モナティ神殿




「気をつけて~。二日後、北のハプシェンでまた会いましょう」


おどけたような大袈裟なお辞儀で前に投げ出されたカシムの水色の髪が、小刻みな揺れに襲われて見えなくなった。視界が黒く滲んで次の瞬間、別の部屋に転送されていた。


込み上げる吐き気は、すでに耳元に塗っておいた酔い止めの薬のおかげか、随分と良くなっていた。転送技師が手際良く体調確認と問題の有無を聴取して、荷物を受け渡されると部屋から出される。


先に転送されていたラミスカとリメイが、後から現れたメルルーシェにほっとした顔を向ける。転送魔具は何度使っても緊張するものだ。


「リメイの言うとおりアジェの蔓を混ぜると結構効くわね」


吐き気を止める効果があるヤックの粉末をヒュッセラの鱗粉で効果を増して作っていた酔い止めの塗り薬だが、リメイの提案で西地方で馬車酔い止めに使われるアジェという植物の蔓を乾燥させたものを混ぜてみるととても良く効く酔い止めを作ることができた。


「そうだね。これは転送に弱い兵士を即戦力にできる優れものだよ」


そう頷いたリメイがミーヒェの葉を噛みながら「効く~~」と刺激に顔をしかめている。もはや転送後の習慣なのだろう。


ハッセルの転送所を出た3人は、モナティへと向かう装着魔具付きの馬車を手配して乗り込んだ。



「それにしてもまた休戦が崩れるなんて、大変なことになるね」


重い表情で呟いたのはリメイだ。

メルルーシェに対して緊張がほぐれてきたのか、少し打ち解けてくれたのか、敬語が少なくなってきた。ラミスカはしばらく何かを考え込んでいるようで、黙ったまま窓の外を眺めている。


「また戦争が始まる前に安穏の神テンシアを宵の国から連れ出せば良いのよ。きっとテンシア様が目覚めれば争いは収束する」


半ば自分に言い聞かせるように呟いたのは、戦争の爪痕が決して簡単に元に戻るようなものではないと、前回実感したからだった。


失われた命は戻らない。


10年前に終戦を迎えた30年続いたダテナン戦争も、国境で他国の介入を含む小さな紛争が断続的に続く中、30年間で大規模なぶつかり合いは4、5回だったとされている。


また戦争が起こる前に、何としても宵の国へ向かうのだと決意を固めた。



「モナティはメルルーシェさんの故郷なんでしょう?」


メルルーシェの決意に頷いたリメイは、明るい声でそう切り出した。


「えぇ。生まれはさっき到着したハッセルなのだけれど、物心ついてから育ったのはモナティよ」


「ラミスカとメルルーシェさんは家族だから、ラミスカもそうなの?」


リメイの疑問にラミスカと顔を見合わせる。

モナティの神殿に向かえばメルルーシェの“息子”の話が耳に入る可能性が高い。リメイには出自のことを話しておこうと、転送前にラミスカと2人で決めたのだった。


「リメイ、はっきり伝えてなかったが、俺は赤子の頃に神殿でメルルーシェに拾われたんだ」


ラミスカの告白にリメイが目を白黒させる。


「赤子の頃?って…メ、メルルーシェさんは一体いくつなの?」


リメイはラミスカは大人びているだけで、自分とは2、3歳程度しか離れていないと思っているが、ラミスカの前の世の話を聞く限り、今のラミスカの歳はメルルーシェとそこまで違わないはずだ。


