第二章 ふたりのゆくえ

二の一

 ほんの半刻ばかり町をまわって、帰ってくればこの始末だった。

 藤堂平助は、もう動かなくなっている小畑栄太を、じっと見つめていた。

 提灯の明かりに照らされた小畑のその顔に浮かんでいるのは、苦しみではなく憎しみだった。

 その表情をみていると、彼の無念が、平助に伝わってくるようで、胸が苦しくなるほどしめつけられ、握った手が怒りで震えるのだった。

 ことのなりゆきを見ていたものたちによれば、旅籠、鱒川屋の庭園で、浪人ふうの男が宿の息子を襲っていた、という。

 それをとめに入った侍、小畑が、逃げる男のあとを追った。

 そして、彼らのあとを追いかけた宿の男衆が、斬られた小畑を発見した。

 小畑は、男を川井と呼んでいたそうである。

 ――やっぱり生きていた。

 しかも、川井は、宿で下女として働いていた少女をかどわかしていったという。

 川井がいったいなにを考えているのか、平助にはまったく理解ができない。

 すべて、自分の油断が招いた結果に思えた。

 川井が生きている確証がはっきりとあったわけではなかったが、その可能性も強くあったし、平助自身の勘も強く働いていた。

 なのに、小畑をひとりにしてしまった。

 「旦那」と背後から声がきこえた。

 仙念の藤次であった。

 藤次は、あとはわたしが、と云って遺体の処置を引きついだ。

 平助は、遺体は新選組の屯所へ送って、ねんごろに弔ってもらうように指示して、その場を後にした。

 まだ十八歳という若さの、青年の前途を奪ってしまったつぐないの気持ちがあった。

 たしかに、斬ったのは川井だったが、平助とふたりでいれば、小畑は命を失うことはなかっただろう。

「なぜ斬った」平助は、そこに信十郎がいるようにつぶやいた。「お前ほどの腕があれば――、秘剣などというものを使えるほどの達人なら、栄太を斬らずにすませられたはずだ」

 まだ手が震えている。なにかに手当たりしだいに八つ当たりをしたいような気分だった。

 藤次はほんの四半刻まえに、連絡のためにやってきた。

 御堂銀四郎、坂井五郎左衛門、正木仙の三人組が、武佐宿で潜伏していた三番隊の中田を発見し、倒したという。

 三人はすでに、こちらにむけて馬を走らせているそうだ。

 ――嫌な奴らがくる。

 平助の心は、さらに暗く、重くなって、おりのたまった深いよどみのなかに沈んでいくような気分だった。


 ひと晩歩きつづけてこのていどか、と川井信十郎は落胆した。

 おゆいは彼の背中におぶわれて眠っていた。そうして歩いているうちに彼女の細い首が後ろにかしぎ左右にかしぎして、その振動でだんだん身体自体もかしいできていた。信十郎はおゆいを起こさないよう、そっとひとつゆすって、ずれた位置をなおした。

 夜が明けて、畑仕事をしはじめた百姓の老人を捕まえて、ここがどこかたずねると、庭戸にわどという村落だという。

 おゆいが奉公していた旅籠のあった薄田からは、北へ二里(八キロメートル)ほどの場所だという。

 ともすれば、歩きながら寝てしまいそうになるおゆいを、背負ったり、抱いたりしながらの道のりではあったが、それにしても、二里しか進めていないとは。土地勘のない場所を歩くのは難儀なものだとつくづく思いしらされたのだった。

 ともかく、追われている以上、昼間に脚を動かすわけにもいかないし、どこか隠れるような場所をさがさなくてはいけない。腹も減った。

 が、あの場の勢いで、全財産の入った紙入れを清彦に投げつけてしまって、まったくの無一文になってしまっていた。

 あとで、冷静になって考えてみれば、いくら金を払ったからといって、旅籠のものがおゆいを手放すはずはないし、小畑の云ったとおり定法にもかなっていない行為だった。

 はやまったことをした、と悔いていた。

 なにか、手を打たねばならない。

 街道から、一町(百メートル)ほど西に入ったところに、杉林に囲まれた神社をみつけ、その小さな社の裏の縁にすわり、背中のおゆいをそっとおろした。

 だが、おろした拍子に、ぱっとおゆいは目をひらいた。

「起こしてしまったか」

 おゆいは答えず、不思議そうに、信十郎の顔を見つめている。そして、しばらく見つめた後、辺りをみまわし、自分がなぜここにいるのか、昨日からの出来事を頭のなかで思い起そうとでもしているふうだった。

「腹は、減っていないか」

「うん、ちょっと」

「もうすこしのあいだ、我慢してくれ」

「うん」

 とにかく、金を工面しなくてはいけない。

 いま信十郎が持っているもので、金に換えられそうなものと云えば、刀くらいしかない。

 しかも、ずいぶん錆びついてしまっている。

「なんとかするからな」自分をはげますように信十郎は云った。

「うん」とおゆいが、またうなずいた。

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