第34話 エリン・ラファ
〜ツクモ視点〜
「ふぅ……」
浴槽の中で、大きく息を吐いた。
働き詰めで疲れていた体が熱い湯でほぐされる。
「人生で一番働いているのかもしれん」
なにせ戦争の準備をしているのだ。
作戦の提案、兵士の選抜、兵站の確保、様々なマジックアイテムの調達。
やることにきりがない。
が、作戦開始は一か月後と決まっているが、予定よりも前倒しで準備が進んでいる。
だからこうして寮に帰ってお風呂に入り、体を癒やすことができるのだ。
「デスクワークが一番の敵かもしれん。肩が凝ってしまうからな……ん……?」
ドタドタと、脱衣場に誰かが入ってくる音がする。
いや、ここは寮なので彼女たちの誰かに違いないのだが。
「せんせー! お背中流しに来ました!」
「ビアンカ……いや、君だけじゃないな」
ビアンカの後ろからぞろぞろと入ってくる。
皆、スク水を着ていた。
「ツクモ先生……きっと疲れてるだろうと思って、お風呂ついでにマッサージしてあげようかなって」
「そうだったのか」
アドリーは照れくさそうに言う。
その思いやりに心打たれる。
「皆も同じか?」
シィとディアに尋ねた。
「もちろんですわよ。先生はいつも以上に無理をなさっているのですから、これぐらいのことはさせてくださいませ」
「……いつも感謝してる……だから恩返しする」
俺の心がポカポカ暖かくなる。
「皆ありがとう。よろしく頼むよ」
俺は浴槽から出て椅子に座ると、皆一人ずつ白い個体――石鹸を泡立てる。
俺の体はみるみるキレイになり、疲れも取れていった。
***
「ふう、さっぱりした」
つい俺の口から言葉が漏れる。
風呂場でのマッサージはかなり効いた。
リフレッシュした俺は、着替え終わって寝間着の彼女たちを褒めた。
「いつの間にマッサージがこんなに上手くなったんだ?」
「へへ、先生の真似してたらできるようになってたの。練習終わりのときにいつもしてくれたから、もう皆覚えちゃったよ」
アドリーはそう答えた。
「ねえ、先生」
「なんだ?」
「皆集まって、話したいことがあるの。いいかな」
「? ああ、もちろん構わない」
そして、皆でラウンジに集まるのだった。
「それで、話というのは?」
俺は尋ねる。
すると、口を開いたのはディアだった。
「わたしの過去の話」
〜ディアの回想〜
エリン・ラファと出会ったのは、わたしが5歳ぐらいの時だった。
孤児院の庭でぼんやりしていたところを、「よう」と挨拶してきた。
「ん? だれ?」
肌面積の少ない服を着たセクシーな女の人だった。
「さあて、誰かな〜」
「おまわりさーん! 変なひとが――」
「すまん! 冗談だ」
おほん、と咳払いしたお姉さんはエリン・ラファと名乗った。
「君には、どうしても話さなくてはならないことがある」
「?」
「君のパパとママについてだ」
わたしには両親という存在がよく分からなかった。
物心ついた時からこの孤児院に住んでいて、職員さんと似た境遇のような子どもたちしかいないからだ。
「魔族が住む国、魔国ベルフォートで君は生まれた。
君の両親は魔族だ」
「まぞく?」
「人間とは違った種族のことさ。力が強い、寿命が長い、変身することでモンスターのような姿になる、そんな特徴がある奴らさ」
「ふうん」
なんだかよく分からなかった。
「そして君も魔族だ」
「……え?」
「君の両親が魔族なら、君も魔族ということさ」
「そうなの?」
「そういうことさ」
当時はあまりピンと来てなかった。
けど、その種族の違いは大きくなるにつれて飲み込むしかなかった。
腕力は大人にも負けず、高い魔力適正を示した――結果、親無しのわたしがラクロア魔法学園への入学を認められたからだ。
「さて、君の話をしよう。どうして君は今まで人間の中で暮らすことが出来たのか分かるかい?」
「……ぜんぜん」
「私が昔、君にかけた魔法のおかげさ。見た目も魔力反応も魔族だとバレないようにごまかしているのさ」
こうして言葉にされるまで全く気づかなかった。
「どうしてこんなことをしてまで、君を人間の国に連れてきた理由は――」
そうしてエリンは、昔に何が起こったのかについて話してくれた。
***
エリン・ラファと呼ばれる存在が誕生したのは、はるか昔。
神そのものと語り継がれる初代魔王を元にして、新たに生み出された究極兵器であった。
マインドコントローラーと呼ばれるブレスレット型の魔道具によって――例えどんなに非道な指示だったとしても――命令どおりに動いた。
生まれながらに、生みの親である魔族に従わされるだけの奴隷――それがエリンだった。
