危惧



「神々は、人間の祈りが力の源なの。

人間は神に祈りを捧げて、神は自分たちを崇め奉る人間に、魔力と加護を与える。そうして成り立っているの。神官アデラは、神殿で集められた“人々の祈り”を神の御前に届ける役目を与えられた、神に選ばれた人間、という感じかしら」


リエナータが神妙な顔で「あ、選ばれたっていってもただ運が悪かった“運び屋”みたいなものよ」と言うものだから、一気に神秘性が薄れてリメイが笑っている。


「神官アデラに選ばれるのは、夢で神の庭に呼ばれた神官なの。先代のアデラ=イリーヌア様が宵の国に旅立たれたその夜、神官は皆私が神の庭に呼ばれて行った姿を見たわ。だから私がアデラに選ばれた」


リエナータの黄味がかった茶色の瞳がメルルーシェの瞳を覗く。


「けれど私は…メル、あなたが死の神の御前に招かれている姿を見たわ」


ごくり、と息を呑む。

もしかするとリエナータはあの時のメルルーシェと死の神を見たのだろうか。


口を開きかけたが、リエナータが言葉を続けたのでまた話すことにした。


「アデラは祈りを届ける儀式を行うの。

死の神の神官アデラである私は、儀式の時だけ宵の国の門を潜ってすぐの神灯に祈りをくべるの。その神灯より先には進もうと思っても進めないから、実際は宵の国の中に入ったことはないの」


「分かったわ……ありがとう。

宵の国にいる間、人間界では時間が経過しないのね」


自分の声に安堵が滲み出ていた。

ラミスカとリメイに目をやると同じように安心したようだった。これで清め湯の使用許可さえもらえれば、理論上は宵の国へ向かって帰ってくることが可能だ。


「私は儀式を通じてあの場所まで向かうけれど、メル、あなたはどうやって宵の国へ向かうつもりなの?」


リエナータが困惑気味に3人を見比べる。


「枯れ木病って知っている?」


リエナータが首を横に振ったので説明を続ける。


体内の魔力が失われていって、最終的には魔力が枯渇し生命力を奪っていく病。

枯れ木のような姿になっていくことに由来する病名。

死ぬ直前はもう身体を動かすことも出来ず、ただ眠りにつくように横たわって死んでいく。そんな状態を仮死状態と呼ぶこと。そして魔力を供給することさえできれば枯れ木病はたちまちに回復すること。


メルルーシェの説明が不足しているときはリメイが補足してくれた。


「清め湯が使えれば、一度死んでからすぐに魔力を供給して生き返ることが可能なんじゃないかと、私たちは仮定しているわ」


リエナータは唖然とした様子で「よくそんなことを思いつくわね……」と呟いた。


「それで清め湯が使えないと話にならないの。使用許可は出ると思う?」


「神殿司は昔からあなたに甘いし、大丈夫でしょう」


神殿司が自分に甘いと感じたことなどなかったが、しれっとそう返されたので、リエナータも幼心に何か感じることはあったのかもしれない。


「俺も一緒に宵の国へ行くつもりだ。清め湯の許可は俺にも出るか?」


ラミスカを一瞥してメルルーシェに身振りで“正気か?”と尋ねるリエナータ。


「ラミスカ、宵の国へ向かって無事に帰ってくる方法を見つけたのだから、あなたまで一緒に向かう必要はないわ」


「メルルーシェ、1人にはしない」


言葉に詰まる。

確かにラミスカが一緒に来てくれればどれほど心強いだろうか。


しかし慈愛の神ルフェナンレーヴェは、ラミスカのことを“宵の国に入ることも叶わぬ、まつろわぬ者”と称したのだ。



ラミスカとメルルーシェを見比べたリエナータが、首をすくめて「なるほどね」と呟いた。


「残念な知らせになってしまうけれど、同じ時に死んだからといって同時に宵の国に迎え入れられる訳ではないの。

宵の国では時の流れが違うと話したわよね?」


その時、扉を叩く音が響いた。

ラミスカが素早く仮面魔具を装着し、リエナータが背筋を伸ばして返事を返す。


扉を開けたのはエリザベートだった。


「今日はここまでよ。お客様はお部屋に案内しますのでこちらへ。

アデラ=リエナータ。住まいにお戻りください。セティス達が休むことができません」


エリザベートのてきぱきとした振り分けに、扉に近かったリメイとラミスカが戸惑いながらも外に出る。

上品に頷いて部屋を出て行こうとしたリエナータに小声で尋ねる。


「リエナータ、ダテナン人が宵の国へ入ることができないって本当?」


「そんなのはただの迷信よ。

宵の国はどんな民族も受け入れるわ」


リエナータの言葉にほっとして頷く。

メルルーシェもエリザベートの後ろにつくと、リエナータに振り返った。


「また明日」


リエナータの口元がそう描いたように見えた。



3人は神官の空き部屋に別々に案内された。

メルルーシェは、ラミスカの部屋に向かうかを悩んで、自室の扉の前をふらふらと歩いていた。ふたりだけで話した方がいい気がしたからだ。


決心して部屋の扉を静かに開けると、軽やかな身のこなしで音を立てずにラミスカが案内されていた部屋の前に到着する。


扉を叩く訳にもいかない、と少しの間おろおろとしていると静かに扉が開いて、隙間からラミスカの驚きで見開かれた瞳と視線が交わる。


部屋に招き入れられると、小声で「どうしたんだ?」と心配そうに頬に触れられる。手を重ねてゆっくりとおろして、口を開く。


「宵の国へ行く話はふたりだけでした方がいいと思ったの」


「そうか」


しばらくの沈黙の後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「リエナータは、一緒に死んだとしても宵の国で合流できる訳ではないと言っていたわ。本当は……あなたが側にいてくれたら心強いと、思った。危険な場所へ一緒に来て欲しいだなんて、あなたを守りたいと思っているはずなのに……」


