四の三
馬で今津宿に到着した藤堂平助を出迎えて、仙念の藤次は、
「まったく、ふがいないことでして」と藤次は手下の失態をわがことのようにして云った。「いくら侍の親子連れが珍しいからといって、まったく姿かたちの違う親子を見間違うなんぞ、まったくお恥ずかしいしだいです」
探索方のものたちが勘違いしてしまったのには、わけがあった。
彼らは、昨日の夕刻に、今津の宿をすべてあたり、宿帳を丹念に確認していた。そのなかで、――偽名ではあったが――おそらく川井信十郎とおぼしき者は、ひとりだけだった。その時点での彼らの判断はまず間違っていなかっただろう。川井に勘づかれては元も子もないので、その宿の向かいの家の二階を借りて見張ることにしたのだったが、なにかの隙に、親子連れがその宿に入っていったのを、見落としていたのだった。それで、まったくの思い込みから、宿から出てきた大人と子供のふたりを、川井たちと見誤ってしまったのだった。
「まあ、失敗してしまったものは、しかたがない」
平助はとがめる気もなく馬上から鷹揚に云うのだった。
「へえ、そう云っていただけると」
藤次は背筋を伸ばして、報告を続けた。
「間違いに気づきまして、すぐに宿をあたってみましたが、川井らしきふたり連れは、すでに宿を引き払っていました。ですが街道筋は手下に見張らせていますし、今津から出ていった形跡はありません」
「宿場に潜んでいるのでないとすると」
「はい、おそらく船をつかって移動したに違いありません」
「問題は、どこへ向かったか、だが」
「川井らしき男は、宿のものに、長浜行きの船の時間を訊いていたようです」
「長浜か」
「そうみせかけて、大浦や塩津へ向かったとも考えられます。いま、手の者に探らせていますので、しばしお時間をください」
「うん、じゃあ、俺は、この辺をぶらぶらしているよ。ばったり川井と鉢合わせするかもしれんしな」
平助が冗談まじりに云うのへ、
「でしたら、手間がはぶけていいですな」
藤次はため息まじりに返すのだった。
平助は茶店にはいり、団子を食いながら、船の上でもよおしてしまうおそれがあったが、咽喉の渇きにたえかねて、茶を二杯も飲んでしまった。藤次はまだ調査や手配りを続けていて、もうしばらく時間がかかりそうだったので、暇をもてあます形になっていたのだった。
それから、船旅の慰みにと煎餅を買って、何の気なしに船着き場へと足をむけた。
ちょうどそこへ、藤次の手下の
平助は、興味なさげに話を聞きながら、湊に停泊している丸子船をみていた。
なにか問題があるのか、なかなか出航せず、船頭が船尾でしきりに舵の調子を確かめているようすだった。
と、平助は、引きつったように口のはしをゆがめた。
とつぜん破顔した彼を不審に思った卯之吉が、不審そうなまなざしをむけるのへ、
「おい、俺はひと足先に長浜へ向かうことにする」
にわかに思いついたといった感じで告げた。納得できないようすの卯之吉だったが、平助はかまわずに続けて云った。
「お前たちは、用事がかたづいたら、みんなで後から追ってくれ」
「はあ、それはかまいませんが」と卯之吉はちょっと思案顔をして、「でしたら、川崎屋という旅籠へご逗留ください。そこを、長浜での探索の拠点にする予定でいます」
「うん、わかった」
「
「なに、轟が。ということは、土井を討てたか」
「私も仔細はぞんじませんので、詳しい話は、向こうでお聞きになったほうが」
「そうか」
投げ捨てるように云って、平助は足ばやに桟橋へと向かうのだった。
船の船尾では、修理を終えた船頭が口に手をあてて、おうい船が出るぞ、と酒焼けしたようながらがら声で
平助はそれに向けて手をふりながら走り寄り、乗せてくれ、と声をかけて、船に乗りこんだ。
町人の乗客たちは船の前のほうにかたまっていて、その侍と少女だけが、少し離れて、帆柱の近くに座っていた。
侍は顔を隠すようにして、笠を深くかぶってうつむいていて、少女は乗りこんできた平助になにげない感じで顔を向けた。
平助は、すぐに、その侍、川井信十郎の前に腰をおろしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます