのほうからもずいぶん頭をさげて、店のほうでも大年増をやっかいばらいできるってんで、間を抜いてもらってその日のうちに身受けされてここに来たってわけさ」

 そこまでひと息に語って、季恵はぐっと唇をかんだ。あんまりいち時に喋りすぎたものだから、最後のほうはもう口がかわいて声がかさかさになっていた。

「そしたら、たった一年ばかりで逝っちまうんだよ。心臓が急にとまってさ。あばずれのあたしにはもったいないくらいの、真っ正直ないいひとでね、あたしもだんだん好きになってきて、さあこれからって段で、ぽっくり逝っちまった。そんなことがあるかい。そんな馬鹿なことがさあ」

 季恵は遠い目をしていた。その大きな目に西日が反射して、きらめいていた。

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