夏の終わり。あるいは、秋の始まり。

 耳について離れなかった蝉の声がいつの間にか聞こえなくなって、二学期に入ってから開かれた吹奏楽部の部会では、ある重要な問題が話し合われた。それは――、

「部員が足りないんです」

 開けた窓から涼しげな風が入るチャペル。わたしは八重樫先輩に吹奏楽部の抱えた問題について口を開いた。

 それにしても、夏用の白いセーラーを身につけている先輩は何度見てもイイ。胸当てから覗く鎖骨は言うまでもなく最高だし、袖を捲った細い腕の白さには何度見てもドキリとさせられる。

 ああ、生きててよかった……。

「吹奏楽部の? ……って、何か言った?」

「ごめんなさい。先輩に見とれてました」

 こういうことを言うと、先輩は決まって戸惑った顔をする。

「……吹部の話はいいの?」

 いけない。すっかり話がそれてしまった。わたしは深呼吸をして仕切り直す。

「今年は新入部員が少なかったうえに、夏前に引退する三年生が例年より多かったらしいんです。欠員が出てる楽器もあって、これからどうしようか、という話がついこの間、二条にじょう部長から聞かされて」

「何人?」

「全員で十五人です」

「別に演奏できない人数じゃないね。編成は?」

「ええっと……。フルート、サックス、コンバス……」

 わたしは指を折って数える。

「うん。バランスはちょっと悪いけど、最低限の演奏はできると思う。それで、あずさはなんて?」

「……あずさ、さん?」

 聞いたことのない名前だった。

「二条梓。吹部の部長」

「あ、そうなんですね。たしか、部長も先輩と同じ事を言ってたと思います。『悪くはない』と」

「部員、足りてると思うけど」

「わたしもそう思ったんですけど、部長の考えは違うみたいで。なんでも、文化祭の合同公演で十分な演奏枠を確保するには足りないらしくって。たしか部長はこう言ってました。ええっと、あれ……」

