第24話 公衆トイレとカレーと人の尊厳
「うう……トイレトイレ……ッ!」
今、トイレを求めて全力疾走している私は、冒険者ギルドに通うごく一般的な冒険者。
強いて違うところをあげるとすれば、頭には髪の毛が一本もなく、四十六歳になっても日雇い仕事しかしたことないってとこカナ。名前はラッチ。
そんな訳で、帰り道にある公園のトイレにやって来たのだ。
「……うーん、最近出てなかったからな。ようやく思いっきり解放できそうだ」
最近便秘気味だったが、久しぶりの便意に少しルンルン気分の私は、小走りで男子トイレに入る。ふと横目に見ると、女子トイレは清掃中のようだ。
危なかった。少しタイミングが悪ければ、私が用のある男子トイレの掃除が行われ、便意を肛門から解き放つ事が出来なかったであろう。幸運の女神に感謝だ。
さて、早速個室に入ろうではないか。大便室は全部で三つ。閉まっている扉にはプレートがあり、一番手前が和式、その他が洋式と表示されていた。
特に拘りの無かった私は、一番手前の和式の扉を開く。
「う~~~ん……ッ!」
私は即座に扉を閉めた。見間違いでなければ、全裸の男がこちらに背を……いや、ケツを向けて思いっきり踏ん張っていた気がする。
いや。もしかしたら万が一何かの間違いで、私の見た幻覚いう可能性も微粒子レベルで存在している。
一度息をついた私は念の為に、もう一回扉を開けてみた。
「う~~~~~~~ん……ッ!!!」
そして閉めた。さっきより踏ん張ってた。見るんじゃなかった。
(と、扉に鍵くらいかけろよッ! ってか、なんで全裸なんだアイツ……?)
内心で悪態をつく。そりゃあ私みたく便意に余裕がないのなら、鍵をかけ忘れる事もなきにしもあらずだろう。
だが、だからと言って大便室で服を全て脱いでいる理由が見当たらない。全裸大便と言うのが、何処かでバズったのだろうか?
(い、いや。そんな事はどうでも良い。と、とにかく私も早く出さなければ……ッ!)
顔の見えなかった彼への疑問は尽きないが、とにかく今は自分の大便の面倒が先だ。一つ使われていようが、大便室はまだ二つある。
私は気を取り直して、隣の洋式の大便室の扉を開けた。
「ちょっと変態ッ! 変な声上げないでよッ! こちとらせっかく食べ始めたってのに……」
私は再度、即座に扉を閉めた。自分の目がテクニカルな支障をきたしていなければ、今見た光景は現実だ。
茶髪のツインテールに緑色の瞳を携え、真っ黒なゴスロリの衣装に身を包んだ女の子が、隣の個室を壁越しに睨みつけながら、便器に座ってご飯を食べているという光景。しかも、食べていたのはカレー弁当である。
(な、な、なんで男子トイレに女の子が? しかも食事中……ッ!?)
夢なんじゃないかと淡い期待を抱いてこっそりと再度扉を開けてみたが、先ほど見た女の子がガツガツとカレーを食っていた。扉を閉めた私は頭を抱える。夢じゃなかった。
一瞬、自分が入ってしまったここが女子トイレかとも錯覚したが、横目に見えるずらりと並んだ小便器が、ここは男子トイレだという事実を雄弁に物語っている。
つまり、自分は間違っていない。間違っているのは彼女の方だ。
昨今では便所飯と呼ばれる行為も認知度が上がってきた訳だが、実物に出会ったのは初めてだった。
(誰か嘘だと言ってくれ……ッ!)
