五の五

 季恵の云ったとおりで、翌朝になると、お結の熱はすっかりさがり、けろっとした顔で身体を起こして、お腹が減ったと云いだすし、季恵が朝餉のしたくをするのを、手伝おうとして立ちあがったりするのだった。

「もうしばらく、寝ていなさい」

 信十郎が叱ると、その時はおとなしく布団に入るのだが、すぐになにかむずむずするような感じで寝返りをうったり、起きあがろうとしたり、じっとしているのが苦痛なようすだった。

「さあ、できあがったよ」季恵が台所から膳を持ってきた。「まだ本調子じゃないだろうから、おかゆにしといたよ。熱いから、さましながらゆっくり食べるんだよ」

 そう云って布団の脇に膳をおくのを、信十郎が茶碗を持って、

「さあ、食べさせてあげよう。ふうふう、こんなもんかな、熱くはないかな」

 云いながら、粥をすくった匙を、お結の口へ持っていく。

 ところへ、

「よけいなことをするんじゃないよ」

 季恵がその手をぴしりと叩くのだった。

 驚いて、信十郎は目を丸くして彼女に振り向くと、

「そんな甘やかされなくっても、ひとりで食べられるよ、ねえ」

 季恵は膳をお結のほうへ寄せるのだった。

 信十郎はふくれっつらで、

「病人なんだから、優しくしてやらなくちゃいけないだろう」

「なに云ってんだい。この子はもうぴんぴんしてるし、変に世話を焼かれたら、余計に迷惑するってもんだよ、ねえお結ちゃん」

 お結はそんなやりとりを見て、楽しそうにほほ笑んで、自分でお粥を食べ始めるのだった。

 おや、と信十郎は思った。いつもの心のない笑顔とは違い、今の、ちょっと口の端を動かしただけのような笑みは本当に楽しいといった感情があらわれているようだった。

 ――そうか、母親か。

 ふいに信十郎は気がついた。

 今まではただ、自分が父親代わりになろうと必死だったが、お結は、本当は母親を求めているのかもしれない。そういえば、研師経国つねくにの家でも妻のみちに、お結はすぐになついたようだった。信十郎は、母親ということまでは、まるで考えがいたっていなかった。実際、この先を考えると、この子を男手ひとつで育てるのは、先日吉田氏が語ったように、困難なことなのかもしれなかった。だからと云って、母親、つまり信十郎の妻となる人がすぐにみつかるわけもなく、季恵にしばらく代理を頼むというわけにもいかない。

「母親か」

 信十郎は小さくつぶやくのだった。

「なに、にやにやしてんだい、気色悪い」

 ふと気づくと、季恵が信十郎の顔をのぞきこんでいた。

「ほら、兄さんもはやく朝餉をすませてくれな。それが済んだら、一宿一飯の恩、ってもんだ、掃除と洗濯の手伝いくらいはしてもらうよ」

 ふっくらとした唇をせわしなく動かして、ほらこっちにおいで、と居間へと信十郎をまねくのだった。

 膳のうえには、お結の食事の残り物のようなおこげの混じった粥に、具のはいっていない味噌汁、それに香の物がそえられているばかりであった。

「亡くなったご亭主の残した指物を売って生計を立てていると云っていたが、それだけで暮らしていけるのか」出汁の薄い味噌汁を口に流し込んで信十郎は訊いた。

「いえ、それっぱかりじゃなくて、縫物の手内職もしてますよ。この家は亭主の持ち家だったから家賃はいらないし、あたしひとりが食べていければ充分だからね」

 云われてみれば、居間の隅には裁縫道具に何枚かの着物がたたまれておいてあった。

「で、これからどうすんだい」季恵が話題を変えるように云った。

「福井へ帰る。云わなかったかな」

「そうじゃないよ。この先、あの子をどうするのか、ってことだよ」

「どうするって」

「あんたの子供じゃないんだろう。どういう事情かは詮索しないけど、他人の子供を育てるなんて、生半可な気持ちでできることじゃないだろう。だったら、いい奉公先を見つけるとか、養子に出すとか」

「馬鹿を云わんでくれ、あの子は俺の手で育てる」

「育てて、自分の好みの女にするのかい」

「なに」

 信十郎は口から米粒を飛ばし、季恵をみつめた。耳を疑うような言葉を聞いた気がした。とんでもないことを云いだす女だと不快な気持ちが顔に出た。

「もう、ほんの十年もたてば、あの子も立派な女になるんだよ」

 季恵の言葉に信十郎の心臓が、どきりとひとつ大きく打ちつけた。そんなことはまるで考えたことがなかった。頭の隅によぎりもしなかった。自分はただ父親か兄くらいの気持ちでいたのだが、お結を妻にするなどと……。

 内心で動揺したままお結をみると、素知らぬ顔で粥を口に運んでいるのだった。

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