 なんて言ってたんだっけ。思い出すように視線を上に向けたわたしを見て、先輩が言葉を引き継いだ。

「『これは音楽じゃなくて、政治の問題よ』かな」

「あ、そうです。そう言ってました。よくわかりましたね」

「梓の言いそうなことだからね」

 先輩は肩をすくめた。

「あの、そこで先輩にひとつお願いがあるんですけど――」

「ついでに和泉さんがこれから言うこともわかる。――私は吹部に入らないよ」

「先輩に吹奏楽部に入っていただきたくて……って、どうしてわかったんですか?」

「きみの言いそうなことだから」

「無理を言ってるのは自分でもわかってるんです。それでもわたしは入部していただきたいんです。だって先輩、二年前は吹部の部員だったんですよね。だったら――」

「なにを言われても私は入部しないから。……この話はこれでおしまい。いいね?」

 先輩の毅然とした態度を前にわたしは閉口するしかない。

 わたしの話は一方的に拒絶されて、その日はそれ以上吹奏楽部のことについて相談することはできなかった。



「ねえどうしようぜったいせんぱいにきらわれたよだってあんなにこばまれたんだよもうにどとわたしとくちきいてくれないかもねえちゃんときいてるとうか?」

 八重樫先輩に入部を断られた次の日の昼休み。

 最近昼食を食べる場所としてお気に入りな旧校舎の脇でわたしは藤花に泣きついていた。

「聞いてない」

「ちゃんときいててよねえわたしはどうしたらいいとおもう?」

「まずは掴んだ私の腕を放して、それから口を閉じる」

「とーかぁ……」

「――――せいっ」

 掴まれていた両手が解放されるやいなや藤花はわたしの頭にチョップを叩きこみ、頭を抱えたわたしを見下ろしながら購買で買ったパンの口を開けた。

「痛いよ……」

「落ち着いた?」

「うん……まあ……」

 制服の袖でにじんだ涙を拭ったわたしは壁に体を預けて空を見上げた。青色のキャンバスに白のいわしが群れとなって泳いでいる。季節はすっかり秋だった。

「ごはん食べないの」

「……食べる気力ない」

「そんなにショック?」

「だって……」

 拒絶された瞬間の、先輩の底冷えするような視線によってわたしの心は凍りついたのだ。入部云々じゃなくて、先輩に拒まれたということ自体が悲しかった。

「昨夜から何十回もされた話を聞く限り、八重樫さんが拒んだのは吹奏楽部の入部であって、あなたじゃないと思うけど」

「そうかなあ」

「ま、知らないけどね」

「そんなあ」

 藤花は一喜一憂するわたしを横目で見つつ、気になってたことがあるんだけど、と続けた。

「なんで吹部はそんなに人がいないの? 二年前のコンクールではもっといたんでしょ?」

「うん。たしか……ステージ上だけでも四十人くらい居たと思う」

「なのに、今は半分以下?」

「でも、部員数なんて、毎年入部する一年生の数によって変わるじゃない。とくに今年の新入部員は少なかったみたいだし」

「それでも、たった二年でそれだけ部員の数が減るなんて不自然」

 たしかに、言われてみればそんな気がしてきた。あのコンクールに出ていた人数の三分の一が当時の一年生だと仮定してみても、今年いた吹部の三年生――すなわち、わたしが見たコンクールで一年生だった人たち――の数と比べて大きな差がある。

「ま、よその部の事情はよくわからないけど」

 そう言って藤花は立ち上がった。

「もう行くの?」

 昼休みはまだ半分くらい残っていた。

「部活で呼ばれてて」

「そっか。たくさん喋っちゃってごめん」

 わたしの言葉には応えずに歩き出した藤花は数歩進んでから足を止め、背中を向けたまま、それから――と言葉を発する。

「――綾乃が憧れた〝八重樫凛〟という女性は、ただの一言で誰かを嫌うような、そんなひとだとは思えない」

 そう言い終えた藤花は今度こそ立ち止まらずに歩いて行った。

 彼女の言葉は空に浮く雲のようにわたしの心のなかをしばらく漂って消えなかった。



 部活の休憩時間中、わたしは蛍先輩を第二音楽室の外に呼び出した。

「どした?」

「この前部長が言っていた、部員の数についてちょっと話があって……」

「んー……。わかった。ちょっと上で話そっか」

 人差し指で天井を指した蛍先輩にわたしは頷いた。

 花菱女学院の本校舎群から外れた場所に建つ旧校舎の最上階、三階西側にあるのが第二音楽室であり、吹奏楽部の練習は主にここで行なわれている。

 階段を上がり、先輩に続いて旧校舎の屋上へ出た。

「何について聞きたいの?」

 屋上の手すりに寄りかかった先輩の側でわたしは空を眺める。傾きつつある陽が空の裾を紅く染めていた。

「先輩、どうして吹部にはこんなに部員がいないんですかね」

「どうして、って言われても……」

 先輩が薄く笑った。

「二年前のコンクールではあれだけの人数が吹奏楽部に所属していたんですよね。でも、今はその半分もいない」

 藤花に訊かれたことは、わたしも入部したときからずっと気になっていたのだ。

「それに、吹部の荷物置き場になっている準備室に置いてある楽器の数と、コンクールの舞台で並んでいた楽器の数がどうしても合わないんですよね。……それに、八重樫先輩も今は吹部にいないようですし」

 四月からずっとなにかが引っかかっていた。そのなにかをわたしは言葉にする。

「先輩、教えてください。――わたしが入部するまでに、吹奏楽部でなにがあったのかを」

 わたしは横を向いて先輩の顔を見つめる。夕陽のつくる影が彼女の表情を昏く照らしていた。

「長いうえに面白い話じゃないよ?」

「かまいません。それでもわたしは聞いてみたいんです」

「うん。……そうだねぇ」

 茜色の空を眺めたまま先輩が微笑む。彼女は遠くを見るように目を細めた。

「夕焼けの綺麗な、ちょうど今日みたいな日だったよ――」


 この花菱って高校は今ではどんな人でも入学できるような学校だけど、それこそ中等部や寮のあった時代は箱入りの御嬢様ばかりが通っているような場所だったらしいよ。まあ、二十年も三十年も前の話だけどね。けど、この学校は現代になってもその古めかしい伝統を引きずってるところもあってさ。選択授業で華道があるところとか、まさにそれっぽいって感じない? あんな授業誰が選ぶんだよって思うよね。梓はその授業取ってるらしいけど――って、話それちゃった。ごめんごめん。

