第30話 真の創設者(現実世界シリアス編、決断)

 リノリウム貼りの冷たい廊下を裸足でペタペタと歩いていると、とある場所から話し声がする。


 折角、病室からバレないように抜け出してきたのに、今、ここで関係者に姿を晒すわけにはいかない。

 僕は足を止めて柱の影に身を潜めた。


 声の主は2つ、この先の曲がり角を過ぎた先から聞こえてくる。


 参ったな。

 外に出て、素足を怪我したくないから、ここから逃げるために、どこかで履くものを調達したいところだったけど……。


「どうやら逃げられたようですね」

「お姉ちゃんどうするの?」

「大丈夫ですよ、さくら。部屋にスリッパがあったままですし、まだそんなに遠くまでは行ってないはずですよ。それにこちらにこれがありますから」


 相手の一人はあの桜のようだ。


 それにスリッパの痕跡を残したのは迂闊だった。

 焦らずにもっと部屋を冷静に見渡していれば……。


 いや、こんな場所で目が覚めて落ち着いて対処できる方が普通じゃない。

 混乱してその場で発狂するよりかはマシだ。


 ──静まりかえった通路で『カチャリ』と金属が軋む音が耳に伝わる。

 ここからでは何かは判別できないが、二人の会話のやり取りからして、何かしらの武器の音であることは間違いない。


 その武器が遠距離か、近距離か。

 それが分かるだけでも鉢合わせした時に対応ができて有利なのだが……。


「桜はこのフロアを捜して下さい。わたくしは一階に降ります」

「気をつけてね。耀子ようこお姉ちゃん」


 ふと少しばかり思い出したことがある。

 僕は異世界にいて、その世界を滅ぼすためにこの現実世界に戻ってきたんだ。


 ようこ……確か異世界のオオゲサ王国でのヨーコ王女だったか。

 そう言えば異世界でのサクラは姉がいると言って仲良くしていたな。 

 確信は持てないが、彼女がそうなのか?


「桜、ここではその呼び名は禁止ですよ。仮にもあなたはここのプログラムの責任者なのだから」

「ぶぅー、もう深夜だし、私たち以外、誰もいないからいいじゃん」

「いえ、もしこちら側に意識がある患者さんが聞いていたらどうするのですか?」

「その一人がじんだと?」

「まあ、そういうことです。それよりも急ぎましょう」


 速くリズミカルなヒールらしき音がカツカツと廊下中に響き、こちらに迫ってくる。

 僕は迷わずに後ろに向き直り、反対方向の廊下へと走るが……。


「あれ、体が動かない!?」


 急に体が痺れ、床に膝をつく。

 後頭部から感じる漏電のような衝撃。


 痛みと痺れでやむ無くひざまずいた先に、いつの間にか、白衣を着た桜が僕の前に回り込んでいた。


「ふう。やっぱり正解か。ここら辺にいたわね」

「そ、その鉄砲は!?」

「うん。麻酔銃なんだけど、これを食らってよく意識があるね?」


 桜が銃の引き金に指を入れ、西部劇のガンマンのような手慣れた動作でクルクルと銃を回し、腰に身に付けたホルスターにしまう。

 

(結局、何回転生しても同じ結末なのか……)

 

 その手慣れた手つきに僕の心が奪われる。

 また、今回も駄目なのかと……。


「さあ、観念して実験室に戻ろうか」

「ああ……お前らの好きにしろ」


 早くも絶望に満ちた僕は彼女に素直に従い、その場に座り込む。


「──さあ……きゃっ!?」


 すると、途端に僕の胸元から何かが光だした。

 いや、これは親父から貰った例のブローチからだ。


「これは確か、勇者のブローチだったな」


 毎回ながら、この勇者のブローチの効果には驚かされる。

 うろ覚えだが、前回もピンチの時はコイツが助けてくれた記憶があったからだ。


 もしや、このアイテムは神の遺産かと疑ってしまう。


『……仁、聞こえるか?』

「えっ、その声はまさか!?」


 桜が光害レベルの眩しさで腰を抜かしている中、そのブローチから言葉が漏れ出す。

 聞き慣れた親父の声だった。


『──この声はわたしが事前に録音した音声で現実にはこの病院のような施設に監禁されている。もう1週間にもなるが、ろくな食事をもらっていない』


 音声が途切れて聞き取りづらいのが難点だが、親父が何かを伝える意志はくみ取れる。

 僕は黙って、首からブローチを外して、右の聞き耳に当て、親父からの言葉に耳をすます。


『──わたしはもうじきここで死ぬだろう。だが、仁よ。希望を捨てるな。その胸元にあるブローチから勇者の剣を取り出し、この場所を破壊しろ』


 破壊、勇者の剣。

 そうだ、僕は幾度もの世界を勇者の剣で切り開いていた。


 それは僅かな僕の記憶の片隅に残っていたものだ。


『──ここの地下にある異世界を起動しているマザーコンピューターを破壊するのだ。並みの攻撃は通用しないが、この次元を切り裂く勇者の剣なら壊すのも簡単だろう』


 勇者の剣で次元を斬るか……ファンタジーみたいな感覚が拭えないな。

 でも、ここはゲームの世界ではない。


『──いいか、何があっても躊躇ためらうなよ。これはわたしからの忠告だ。絶対に破壊しろ。例え、相手が……あろう……と……』


 音声はそこで完全に途切れ、砂嵐のようなノイズ音だけが響く。

 この音声から分かったこと、それは既に親父はこの世界にいないということに……。


「ああっ、目がチカチカして見えない……」


 チャンスは今しかない。

 僕は目がくらんでいる桜の元をすり抜け、階段をかけ降りていく。


 ブローチから出現させた剣を背負い、親父がくれた奇跡を胸に刻みながら……。


****


 地下に降りた僕の前には沢山の赤と白のビニールのコードを身体中に繋がれて、実験台らしきベッドに眠っている女性がいた。


 彼女を繋いだコードの先には巨大なテレビ画面のようなモニターが所狭しと並んでいる。

 こんなにもディスプレイを揃えて、ここで大きな株券の取り引きでもやっているのか?


「どういうことだよ、これは……」


 しかも安らかに眠っている彼女の正体は、あの岬代みよだった。

 まさか、すべての現況の長は彼女で……岬代が作り出していた異世界だったのか?


「──岬代ちゃんは昔から想像力が豊かでね。ここで異世界を運営するために私とアイデアを練っていて、どうせなら実験体にならないか? と話したらすんなりと受け入れてくれてさ」


 早くも桜の声が上から近づいてくる。

 先ほどの廊下での襲撃といい、この娘は勘が鋭い。

 まるで僕の姿をGPSで調べているかのように……。


「チンチク林とか、ハバタクガとか、街やモンスターなども彼女が名付けた名前なんだよ。あと呪文のお惚けな台詞とか。ほんと笑っちゃうネーミングセンスだよね」


 桜が拳銃をこちらに向けたまま、静かに階段を降りてくる。

 今度は麻酔銃ではない、あの銃口の輝きに質感からして本物のピストルだろう。


「でも泣ける話だよね。母親の借金を肩代わりするためとはいえ、自分の体を売ってお金を稼ぐ……自己犠牲もはなはだしいじゃん」

「桜、お前……」

「さあ、君にこのマザーコンピューターが壊せる? 目の前で好きな女を殺せる? チキン君には無理だよね♪」


『ズバッ!』


 僕は迷わずに岬代の体に剣を振るう。

 腹を斬られた痛みに反応して微かに呻き声をあげ、ピクリと細かく痙攣けいれんする岬代。


 バチバチと音を発して、ケーブルの焦げる匂いが辺りに立ち込める。


「なっ、ちょっと正気!? 相手は君の好きな娘よ!?」

「正気も何も僕は世界を救う勇者だから。それにこの様子じゃ、彼女はもう助からないんだろ?」

「そうだけど……多少の犠牲はつきものと?」

「愛する人を失ったくらいで泣き言は言ってられないさ。またいつか運命の人と巡り会える時が来るさ」


「そうなんだね……がはっ!?」


 桜が銃を床に落とし、口から大量の血を吐き出す。

 どうやら後々の話では、彼女の知恵も貸すために肉体も心もマザーと同化していたらしい。


「ふふふ……。仁の大人な発想には負けたわ。私たちの完敗ね……」

「いや、そうでもないさ。これからこの世界には輝かしい未来が待っている」

「そう……。この未来を勇者じんに託すのも……悪くない判断かもね……ふふ……」


 どこかで聞いたような台詞を呟きながら、それっきり、柱に背もたれて座り込んだまま、桜は動かなくなった。


「──桜、どうしてこんなことになったのですか!!」


 そこへ異変を悟った耀子がやって来て、妹だった物を強く抱きしめ、声をひきつらせて泣いていた。


 しばらくして、頬を伝う涙を手の甲で拭いながら、僕にゆっくりと言葉を発する。


「さあ、マザーを失った今、ここの電気経路は情報漏洩を防ぐため、すべてコンピューターウイルスに破壊されて無にかえります。そして証拠隠滅のため、ここはまもなく崩れます。

もうここは駄目です。死にたくなければお逃げなさい」


 僕はその返しに何も言えず、耀子が桜を担いで去るのを黙って見送っていた……。


 ──苦労のかいあり、マザーコンピューターによる異世界ゲームのシステムは完全に停止した。


 今、長き旅が終わり、勇者としての試練を全うしたのだ。


 そのための犠牲はあまりにも多すぎたけど……。


****


「……僕はこれからどうすればいいんだ」


 世界を救ったのにも関わらず、僕は崩れ落ちる瓦礫の中で最愛の人、岬代の亡骸を腕に抱いたまま、悲しみにくれていた。


 結局、今回も彼女を助けられなかった。

 これはもはや運命なのか。


 耀子に『いつか運命の人に出会える』と、あんな綺麗事を言っても、結局、僕は岬代への想いを引きずっている。


 岬代の変わりはどこにもいないんだ。

 彼女がいない世界に生きていて何があるんだろう。


 だったらこのまま死んで岬代に謝ろう。

 僕は君無しでは強く生きれなかったと。


 ははっ。

 早くも『大事な命を粗末にして!!』と天界で怒られそうな予感だな。


「何だ、またブローチが!?」


 そんなモヤモヤとした感情が頭をよぎるなか、勇者のブローチが温かな光を発して、僕はその優しい光に吸い込まれた……。

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