「だがな、大昔にとんでもない物好きがいたんだ。
こんな私にも【心】があると言って、旅に連れて行ったヤツが」
旅の果てに心を手に入れたエリンは、ただの奴隷であることを辞めた。
エリンを旅に連れた親友とともに、マインドコントローラーを破壊し、その支配から解放された。
――はずだった。
「私を旅に連れた物好きってのは、ディア、君のおばあちゃんに当たる。
私は今まで君の家族として暮らしていたのさ」
ディアはそんなことを少しも覚えていない。
あまりにも幼い赤子だったからだ。
「……君がたったの2歳だった時に、ベルゼーブの野郎がやりやがった」
***
破壊された家。
新鮮な血の匂い。
立っていたのは、異様に上腕筋だけ膨らんだ、似合わない化粧をした男。
その男に足で踏みつけられている、変身した魔族。
親友だった女性の娘夫婦。
ディアの両親は大怪我を負っていた。
「貴様は――」
「はじめましてぇええ。エリンちゅああん! ボクチンの名前はベルゼーブ。ベルゼーブ・バアルゼブブっていうのよ! 会いたかったわょおお!」
女と思わせるほどの甲高い声があまりにも似合わず、エリンは気持ちが悪さを感じた。
「てめぇ、私が誰か知っててこんなふざけたことをしてるのか?」
「もちのろん。魔族最強のエリンちゃんにね、ボクチンとぉおおおーーーーーっても憧れてて、会いたくて逢いたくてたまらなかったのよ!!!!」
誰かを抱きしめるかのように、両腕を肩と腰に回す。
自己陶酔が激しい変態そのものだ。
「けどエリンちゅあんが家にいなかったから、仕方なく同居人さんに挨拶したのよ! けどボクチンを見るなり戦おうとするものだからついつい張り切っちゃったわよ〜! 無駄な抵抗過ぎて笑っちゃうわ!! ザ↑ ザ↑ ザ↑ ザ↑ ざっこ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!!!!!」
エリンの脳の血管が、ブチ切れる寸前だった。
「――」
が、その憎悪を、極みに極めた闘争本能へと瞬時に変換した。
無我夢中。
一切のスキもタメも無く。
10メートル以上は離れていたであろう間合いを無呼吸で0にした。
「!!?」
気づいた瞬間には手遅れ。
避けることも受ける事もできない。
「やめ――」
かすかに一言だけ、ベルゼーブの口から漏れる。
それが最後の言葉。
徒手空拳の戦いは、相手の急所に触れた瞬間に決まるからだ。
エリンの手刀が、ベルゼーブの喉首を貫かんとしていた。
ベルゼーブはまともに反応することすら出来ずに死ぬ。
それで終わりのはずだった。
「――何?」
エリンの目が見開く。
ベルゼーブは無傷だ。
「んんんんん!!!!! いい子ねぇええ!!!! エリンちゃんは!!!! ボクチンの言うことをちゃあんと聞いてくれるなんて、心優しいのねぇえええええ!!!!」
エリンの手刀は、ベルゼーブの喉首を貫く寸前で、止まっていた。
その感覚を、エリンは知っていた。
「マインドコントローラー……だと?」
「そのとおり、ほら、見てみて!」
ベルゼーブの手首にはブレスレットが巻きつけてある。
「とっても苦労して作らせたのよ! どう? 完全再現よね! これ! だって本当にあなたはボクチンの言う通りに【やめた】のよね!」
エリンは瞬時に距離をとった。
こうなってしまってはもう、勝ち目は無かった。
だが、どうにかして目の前の夫婦を助けられないか思案する。
「……に、にげ……て」
「!?」
「あの子をつれて……にげ――が!」
更に強く、ベルゼーブに踏みつけられたディアの母親は苦痛の声を上げた。
「逃げられないわよおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!! ボクチンの命令はただ一つ――心を捨てて奴隷になれえええええええええええええ!!!!!!!!!!!!」
が、エリンは瞬時に身をひるがえし、ディアがいるであろう子供部屋へと走り去った。
「へ? あれあれ? なぜ言うことを聞かないの?」
マインドコントローラーには大きな穴がある。
魔力を大量消費すれば命令を拒否<リジェクト>することが可能なのだ。
しかし、持ち主に対して危害を加える攻撃行為だけは、究極兵器であるエリン自身に【刷り込み】が施されているため、戦うという選択肢を選ぶことは出来なかった。
「あーあ、逃げられちった……でもまたすぐに会えるわよね。ククククク、あはっはっはっは!!!!!」
ベルゼーブは高笑いするのであった。
***
「というわけで、わたしは君と共に、このユーフォリア王国に逃げた。君を孤児院に預け入れ、マインドコントローラーを対策する旅に出た」
「……」
5歳のわたしには、話の半分も理解出来てはなかった。
自分の思い描く世界と、エリンの話した現実とかけ離れすぎて、頭の中でどう想像していいのか分からなかった。
「結局は無力化の方法は分からないまま期限が来ちまった」
「期限?」
「……わたしは、程なく心を失う」
「え……?」
「わたしが魔力を振り絞って、精一杯抵抗して、今、その終わりがもうすぐ来てしまう」
心を失うとどうなるのかは知らない。
かわいそう、と、なんとなく単純に思った。
けどなぜか、エリン・ラファが笑っていた。
その笑顔を、今でも時々思い出す。
忘れることが出来ないほど、朗らかな笑みだった。
「けどまあ、悪いだけの人生じゃ無かったさ――どうしてか分かるかい?」
「ふぇ?」
「愛弟子が出来たのさ。将来、最強へと至るだろう男の子」
妙に自慢げだった。
「あいつなら、間違いなくわたしを超える。魔王もベルゼーブも徹底的に倒し尽くして、この世にそれなりの平和を取り戻してくれる――だから、わたしはこのまま去れる」
エリンはそう言って、わたしを見て、また笑っていた。
***
〜ツクモ視点〜
最後の最後までディアの話を聞いていた。
当時の自分では理解出来なかったピースが、次々とハマっていく。
「わたしの話は終わり……先生?」
皆、俺を不思議そうな目で見る。
当たり前だ、俺は尋常じゃないほど冷静ではなかった。
俺は脳裏に焼き付いた師匠の姿を何度も何度も反芻した。
事実を論理的に当てはめた結果、思いがけない真実が俺に突きつけられた。
これが真実であれば、魔王は――。
「……師匠――! エリン師匠が、魔王なのか……!」
「――先生はエリンの愛弟子なの……?」
ディアは尋ねる。
「そのとおりだ。俺は10年前にエリン・ラファと名乗る師匠に出会い、魔法の真髄を教え込まれた。俺に生きる希望と勇気と強さを教えてくれた恩人だ」
「――そんな!」
シィが驚き立ち上がる。
皆も驚いてる様子だった。
「じゃあ、ディアちゃんと先生の恩人が、魔王で――」
「ものすごく強くて、しかも操られてるなんて――」
動揺が走る。
「……」
俺は静かに黙り込む。
こういうときこそ冷静さが必要だからだ。
皆、静まった直後に、俺は口を開いた。
「ありがとうディア。師匠の話を打ち明けてくれて」
「え……」
皆に向かって、俺は宣言した。
「エリン師匠は、俺が助ける」
これは間違いなく、師匠の望みだ。
なら俺は、その恩に報いるために戦い抜く。
・
・
・
・
〜蛇足〜
先生にも、皆にも打ち明けなかった過去。
「ねえ、エリン」
わたしは言った。
「なんだい? ディア」
エリンが返した。
「まだ話して大丈夫?」
「ああ、時間の話か。今日の夕方までなら大丈夫さ」
わたしはエリンにお願いした。
「パパとママの話をして」
わたしは、パパとママを知らない。
知らないものは想像出来ない。
わたしは前に、パパとママを想像してみた。
子供の世話をして、とか。
誕生日を祝ってくれて、とか。
大切に愛してくれて、とか。
皆がわたしに教えてくれた言葉を元に、頑張って想像してみた。
白い雲のようなモヤモヤだけが、わたしの頭の中に広がるだけだった。
「ああ、いいよ。お前のママは小さな頃から恥ずかしがり屋で――」
エリンはママとパパについて、たくさん語ってくれた。
わたしの想像が色づいていく。
掴みようのない雲はだんだん小さくなっていった。
「――って感じで、お前のパパは優男に見えて血の気が多くてだな……ん? ディア」
「エリンにまた会える?」
「あー……もう会えないだろうな」
わたしは突然泣き出した。
言葉に出来ないほどのなにかが胸に溢れたからだ。
「いやだ!!! いやだぁ!!!」
そんなわたしを、エリンはゆっくりと抱きしめた。
「どんな生き物も必ず死ぬ。わたしも同じだ」
優しく話しかけてくれた。
「わたしも悲しい。ディアと同じだ」
エリンのぬくもりと言葉が、わたしを慰めてくれた。
「最後の別れまでは、一緒にいるよ」
「……うん」
「さて、話の続きを聞きたいか?」
「……うん」
最後の別れまでの間に、いろんな話をした。
別れ際には、ちゃんとさよならを言えた。
その後、また泣いた。
エリンとの出会いから別れまでの話はこれで終わりだった。
誰にも言わない、心に秘めた、蛇足の話だ。
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