 そんな薄めても消えない伝統ってのが吹奏楽部にもあってさ、名家の女性は奥ゆかしくて人前に出るべきではないとかで、うちの吹部にはコンクールに参加しないって決まりごとが暗黙のうちに存在してた。でも、お金持ちの家だからこそ幼少のうちから楽器に触れられるなんて事情もあって、コンクールには出場しないけど実力のある人が大勢居る、ってのが花菱の吹部の特徴らしく、無冠の女王なんてカッコいい呼ばれ方をされていた時期もあるそうだよ。

 そんなこんなでうちの吹部は一定の人気があって、わたしが入部した二年前も六十人くらいの部員がいたんじゃないかな。

 でも、古き良きなんて表現には時代錯誤、みたいな形容詞がいつの時代もついて回るように、二年前の花菱の吹部ではきっぱりとした年功序列体制が敷かれていた。楽器を選択する順番も、オーディションの結果も、良い練習場所なんかも三年生が優先。正直、堅苦しくてしょうがなかったよ。

 そんな状況にはっきりと異を唱えたのが綾乃ちゃんのよく知ってる八重樫凛と現吹奏楽部部長の二条梓だった。凛は「機会は誰にでも平等に与えられるべき」と言って、梓は「凛が人数オーバーでフルートの担当になれないのはおかしい」と主張した。凛の演奏は誰が聴いても一番上手く吹いてるんだから、フルートは彼女が優先されるべきだ、彼女には一年で木管のパートリーダーを務めるほどの実力があるってね。凛の演奏は僕が聴いてても違いが分かるくらいだったから、梓の発言には説得力があったよ。さすが、有名なフルート奏者、八重樫麻衣まいの娘だってね。……あ、綾乃ちゃんは知らなかったの? そうだよ、あの八重樫麻衣。親に子が似るとはよく言ったものだね。

 その意見に年功序列を支持する二、三年生たちが反発した。彼女たちは今まで通りいくべきだって考えだった。その一方で実力主義でいくべきとの梓の主張に加勢した部員も少なからずいて、両派間で何度も議論が交わされたんだ。

 僕? 僕はどっちつかずの中立だった。当時のパーカッションのパートリーダーが中立派の筆頭でね。部内でいざこざがあっても練習していたいっていう人たちを集めて、吹部が完全に二極化することを防いでいた、梓とはまた違った格好良さを持つひとだったなあ……。気持ちの上では僕も梓・凛派だったけどね。

 顧問の先生が途中で仲裁に入ったけど、明らかに伝統を重んじる保守派だったから、結局は意見の応酬を止めることができなかった。最終的に凛が提案した「実力重視でコンクールに出場し、その結果で是非を決める」という案に副顧問が乗っかって、花菱吹奏楽部は初めてコンクールの地区大会に出場することになった。

 結果を先に言っちゃうと、あのコンクールでうちは銀賞だった。練習の段階からあれだけ対立してたんだもん、個々の演奏はできても、合奏なんかできるはずないよね。

 コンクールが終わると、部内の空気は最悪だった。年功序列派からしたら「ほれみたことか」だったし、実力主義派は「実力重視で頑張ったからこそ初出場で銀賞がとれた」だった。

 ちょうど三年生の引退時期も重なってまとまりを失った吹奏楽部は空中分解。吹部の顧問だった先生が副顧問を務める弦楽同好会に、年功序列派の有力者だったある二年生が転部したことをきっかけとして、年功序列派は弦楽同好会に揃って転部。翌年弦楽同好会は管弦楽部に格上げされて吹部と扱いが同列になった。一方、吹奏楽部は部長となった梓を中心として、自由な雰囲気の部に再編された。けれど、吹奏楽部の分裂を招いた責任を感じた凛は吹部から去ってしまった。

 吹奏楽部が分裂して凛が辞めたあの日、冷え切った音楽室から見えた、なにもかもを燃やし尽くしてしまいそうな真紅の空を、僕は今でも思い出すんだ……。


「長くてつまんない話を御清聴どーも」

 先輩がふざけた調子で話を締めた。

 沈みゆく夕陽がすべてを平等に影のなかへと引きずり込んでいく様を、わたしは無言で眺めていた。そろそろ太陽が落ちる。わたしたちの背中を月が弱々しく照らしていた。

「そんなこんなで、今も管弦楽部と吹奏楽部の仲は悪いってわけ。文化祭の合同公演は音楽系の部活・同好会のほとんどが発表する場だから毎年各団体で発表時間の奪いあいがあるんだけど、どうも今年の梓は演奏枠を確保するのに苦労してるらしいね。今年度の管弦楽部部長はなかなかのやり手だって噂だし。ほら、今年の新歓、弦部の発表すごかったでしょ? あれで新入生はほとんど弦部に行っちゃったもんなあ」