身体が元に戻っている、と仮定するならばの話ではあるが。


「ラミスカは特殊な事情で幼少期の身体の成長がとても早かったの。

神の干渉があったと、私は考えているわ」


メルルーシェは、ラミスカがニアハだった頃には触れないように、簡潔にラミスカを拾って育てることになった話をした。


「つまり、メルルーシェさんはラミスカのお母さん代わりなんだね」


納得したリメイに、ラミスカがすかさず反論する。


「母親じゃない。メルルーシェは……」


口籠もったラミスカは、自分のニアハとしての人生を話そうとしてやめた。


「安穏の神を助け出したら全て話す。とりあえずメルルーシェと俺は家族なんだ」


リメイはラミスカの苦しそうな言葉に頷いた。



またしても突拍子もない話を聞かされたこともあり、しばらくは何かを考え込んでいたリメイだったが、窓の外を覗きながらぽつりと呟いた。


「僕、南の方は初めて来たんだけど緑の質が西とは全く違うんだね」


「そうね。私も北のエッダリーで森を見た時同じ事を思ったわ。北と西はまぁまぁ似通った植物が多いけれど、南は空気も地質も違うせいか緑も濃くて蔦状のものが多いのよ」


「南ではたまに土魔法の使い手が生まれるって聞くよね。地質のせいなのかな?」


「そうね…その辺りは首都の魔力研究所で既に研究されてるんじゃないかしら?私たちのような一般人には研究成果はわざわざ公表しないもの。他国の目もあるしね」


リメイとは興味を持つ話が似ていることもあり、話が弾むふたりだった。ラミスカは静かにそんなふたりを見守っている。


「貴方が伯父様に伝えた薬師と癒し魔法の使い手の話、私もずっと考えてきた事なの」


メルルーシェがそう切り出すと、リメイは照れくさそうに頬を掻いた。


「メルルーシェさんと初めて会った時、あの日ずっと感じていたもやもやが晴れたんだ。薬師も癒し魔法の使い手も、互いの領域を侵さないように一線を引いているけれど、メルルーシェさんのような癒し魔法と薬草にも精通している癒し手がこの国に増えれば、きっともっと癒しの幅が広がるって」


「その通りね……けれど……」


「問題点もある」


表情を曇らせたリメイに頷くメルルーシェ。


二つの技術が合わさったものが一般的になったとき、癒し魔法の使い手は救済されるのに対して、癒し魔法を使えない薬師は今よりも立場がなくなっていくこと。


治療前に行う透視の技術が薬師に欠けていること。

ゼリャニンをすり潰した軟膏を塗って透視の代用を行うものの、やはり効果が短いという問題。癒し魔法の使い手といっても、皆が皆人体に癒しを施せるほど魔力の精度が高くないこと。


リメイとメルルーシェは懸念点を話し合った。

黙って聞いていたラミスカも混ざってそれらの問題について意見を述べる。


癒し魔法の使い手はそもそも数が少ない。

魔力を持っていても癒し魔法を扱える者はもっと少ない。薬師達がいなければ街の治療は手が回らないだろうし、二つの技術を持つ癒し手が増えることは国にとって良い方向に向かうと言って間違いない。しかし個人に焦点を当てると一考の余地が有る。


3人は馬車に揺られながらそう結論付けた。


「誰でも癒し魔法が使えるようになれば素敵なのになぁ」


リメイの呟きは己の願望のようだった。


「宵の国から戻っても私たちにはやるべきことが山積みね」


メルルーシェがくすりと笑うと、リメイも目を輝かせて笑った。


「うん、まずは協力の必要性を実際に見せないといけない所が難しいね。メルルーシェさんに効果的な実演をしてもらわないと」


馬車から見える青い空に橙が混ざり始めた頃、懐かしいモナティの町の門が見えてきた。


馬車を降りる前に仮面魔具を身につけたリメイとラミスカ。メルルーシェは顔見知りとして神殿を訪れた方が融通が利くだろうと踏んで素顔のままだ。


懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込んで、モナティの町を見渡す。

屋根の低い横広の家々には蔦が這っていたり、可愛らしい木彫り細工が施されている。周りの建物が低い分、2階建てのモナティ教会が遠くからでもよく見える。


ふたりは物珍しいようで、仮面魔具をつけたままきょろきょろと建物や木を見渡してはメルルーシェにあれやこれやと尋ね、メルルーシェは懐かしさを胸に様々なことに答えるのだった。


神殿が近付いてくると、傍を歩くラミスカが口を開いた。


「神官のアデラといったか?それが“神に直接仕える偉い神官”のことか?」


ラミスカとリメイは神殿について一般的に知られている程度の知識しか持ち合わせていないのだった。


「その通りよ。ごめんなさい、神官について説明していなかったわね」


メルルーシェはしまった、と顔をしかめた。


「神官にはアデラとセティスがいるの。

生涯結婚をすることも異性との接触も禁じ、一生を仕える神の神殿で過ごす神官のアデラ。神殿の役に立つ魔力を持つ者や、アデラに仕え働くために神殿入りする神官のセティス。

私は癒し魔法の使い手として神殿にいたから、神官アデラのお世話に携わる時間なんて殆どなかったわ」


「へーじゃあいつも礼拝に行ったときに見かけるのは神官セティスなんだね」


「えぇ。普通の礼拝者が神官アデラを見かけることはまずないはずよ。

アデラは神官以外の立ち入りが禁止されている神の庭に特別な住まいを設けていて、神殿に足を運ぶのは閉殿してからだから」


「神の庭って神殿の周りの森で清め湯がある所だよね?」


「そうよ」とリメイの言葉に微笑む。


「何人もいるのか?」


「アデラは1柱につき1人。モナティ神殿は死の神イクフェスただその神しか奉っていないから、アデラも1人よ」


ラミスカはなるほど、と頷いた。


神殿への道を歩いていると、一部白い布や服を纏った人々とすれ違う。

戦争にひと段落ついた後は、死の神を奉る神殿への礼拝者は増える。絶えず人が祈りにきた日々を思い出して胸が痛む。


目前に迫った神殿の門を潜ると、礼拝堂内に神官の姿がちらちらと見える。

白い布を纏っていないメルルーシェたち3人の姿は少々目立つ。見知った顔がいないか探っている内に、すぐに顔の知らない神官が要件を伺いに来た。


「神殿司に会いに参りました。以前ここで神官として働いていたメルルーシェと申します」


いきなり神官アデラに会いにきたとも告げられないのでそう告げると、メルルーシェの両脇に控える仮面魔具をつけた兵士を不安げに見上げる。この時期ということもあり兵士の礼拝も珍しくはないはずだが、メルルーシェがモナティの神官だったと名乗っても固い表情は変わらなかった。


「神殿司は体調を崩しておりまして、誰ともお会いになれません」


困惑した様子で首を横に振った神官に、断り文句と知りながら食い下がる。

神殿司の執務室も寝室も、メルルーシェにとっては聞く必要もない既知の情報だが、客人として訪れたからには手順を踏む必要がある。


「癒し魔法の使い手ですので、何かお手伝いができるかもしれません」


男性神官は軍装に身を包むメルルーシェをじっと眺めた。首を横に振りかけたその時、後ろから女性の声が聞こえた。


「セティス=マレー、私が案内します。下がって」


男性神官の後ろから現れたのは神官指導官のエリザベートだった。


「エリザベート様……お久しぶりです」


神官らしく腰を折ってお辞儀する。

エリザベートと目が合うと少し緊張して自然と背筋が伸びる。エリザベートは歳を重ねたものの、思慮深そうな深緑の瞳の輝きは変わらず、メルルーシェを見てふと表情を和らげた。