壁にかけられた灯杖に照らされ、濃い陰影を作るラミスカの顔を見上げてはっとする。あの日、口付けられた時と同じ表情でじっと自分を見つめている。


急に羞恥心に襲われて顔が熱くなっていくのが分かる。こんな時間に部屋を訪ねるなんて、まるで。


表情とは裏腹に、ラミスカは静かな口調で囁く。


「メルルーシェ、望むなら何をしてでも着いて行く。

待てと言うのなら待とう。

ただ生きて帰って来てくれれば、それだけでいい」


心臓を掴むようなその言葉に、何かが満たされていくのを感じる。


(ただ一つの目的のために生み出されたのだとしても、私には私を必要とするラミスカがいる。)


ラミスカがメルルーシェを必要としているように、メルルーシェもまたラミスカが必要なのだと気付く。既に彼は、自分が生きて帰ってくるための理由なのだから。



気付いてしまったことで、自分の中の何かが崩れ落ちていくようで、それから身を守ろうと色々な感情が詭弁を始める。


(ラミスカはまだ可能性を知らないだけ。自分は母親としてラミスカと接していくべきだ。)


(これは恋愛感情じゃない。ラミスカへの責任感と同情にも似た感情。)


何か言わなくてはと口を震わせる。


(この人と一緒に生きていきたい。)


そんな感情に目をつぶって、揺れる声で答える。


「一緒に死んでも合流できなければ意味がないわ。

貴方には私の体を見守っていてもらおうかしら。

けれど…魔力が枯渇して枯れ木のようになった姿を見られるのは辛いわね」


そう言って微笑む。うまく笑えているだろうか。


「どんな姿だろうとメルルーシェはメルルーシェだ。俺が気にする訳ないだろう」


真顔で答えるラミスカは、ラミスカらしい。


上手くいけば開戦までに戦争を止められる。そうなった後は……ラミスカとの関係を今一度考えなければならない。


「一緒に眠りたい。ひとりの寝台はぽっかりと穴が空いたようだ」


胸を押さえたラミスカに苦笑する。


「神殿に客人として訪れているのよ、そんな訳にもいかないわ」


ふと机の上に置かれた仮面魔具が赤く点滅しているのに気がついた。通信が入っている状態だ。ラミスカもメルルーシェの目線に気付いて仮面魔具を持ち上げ装着する。


一瞬ラミスカの纏う空気が変わったのを感じた。


「開戦の知らせだ」


その呟きに背筋が冷える。

ハーラージスの予想よりも早い。いや、早すぎる。まだ準備が整っていない。


すぐにリメイの部屋へ向かうラミスカを追って考える。

2日間の猶予をもらっているから、移動を考慮してもあと丸1日は自由にしていても問題ない。メルルーシェの最優先事項は、清め湯の近くで仮死状態となり宵の国へ向かうことだ。自分を落ち着かせるように言い聞かせる。


ラミスカが躊躇なく扉を叩くと、眠たげなリメイが顔を出した。


「リメイ、仮面魔具から開戦の知らせの通信が入った」


一気に覚醒した様子のリメイが中に引っ込んでいった。


モナティはベルへザードの最南端の町だ。北西のロズネル公国からは遠く離れているし、ダテナン国も西寄りの南に位置するため、戦場になる心配はないはず。


そんなメルルーシェの予想を嘲笑うように大地が震えた。


不安に駆られた神官達が灯り杖を手に続々と部屋から出てくる。


「メルルーシェ、装備を」


ラミスカがメルルーシェにそう告げて、自身も自室へと向かう。


メルルーシェは部屋ですぐさま着替えて腹鎧と仮面魔具を装着して階段へ向かうと、不安の声が飛び交う礼拝堂でエリザベートが統率を取っている姿が見えた。


同じように軍装に身を包んだラミスカとリメイが階段を滑り降りる。


《えす…。ケールリンに第4、アガテナに第5師団を展開》


仮面魔具からは絶えず各師団の拠点の指示が飛び交っている。

やはり敵地に面している南西から北東にかけて、師団が分かれて待機させられているが、警戒度の薄い最南端に位置するモナティから東側は、療養中の第6師団が充てられるようだった。


第6師団も西側に待機しているため、転送魔具を使っての移動は時間がかかるだろう。


何度目かの地響きで神殿の色ガラスが割れて悲鳴が上がる。




窓から離れるように声をかけて割れた窓から外を見やると、異変に怯えた町の人々のが徐々に神殿に集まり始めている灯りが見える。


神殿司がメルルーシェを見つけて駆け寄ってくる。


「メルルーシェ、これは一体…」


困惑気味に軍装に身を包むメルルーシェを眺める視線を感じる。


「神殿司、休戦が崩れたと連絡がありました。

南の防衛には第6師団があたりますが、移動と転送を考えるとすぐには到着しません」


ざわめきの中でも聞こえるように声を張る。


「街の人々を避難させて、負傷者受け入れの準備を。

そして私と残りの2人に、清め湯の使用許可をいただけませんか?」


リメイはメルルーシェの近くで死を見届け蘇生を行う必要がある。ラミスカもいざというときに使える方がいい。



神殿司は迷ったようだったが首を縦に振った。


神殿の扉を叩く音が響いて町人が次々と流れ込んでくる。リメイがラミスカの肩を掴んで外を指している。メルルーシェも視線を辿ると、仮面魔具が暗闇の中で駆ける数多の魔兵器の姿を捉えた。


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