 なにか、とりかえしのつかないことをしてしまった感覚があった。それがなんなのかはまだ見えなくて、理由不明の自己嫌悪感だけが腹の底でぐつぐつと煮えたぎっていた。

「それで? 綾乃ちゃんはなんでこんな話が気になったの?」

 藤花に言われたから? 違う。わたしも疑問があって、それを八重樫先輩と話してるなかでなんとなく意識して――、

『なにを言われても私は入部しないから。……この話はこれでおしまい。いいね?』

「――っ」

 心臓が嫌な跳ね方をした。そうだ。わたしは八重樫先輩に吹奏楽部へ入ることを勧めてきっぱり断られたんだ。でも、先輩は彼女自身が吹部をバラバラにしてしまったと感じて退部していた……。

 ――そんな先輩を、わたしはただ人数合わせの軽い気持ちで勧誘したの?

「……綾乃ちゃん?」

 ばかだ。わたしは大ばかだ。

 目の前が真っ暗になっていく。なにもかもを吐き出してしまいたかった。ここから一刻も早く逃げ出したい気分だった。

「…………先輩」

 でも、それは赦されない。

「これから行かなきゃいけない場所ができたのでこれで失礼します」

 彼女に会って、謝らないと。

 わたしは蛍先輩の返事を待たずに屋上から降りる。足の先の影法師はわたしを縛りつけるように、どこまでもまとわりついて離れようとしなかった。



 宵闇の静けさに包まれたチャペルの前、わたしは覚悟を決める。

 押し開けた扉はいつにも増して重い。両手を使って隙間をつくり、そこに躰を滑りこませた。

 室内は薄暗く、冷気が足下を漂っている。チャペルの奥、ステンドグラスのすぐ側に先輩は立っていた。

「――八重樫先輩」

 彼女がこちらを向いて小首をかしげた。どうしたの、こんな時間に? と言いたげな表情だ。

「和泉さん……?」

 先輩に前回のような何かを拒絶する色はなく、凪いだ瞳でわたしをじっと見つめている。その表情が、わたしの心をどうしようもなく締めつけた。

「あの……先輩。わたし、蛍先輩から全部聞きました。以前の吹奏楽部の雰囲気から、あのコンクールを経て吹奏楽部と管弦楽部に別れて……そして、先輩が吹部を辞めるまでの全部……そう、全部を聞いたんです」

 先輩は沈黙で応える。夜の闇が彼女の表情を曖昧にしていた。

「わたしは先輩に対してとても失礼なことを言ったんだなって気づかされました。事情も知らず、あんな誘い方をしてしまって……。それに、春に演奏のリクエストをしたときも、何も考えずにコンクールで使われた『美しく青きドナウ』を選んでいました。先輩からしたら、あの曲に思うところがないはずないのに。きっと、もっともっと多くの場面でわたしは先輩を無自覚で傷つけていたんだと思います。今日、わたしはこれまでのことについて謝るために来ました。先輩、本当にごめんなさい」

 わたしは震える声で頭を下げる。わたしはどれだけ先輩の古傷を知らずのうちに抉っていたのだろう。先輩が傷ついていることに気づけなかったことが、なによりも悔しくて、悲しかった。

「和泉さん、頭を上げて」

 先輩の穏やかな声が頭上で響いた。

「和泉さんは昔のことを知らなかった、ただそれだけ。だから、きみが謝る必要なんてない。あれは私や梓の問題であって、和泉さんの問題じゃないんだから。でも……それでもきみが赦されたいと願うのなら。――私は和泉さんを赦すよ」

 わたしはゆっくりと顔を上げた。

 色鮮やかなステンドグラスを前にかすかな月光を受けた先輩が優しく微笑んでいる。その笑顔は聖母のようで、救世主のようで。彼女の言葉でわたしは確かに救われたはずなのに、心のどこかでなにかが叫んでいた。

