第3話

 サラが心残りだったのは、子犬のクミンのことでした。伯父夫婦の所で、なんとかうまくやって生きているでしょうか。まさか、王の行列を邪魔した罪で折檻されてはいないでしょうか。

 その晩、王宮の中庭で月を眺めながら考えていたところ、ガサガサと茂みが動いて、クーン、クーンと子犬の泣き声が聞こえました。声のした方を見ると、クミンがつぶらな瞳でこちらを見ているではありませんか。

「クミン! 来てくれたのかい?」

 クミンは嬉しそうにしっぽを振っていましたが、はっとして何かに気がついたように、駆け出していってしまいました。

「あ、待って……!」 

 サラは、クミンを追いかけて走りました。クミンはどこかに向かって一目散に駆けています。サラがようやく追いつくと、クミンは低い唸り声をあげていました。サラは周囲を見回してハッとしました。いつのまにか、サラとクミンは禁じられた前妃の霊廟に入り込んでしまっていたのです。

「クミン、ここはダメだよ、すぐ戻らないと……」

「なんだテメエは!」

 奥から粗暴な男の声が響きました。ドカドカと乱暴な足音を立ててやってきた男の手には鉈が握られています。霊廟の墓守には見えません。サラは、ここでようやく、前方で墓守が血を流して倒れていることに気がつきました。

「は、墓泥棒……!」

 男の首や指には、女物の装飾品がじゃらじゃらと着いています。前妃の墓から持ち出してきたのに違いありません。サラは大声を出そうとしましたが、恐怖のために喉がカラカラに乾いて声が出ません。かわりに、クミンが泥棒に向かって吠えたてます。

「ちっ、うるせえぞ犬っコロ!」

 男は、忌々しげにクミンを睨むと、そのまま鉈で斬りつけてしまいました。

「あっ……!」

 サラはクミンに駆け寄ろうとしましたが、男にグイと腕を掴まれてしまいました。そして、頭にかぶっていた布を剥ぎ取られました。男はサラの顔を見ると、あからさまに嫌そうな顔をしました。

「うわ……ひでえツラだなあ。これじゃ売り物にもなりゃしねえ。お頭もテメエみたいな女は奴隷にすらしたかねえだろう。ここで殺しとくか」

 ぎらりと鉈が光りました。一切の躊躇無く、サラに鉈を振り下ろそうとします。死んだ、とサラは思いました。とっさに目をつぶりました。

 しかしその時、誰かがサラと男の間に滑り込むようにして割り込んできました。そして、男の鉈を剣で受け止めると、その勢いのまま男を払い退けたのです。

「ぐあっ、なんだ!」

「……王様!」

「下がっていろ」

 サラを庇ったのは王でした。華奢な身体からは想像がつかない、力強い剣さばきで、屈強な墓泥棒を追いつめていきます。サラは王を気にしながらも、クミンに駆け寄りました。苦しそうですが、まだ息はあります。一刻も早く手当てをしてやらねばなりません。

 王は、あっという間に男の喉元に剣を突きつけました。

「もうじき衛兵たちもやってくる。観念しろ、賊め」

「クソォ……!」

 王の強さは圧倒的でした。サラは、呆けてその見事な剣捌きに思わず見惚れていましたが、ふと、霊廟の奥の方から何かが光りながら飛んでくるのが見えました。

「危ない!」

 サラが叫びましたがすでに遅く、回転しながら飛んできた短刀が、王の腕にずぶりと突き刺さりました。

「何……!」

 サラと王が目を凝らすと、煌々と灯る松明を掲げた墓泥棒の仲間たちが、奥からわらわらと出てきたのです。

 一際、派手な服装の男がニヤつきながら王を見ています。どうやら、彼が泥棒たちの頭領のようです。

「これはこれは、陛下に直接お会いできるなんぞ、恐悦至極でごぜえやす」

「……貴様が、賊の頭領か。我が妃の霊廟を荒らした罪、万死に値する。生きて帰れると思うな……」

 王は賊の頭領に剣を向けましたが、ふらりと足がもつれてよろけました。

「ぬ……貴様、毒を仕込んだな」

「そりゃあ、武芸の達人である陛下に正攻法で勝とうなんざ無理に決まっているでしょう」

 そう言うと、頭領は再び短剣を王に投げつけました。王は避けられず、今度は脚に刃を受けました。王の美しい顔が苦痛に歪みました。

「王様!」

 このままでは王が死んでしまう、とサラは思いました。衛兵たちもいつ来てくれるかわかりません。石でもあれば投げつけたいところですが、美しく整えられた霊廟には塵ひとつ落ちてはいませんでした。

 一体どうしたら……と、サラが焦っているうちに、突然、松明の火が男の体に燃え移りました。

「うわあああああ! 熱い熱い熱いいいい!」

 頭領だけではなく、配下の泥棒たちの体にも、いっせいに火がつきました。何故いきなりそんなことが起きたのか考えている余裕はありません。サラは、恐怖に身がすくみました。幼い頃に、熱い、熱いと苦しみながら死んでいった両親の姿が、墓泥棒たちに重なって見えました。しかし、目の前でどさりと王が地面に倒れて、サラは我に返りました。墓泥棒たちの断末魔の叫びが響く中、サラは急いで、王を抱きかかえました。

「王様、こっち……!」

 サラは王に肩を貸して、クミンを脇に抱えて、霊廟から急いで逃げ出しました。

 それから程なくして、衛兵が駆けつけてきました。サラは衛兵たちに王を頼むと、自分はクミンの手当をすることにしました。クミンの血が止まらず、サラが焦っていましたら、王宮の医師が薬や包帯を持ってきて、一緒に手当てをしてくれました。そのかいあって、クミンは一命を取り止めました。サラが医師たちにお礼を言うと、陛下からのご命令に従っただけです、と答えられました。

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