五の六
川崎屋は上宿というだけあって大きな旅籠で、宿舎の造りは中庭を中心にコの字になっていて、庭の池には鯉がたくさん泳いでいるし、周りに岩と云ってもいいほどの巨石が配され、苔むした地面に松や梅が整然と植えられていた。
宿賃は三百文もするというし、隊に帰ったら土方に、隊費の無駄づかいだと叱られそうだ、と平助は肩をすくめる思いだった。
宿の女中に、この辺になにか名所のようなものはないかと尋ねると、
「
そんなことも知らないのかという具合に、そっけなく教えられた。
その御坊さんというのは、ほんとうは長浜別院大通寺と云うのだそうで、東本願寺の別院なのだそうな。新選組は今、西本願寺にやっかいになっているし、同じ浄土真宗ということでなんとはなしに縁を感じ、西だの東だのと深いことは考えず、とりあえず詣でてみようという気になった。
藤次ももう手があく時間が増えたようなので、さそっていっしょに宿を出た。
表参道は、参拝客めあての茶店や土産物屋ばかりでなく、小間物屋や呉服店などもあって、ずいぶん繁盛しているようであった。
店舗が両側に並んだ道はたいへんな賑わいで、色とりどりの着物を身につけた女性たちも多く、平助はなんだか目がちかちかするくらいだった。
長浜という町自体、この大通寺を中心に栄えていて、北国路を使って南北を往来する商人たちばかりでなく、中仙道からちょっとはずれて遊山にくる旅人たちも、竹生島に詣でる途中の者も多く、平助が思っていたよりもずっと栄えた町だった。
人いきれのなかを縫うようにして道を進み、山門を目にすると、それは上からのしかかってくるような圧迫感のある荘厳な造作で、その前にも下にも、門徒たちばかりでなく行楽の客が大勢いて、大通寺という寺は江戸や京の寺院とかわらぬ、にぎやかな寺であった。
田舎の寺と思い込んでいたので、平助は、なんとなくちょっと寂れていて落ちついた雰囲気の、心の安らぐ場所を想像していたのだが、なんだか期待がはずれてしまった。
平助は境内を本堂にむかって歩きながら、隣にいる藤次に訊いた。藤次は昨晩に轟と接触し、帰りが遅かったこともあり、今、道々報告を聞いていたのだった。
「まったく解せん。なにを考えているのか、さっぱりだな」
「まあ、ああいう人ですから、我々よりも、博徒のほうが使いやすいのかもしれませんよ」
「お前は以前から、あいつとつきあいがあるんだろう」
「まあ月に何度か酒をおごってもらうくらいですが」
「あんな男とよく友達つきあいができるものだ」
「ああ見えて、根は悪い人ではないんですよ」
「みんなそう云うんだ。行状のよくないのとつきあっているのは、かならず云うんだ。ほんとは悪い人じゃないって。でもたいてい良い人間でもないのさ」
「きっと気の合う仲間とだけは、うちとけて話しもできるんでしょう。意外と人見知りするんですよ」
「それで、けっきょく轟はなんと」
「はい、勝手にやるから、お前たちも勝手にやれと」
「まったく勝手な男だな」
「川井を討つことには応じましたが」と藤次はなにか言いよどむようすで。
「それで」と平助は先をうながした。
「はい、隊には少し含むところがあるようで」
「うん」
平助は、ちょっと考え込んだ。
轟は剛毅な見た目に反して、
――下手をすると、どさくさに紛れて、轟が姿を消してしまうかもしれない。
平助の不安はそこにあったのだった。
「脱走者は始末しました、討ち手には逃げられましたじゃあ、とんだ赤っ恥だ」
「はあ」
「よし」
平助は不安を打ち消すように、声を張って云った。
大声に驚いたのか、そこここにいた鳩が十数羽、いっせいに青い空に飛び立っていった。
「轟からは目をはなすな。川井はしばらく奴にまかせて、われわれは高みの見物といこうじゃないか」
ふふふ、と藤次が笑った。あんたいつも高みの見物じゃないか、と云っているみたいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます