神官アデラ
丸みが抜けて大人びた顔立ちになったリエナータは、上品に微笑むと白い裾を持ち上げてお辞儀した。あまりに美しい動作に本当にリエナータなのか、と目を見張る。それはメルルーシェだけではなかったらしく、隣でリメイが息を呑んだ気配を感じた。
まだ数人残っていた礼拝者たちも、明らかに他の神官とは異質なリエナータの存在に囁き合っているようだった。
「メルルーシェはアデラに用があって来たそうです。アデラ=リエナータ」
(リエナータが死の神の神官アデラになっているなんて。)
メルルーシェにとっては朗報だった。リエナータは親友だ。彼女になら全て話すことが出来るし、他の誰よりも話も聞きやすい。
「お会いできて光栄です。アデラ=リエナータ。
助言を求めて参りました。話を聞いていただきたいのです」
リエナータは久しぶりに会った親友ではあるが、今は神官アデラという大役を担っている。神官アデラに対する敬意を持って言葉を選ぶ。
リエナータはメルルーシェの言葉に微笑んでゆっくり頷くと、背後の2人に目をやった。
「その…仲間のお二方も一緒の方が良いのかしら?」
リエナータが、暗に邪魔なく2人で話したがっている雰囲気なのを感じたが、今は2人で思い出話に花を咲かせる訳にもいかない。
「この2人も同席させていただけると幸いです」
リエナータの視線からは多少の警戒を感じたものの、メルルーシェの言葉に快く頷いた。
「では住まいには案内出来ませんが、2階の応接間へ案内しましょう」
そう言ってから側に立っていた神官セティスに耳打ちをしたリエナータ。
メルルーシェが神官だった頃には2階に応接間などなかった、と変化を感じながら神官セティスたちの案内で移動を始める。
神殿司の隣に立っているエリザベートがメルルーシェを引き止める。
「モナティには宿はないけれど、泊まる所は決まっているの?」
エリザベートに何も決めていないと告げるのが気恥ずかしくて視線を泳がせた。
「いいえ。急ぎで来ましたので何も決めていませんが、私たちは外で寝ることも出来ますからご心配には及びません」
メルルーシェの言葉に神殿司が首を横に振った。
「エリザベート」
神殿司がエリザベートに頷いて見せると、エリザベートも頷き返して3人に向き直った。
「えぇ、そうですね。
今日は神殿に泊まりなさい。後で案内するように手配しておくわ。あまり遅くまで話し込まないでちょうだいね」
「…努力はします」
メルルーシェの苦笑いに神殿司が微笑みながら移動を促す。リエナータとお付きの神官たちは既に階段を上り始めている。
後ろをついて歩きながら、上を見上げるリメイが囁いた。
「ご友人なんですか?とても…綺麗な人ですね」
リメイの視線の先には、美しい紺色の髪を揺らしてこちらを確認するリエナータの姿がある。
メルルーシェのことをメル、と呼んだことで察したのだろうリメイの質問ににっこ
りと笑顔を返す。
「そうでしょう。自慢の親友よ。
まさかアデラになってたとは思ってなかったけれど…」
ラミスカは仮面魔具で顔を全て覆っているため表情を窺い知ることが出来ないが、昔からリエナータの話は聞かせてたので、話との差に驚いているかもしれない。
最後の一段だけ少し低い段差、滑らせ慣れた手すりの凹凸、鼻をくすぐるお香の香り。全てが懐かしい。
2階への階段を登ると、象徴的な6色の実をつけた木を模したガラスの橙色が床を煌々と照らしている。どの町の神殿にも必ずある色ガラスなのに、それにすら不思議と懐かしい気持ちに襲われる。
ふと、足の運びからして奥の部屋に向かっていることに気付く。
(私の部屋だった場所に向かってる?)
やはりメルルーシェの部屋の扉の前で立ち止まったリエナータは、周りの神官に何かを指示すると中に入って行った。
リエナータに付き従っていた4人の神官セティスの内3人がその場を離れて行った。残った1人がメルルーシェたちに部屋に入るように、扉の前で示している。
部屋の扉を潜ると殺風景な小部屋が広がっていた。応接間ではない。
神官の部屋としては使われているはずのその部屋には、最低限の家具が設置されてはいるものの、今はここに住む神官はいないようだった。
寝台に座り込んだリエナータが、部屋の扉が閉まる音を確認してから口を開いた。
「もう堅苦しいったらありゃしない。ほんと疲れるのよ~。
あ~~~メル~~~~どれだけ会いたかったか」
身体を伸ばしたリエナータが昔と変わらない口調で、むくれながらメルルーシェに抱きついて頬を寄せる。
「あなたの部屋、懐かしいでしょう?
少し殺風景だけれど、知らない部屋よりは緊張しないかと思って」
先程までの神秘的な姿は一体どこへ消えたのか、その様子にぽかんと口を開けたリメイにメルルーシェが思わず笑いを溢す。
(リエナータは変わってない…良かった。)
昔接したリエナータと変わってないことにほっとする。
「あなたに話さなくてはいけないことが沢山あるの。
あぁ、一体何から話せば良いだろう」
「話さなくてはいけないこと?話したいことではなくて?」
溜息混じりに呟いたメルルーシェに、不思議そうに首をかしげるリエナータ。
「えぇ、そうなの。あなたの助けが必要よ」
「待って、メル。せっかく久しぶりに会えたんだもの。
ちょっと落ち着いてゆっくりしましょうよ。ラミスカはどうしたの?」
困った様子で目を瞬くリエナータに謝る。
「ごめんなさい。私ったら紹介もせずに」
メルルーシェは後ろで立ち尽くす2人を振り返ってリエナータを示す。
「こちらはリエナータ。神殿で一緒に育った、私が一番信頼している親友よ」
リエナータに向き直って後ろの2人を順番に示す。
「こちらは同じ隊の薬類管理官になったリメイ・ユールト。ラミスカの友人よ」
リメイが仮面魔具を外して敬愛を示す動作を取る。
「そしてこちらがラミスカ」
長身で引き締まった体躯を見上げて仮面魔具を外すように仕草で伝えると、ラミスカがゆっくりとその仮面魔具を収納して、褐色の肌に精悍で端正な顔立ち、深い藍色の瞳が露わになった。
リエナータがぽかんと口を開けてラミスカを見上げている。
それはそうだろう。筋骨逞しい同世代の男性を指して、今10何歳の少年に育っているはずのあの時の赤子です。と紹介されているのだから。
「リエナータ、ラミスカのことは後で説明するわ。それよりも大事な用件があるの」
自分が無茶なことを言っている自覚はあったが、戦争が差し迫った今時間がない。
「それが後って…これ以上私をどう驚かせるの?」
頭痛を抑えるように額に手を当てたリエナータ。肩に乗っていた紺色の長い髪の束がさらりと落ちる。
「もう戦争の再開まで時間がないの。それまでに私は宵の国に向かわなくてはならない」
「宵の国に向かうだなんて…メル、冗談でもそんなことを言うのはやめなさい」
リエナータがきっ、と目力を強めてメルルーシェを睨む。
「リエナータ、順を追って説明するわ」
メルルーシェは順を追って説明を始めた。
慈愛の神ルフェナンレーヴェが現れて、今起こっている戦争は死の神イクフェスと戦の神テオヴァーレが促していることと、2柱が結託して安穏の神テンシアを眠らせて宵の国に閉じ込めていることをメルルーシェに伝えたこと。
このまま安穏の神が眠ったまま目を覚まさないと、封印されている災の神ヴェレが目覚めてしまう。そうなると人間界だけではなく神の世界も混乱に陥ること。
神では宵の国に足を踏み入れることができないため、慈愛の神の魔力を色濃く持つ人間を生み出し宵の国に向かわせることにしたこと。それがメルルーシェだということ。
黙って聞いていたリエナータは、鼻の穴を膨らませて激昂していた。
「なんて勝手なの。
大役を任されたとも考えられるのだろうけど、私にはとてもそうは思えないわ。神々の争い事の尻拭いじゃない。もしもメルが失敗したら一体どうなるの?」
自分のために憤ってくれることが少し嬉しくて、そして常に自分の頭にあった不安を言い当てられて身がすくむ。
宵の国にはラミスカも共に向かうと、そう言ってくれたけれど、慈愛の神ルフェナンレーヴェから教えられた通りに安穏の神テンシアを連れ出せるかどうかはメルルーシェにかかっている。
「私だって不安よ。だから信頼できる仲間を集めているの。
それに目的は宵の国に向かって安穏のテンシアを目覚めさせるだけじゃない。私自身も宵の国から戻って来たいの」
「勿論よ。当たり前のこと言わないで。そのまま死ぬなんて許さないわ」
憤ったままの勢いでぷんすかと返したものの、我に返ったリエナータがばつが悪そうにメルルーシェに謝る。
「あなたに怒ってるわけじゃないのに、ごめんなさいね」
「いいえ、リエナータがいつも私の味方をしてくれることは分かっているもの」
メルルーシェが微笑むと、リエナータが目を潤ませながら抱きついた。
リメイが「お二人は本当に仲が良いのですね」と言ってくすっと笑いを溢した。心なしかラミスカの表情も柔らかい。
続けて、内密の話ではあるが、この数日の内に休戦が解除されると上が判断していること。開戦までに宵の国へ向かい安穏の神を救う計画を立てていること。宵の国について首都フォンテベルフの本の館で調べただけでは情報が全く足りなかったため、死の神の神官アデラに助けを求めに来たことを伝える。
「それで大慌てって訳なのね」
神妙な表情でそう呟いたリエナータに頷く。
「リエナータ、あなたに教えて欲しいことがいくつかあるの」
「答えられることであれば勿論協力するわ」
何から質問するかを考えて一度口を噤む。
「まず一つ目は、宵の国での時間の流れについて知りたい。
本の館で死んですぐに生き返った人の手記を見たのだけど、その人はほんの少しの間しか死んでいなかったのに、宵の杯人探しの旅を経験したらしいわ。それで私が生きて戻るためにも、人間界との時間の差について知る必要があるの」
深く俯いたリエナータがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうね……宵の国は凪、流れのない空間よ。過去や現在、未来といった時間の流れがないに等しいの。宵の国へと続く旅路もそうよ」
「時間の流れがない?よく分からないわ」
「そうよね。私だってよく分からないもの。
アデラでも宵の国の入り口までしか行けないし……。
ただ祈りの奉納の儀式を終えて戻っても人間界では時間は経っていないわ」
「アデラは宵の国まで行くことが出来るのか?」
すかさずラミスカが声を発したせいで、リエナータがびくっと肩を上下させた。メルルーシェにとっては慣れた耳心地の良い声でも、初対面だと低く威圧的な響きに聞こえるのかもしれない。
ラミスカの反応も分かる。アデラであれば死なずとも宵の国へ入れるかもしれないという可能性が頭に過ったのだろう。
「答えは“出来る”だけれど、アデラはその神に選ばれた神官。その他の者は招かれない限り行く事は出来ないでしょうね」
「招かれる?神が人間を招くのか。何故だ?」
夢に死の神が現れたメルルーシェには状況が何となく想像出来るが、経験していないとあまりぴんと来ないのかもしれない。
疑問符を浮かべるリメイとラミスカに、リエナータが呟く。
「まずは神官アデラが何をしているかを説明する必要がありそうね」
穏やかに口が弧を描いた。
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