 やめろ。気づくな。

 その声に逆らうように、わたしは手を伸ばす。握ったはずの月明かりは拳の隙間からするりと洩れて、わたしの手には何も残っていなかった。

 先輩はステンドグラスから射すスポットライトのような残光に照らされて、わたしは薄暗い床の上に立っている。

 ――それは、わたしが望んだはずの未来で。

 ああ、そうか――。

 ――それは、わたしが思い描いてたはずの幸福で。

 ステージにいる先輩と、観客席に座るわたし。――二年前と、何も変わってないんだ。

 ――それは、わたしが見ないようにしていた真実で。

 彼女は演者で、わたしはひとりの客。

 ――でも、今のわたしはそれに納得できなくて。

 八重樫先輩は二条先輩や蛍先輩と一緒に舞台の上に立っていて、わたしはただそれを遠くで眺めている。その間には、越えられない透明の壁が高くそびえ立っている。……この距離感が、今のわたしたちなんだ。

 それは今さら埋められようのない差で、二年というどうにもできない時間の隔たりがあって、それがどうしようもなく悔しかった。

『――綾乃が憧れた〝八重樫凛〟という女性は、ただの一言で誰かを嫌うような、そんなひとだとは思えない』

 違うよ、藤花。わたしは嫌われたんじゃない。それ以下だった。――わたしの言葉が、先輩の胸にまで届いていないだけ。

「……先輩」

 でも……だったら、わたしにできることはただひとつ。先輩の胸の奥にまで、わたしの言葉を届かせるしかない。

「やっぱり、わたしは先輩に吹奏楽部に入っていただきたいです」

 最短で、真っ直ぐに。無茶を承知で押し通す。

「……和泉さん?」

 眉をひそめた先輩に、わたしは臆せず口を開く。

「先輩の素晴らしい演奏を、もっとみんなに聞いてもらいたいんです。だってあんなに上手で、綺麗だから」

「でも――」

「さっき、先輩はわたしを赦してくれたんですよね? 昔のことは、先輩や部長だけの問題なんですよね? だったら……先輩の過去はわたしに関係ありません」

 先輩が開けた口をゆっくりと閉じた。

「それに、吹部の人数不足はわたしの問題でもあるんです。……だから、わたしをのけ者になんてしないでください」

 それは、心からの願いで。ただ、先輩の近くにわたしも行きたくて。

「そんなことまで口にして……それでも、和泉さんが今の吹奏楽部に、この私を入れたい理由は?」

「わたしが一番近くで先輩の演奏を聴きたいんです。貴女と一緒に、わたしが吹きたいんです!」

 わたしの言葉が、想いがチャペルに響いた。

 先輩は思案するように閉じた目をゆっくりと開けて、じっとわたしを見つめてから、こらえきれなくなったように肩をふるわせて笑い始めた。口を大きく開けて、気持ちよさそうに笑い声を響かせる。それからまなじりに浮かんだ涙を指でぬぐって、先輩はわたしを正面に捉えた。

「私の負け。いいよ、吹奏楽部に入ってあげる」

 先輩の浮かべた笑顔は、今度はちゃんとわたしの心の奥底まで届いた。



 八重樫先輩から課せられた吹奏楽部へ入部するたったひとつの条件は、「梓が許してくれるなら」というものだった。わたしは早速、翌朝授業開始前に二条部長の下へ訪れ、「別にかまわないわ」という返答を得ていた。


 それから数日後。部長が指定した日。

 第二音楽室で見知らぬ二人の新入部員がわたしたちの前に立っていた。自己紹介を聞いたところによると、どちらも管弦楽部のやり方についていけずに退部したらしく、そこを二条部長が勧誘したらしい。

 拍手とともに頭を下げた二人が着席して、部長はドアの向こうに立っているもうひとりに合図を出す。扉を開けた彼女は懐かしそうに音楽室を見渡してから、背筋を伸ばしてゆっくりと歩き、みんなの前に立った。

「三年生の八重樫凛です。その、わたしのことをどこかで知ってる人もいるかもしれませんが……これからよろしくお願いします」

 短い髪を揺らして頭を下げた彼女に、わたしは精一杯の拍手を送った。

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