「久しぶりね。セティス=メルルーシェ…いえ、今はセティスではなかったわね」


どっと懐旧の情が湧き出して顔が緩む。


役職上誰にでも厳しいエリザベートは、その芯にある優しさが温かい、メルルーシェが大人の模範として見てきた女性である。


エリザベートが執務室へと向かいながら口を開く。


「案内するわ。今は少し兵士に対する警戒が強いの。この神殿の出だと告げたのに、がっかりさせてしまってごめんなさいね」


何かあったのだろうと推測しながら頷いた。


「神殿司は本当にお加減が悪いのですか?」


「いえ、歳相応というだけよ。癒しが必要な程ではないわ」


ほっとした表情のメルルーシェを見てエリザベートが微笑んだ。


「立派な大人になったのね」


くすぐったい思いで謙遜をしながらも、認められたような気がして嬉しかった。


軍装や後ろのふたりへの視線を感じて、エリザベートに紹介する。


「今は軍の癒し手として働いているのです。この2人も隊の仲間です」


肌が見えないように顔全体を仮面で覆っている背丈のあるラミスカが、胸に手を当てて丁重に敬意を示し、口元だけ見えるリメイも笑みを湛えて礼を行った。


「あなたの仲間なら大丈夫ね」


エリザベートがほっとした様子で礼を返す。


何があったのか尋ねようとしたが、大方問題というのは限られていて、大体が荒れた兵士の素行の悪さが原因だろうと踏む。


「素行の悪い兵士がいたんですか?」


「えぇ。まぁ複数人が数日に渡って仲間の死を悼んでおられたのだけれど、女性の神官に害をなしたので神殿司が相当お怒りになったの」


そんな話をしている内に執務室の扉の前に到着した。リエナータがいるのかを聞きそびれたまま、客人の訪れを告げて扉は開かれた。


書類に埋まったように椅子に腰掛けた神殿司が顔を上げた。

より深くなった顔の皺や目の下のくまが目につく。


「おぉ。メルルーシェ」


声は昔よりも掠れていて、蓄えられた髭がもぞもぞと動いて笑顔を作ったのが分かった。


「お久しぶりです。神殿司」


腰を折って丁重なお礼を行う。


神殿司はエリザベートを近くに呼んで何やら耳打ちを行った。エリザベートがお辞儀を行なって執務室から出ていくと、座るように促される。


「今は軍の癒し手として働いておりまして、こちらが仲間の……ゼス候補兵とユールト薬類管理官です」


ラミスカのことも神殿司には伝えるべきだろうが、とりあえず時間も少ないので形式的に挨拶を済ませることにした。


優しげに頷いた神殿司がメルルーシェに近くに来るように手をこまねいて、遠慮気味に口を開く。


「息子はどうした?元気かな?」


想定していたがドキッとする質問だ。


同僚の前で口にしていいものかと一考してくれたのか、小声で耳打ちされた。


「えぇ。とても元気にやっていますよ」


2人にも聞こえるように答えて、特に聞かれて困る話でもない、ということを暗に示すと神殿司が微笑んだ。


それからはエッダリーでの暮らしについて、用意してもらった家のお礼、薬師として生計を立てたことなどを話した。


「君がここでオウレット卿に啖呵を切って行った日が昨日のことのようなのに、時間は残酷だ。私も老いさらばえたものさ」


「啖呵を切ったとは?」


何故かラミスカが興味を持ったようで珍しく声を発した。


「彼女の息子をね、客人が貶したことがあった。普段大人しいメルルーシェがそれに激しく憤って、それはそれは16歳の少女とは思えない口ぶりだったよ」


「神殿司、昔の話はおやめください」


顔から火が吹き出しそうになる。


「伯父さんにだけじゃなかったんだね」


悪戯っぽく笑っているのだろうリメイを、顔を真っ赤にしたまま睨みつけるも、そんなメルルーシェを見て神殿司が穏やかな笑い声を上げた。


「神殿司、本日ここに伺ったのは用件があったからです。

死の神のアデラに会わせて欲しいのです」


咳払いをして本題を告げると、神殿司が片眉を吊り上げた。


「アデラに?奇遇だな、先程呼んでおいたのだ。

礼拝堂に行ってみなさい、もう待っているかもしれない」


用件も知らない神殿司が何故アデラを呼んだのか、分からないまま執務室の扉を潜って足速に礼拝堂に向かう。神殿司もラミスカとリメイもメルルーシェの後についてきている。


廊下の床に落ちた色ガラスの光は橙から赤に移ろうとしていた。

殆ど礼拝者が居なくなった礼拝堂の中心に、美しい紺色が見える。


(あの方がアデラなのかしら。)


自分の記憶にあるアデラと髪色が違う気がするものの、興味にかられてメルルーシェが近付くと、手入れの行き届いた美しい紺色の長い髪を弛ませて顔を上げた女性は、丸く可愛らしい黄味がかった薄茶の瞳を細めて微笑んだ。


「お帰りなさい、メル」


張り詰めていた糸がぷつりと切れたような気がしてじんわりと視界が滲んだ。

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