しかも、男子トイレの大便室で、女の子がカレーを食っているというコンボだ。
追い討ちとばかりに、扉越しに漂ってくるカレーの匂いが鼻腔をくすぐってきて、私の精神力のノックアウトは近い。
疑問は先ほどの彼以上に膨らんでいるし、そもそも色んな意味で信じたくない。
(も、もういいか……二度も意味不明な光景が広がっていたけど、次こそは大丈夫だろう。三度目の正直と言うやつさ)
私はもう一度、気を取り直した。漂うカレー臭に心が折れそうだが、もうこの際さっさと自分のを済ませて出て行ってしまおう。
そして全てを忘れるんだ。悪い夢を見たと、そう思えば良いだけの話さ。
現実逃避混じりのヤケクソで、私は最後の扉に残った大便室の扉を開ける。
「ぱ……ぱ……パ、チンコォォォ……ヤらせろォォォ……」
目に飛び込んできたのは、衣服が乱れ、水道管に手錠で繋がれている女性が、自身のピンク色の長髪の一部を口に含んだままうめいている光景だっ……もう、マヂ無理。
「うわァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
私は逃げ出した。便意も何もかもをかなぐり捨てて、涙ながらに逃げ出した。
二度ある事は三度ある、と言う慣用句が頭に思い浮かぶ。恨むぞ幸運のクソビッチ。私が一体何をした?
ただトイレに大便しに来ただけで、何でこんなに理解不能が感極まって涙を流さなければならないんだ。そもそも何の涙だコレ?
やがて近頃の運動不足が祟ったのか、私はそれ以上走れなくなり、道の途中で両手を膝に置いて立ち止まった。
荒く息を吸って吐いて、流れ出る汗をなんとか拭おうとするが、拭いきれなかった雫が地面にポタポタと落ちていく。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
最近は歳の所為か、息が上がるのも早くなった気がする。急に走った為か、関節も悲鳴を上げていた。全く、歳は取りたくないものだ。
しかしここまで来れば、あの意味のわからない場所からは離れられた。
奴らに追って来られたら軽くホラーだが、まさかそんな事はないだろう。
とりあえず、一安心だ。息を整えた私は、ゆっくりと後ろを振り返る。
「ラッチだァァァッ! 逃すなお前らッ! 奴の有り金全部を巻き上げるぞ、待てやゴルァァァッ!!!」
「いきなり声なんて上げるからびっくりして水道管壊しちゃったじゃないですかッ! めっちゃ痛かったですし全身ビショビショですッ! 土下座しろこのハゲェェェッ!!!」
「アンタの所為で服にカレーこぼしちゃったじゃないのッ! どーしてくれんのよあたしの服とお昼をォォォ……あっ! カレー付いた服の洗濯おつカレー……なーんちゃってプッハァッ!!!」
「嫌ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
がっつりホラーだった。目を血走らせながら追ってきていた彼ら(約一名大笑い中)は、本気で怖かった。もう一度、私は全力疾走をする羽目になった。
身体中が悲鳴を上げているが、私自身も悲鳴を上げているのでもはや無問題の領域だ。
「人様に迷惑かけんな」
「「「あふひばァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアケツがァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」」」
と思ったら。私の後方でスパーンスパーンスパーンッ! と三発の軽快な音が鳴り響いたかと思うと、彼らの追跡が止んだ。
何事かと振り返ってみると。そこには紺色のスーツに身を包んだ小さな男の子が、ハリセン片手に彼らをしばいている様子だった。
幸運の女神は再び私に微笑んだッ! 私はそのまま逃げ続けた。
やがて海が見える砂浜まで逃げ延びたが、流石に諸々の限界が来て座り込む。恐る恐る振り返ったが、そこに彼らの姿はなかった。
「に、に、逃げ切った……ッ!」
声に出した事でより安堵の気持ちが高まり、私は肩で息をしたまま砂浜に寝転がった。
やったぞ、やってやれたんだ。私だってやればできるし、まだまだ運も残ってた。
照りつける日差しと暖められた砂浜が、私の疲れた身体をじんわりと暖めてくれる。疲労感は凄いが、何処か心地よいものだ。
フー……っと大きな息を吐いた私は次の瞬間。とても景気の良い音が肛門から聞こえてき……そうだ、ウンも残ってたんだった……。
と。こんな訳で、私の人としての尊厳は、クソミソな結果に終わったのでした……。
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