第17話

 意識が浮上したその瞬間。

 跳ね起きてとっさに背中へと手を伸ばし、剣の柄を掴もうとする。

 しかし背中に剣はなく、手は空を掴むだけだった。


 一瞬前の記憶は、あのアーシェスと対峙した時で終わっている。

 だが冷静に周囲を見渡してみれば、そこは森の中ではなく、ベッドがいくつも並ぶ建物の内部だった。

 小さな咳払いが聞こえたと思えば、白い衣装を纏った看護婦が冷たい視線を俺に送っていた。


「静にしてください。他のベッドにも怪我人が眠っているんですから」


「あっと……ここは、どこだ?」


「ノキアにある冒険者協会の医療棟です。お仲間の冒険者から話は伺っています。討伐対象の魔物に加えて、以前冒険者達を壊滅させた魔物とも一戦交えたのだとか。命があっただけでも幸運でしょう」


 俺は……いや、俺達は生き残ったのだ。

 となると気になるのは一緒にいたはずのラフィだが、隣のベッドには中年の冒険者が横たわっているだけだ。

 看護婦が言うには俺は担ぎ込まれたらしい。となればあの森からこの医療棟に運んだのはラフィに違いない。

 聞きたいことが山ほどあるが、それより先に彼女の無事を確認したかった。


「その仲間の冒険者……ラフィはどこにいるか知らないか?」


「わかりかねます。ですが次期に顔を出すと思いますよ。毎日、決まった時間に貴方の様子を見に来ていましたから」


 言い終わると、看護婦は真新しい包帯を抱えて別の患者の所へと向かった。

 つまり寝て待っていれば、ラフィと再会できるという訳だ。

 しかし疑問が頭の中をぐるぐるとまわり、とても寝られる状態ではなかった。

 

「俺は、勝った、のか……?」


 ◆


「ううん、引き分けだったよ。それもかなり幸運な。私はどうにか意識があったけど、最後にハルートが放った一撃がレイエルに当たったみたい。それでアーシェスが慌てて何処かへ走っていったんだよね」


 ベッド脇に座ったラフィは、わざわざ持ち寄った果物を自分で食べながら、簡単に事の顛末を語った。

 どうもラフィは大きな怪我を負っている様子もなく、どちらかと言えば俺をトレントの群れから守っていた時の怪我の方が重傷だったたしい。 

 その報告を聞いて安心すると同時に、疑問が浮かんでくる。


「俺の攻撃はアーシェスにも当たったんだよな?」


「当たったよ。でもアーシェスはレイエルの加護を受けている上に、上級冒険者達を大勢捕食してる。今のハルートじゃあ、仕留めるのは無理だろうね」


 つまり、ラフィの言う通り俺達が生き残ったのは純粋に運が良かっただけ、という事になる。

 切羽詰まって繰り出した魔剣技の大技に加えて、ラフィの渾身の魔法、そして俺がレイエルを捉えた最後の一撃。

 それらを受けてなお、アーシェスは急いで逃げられる程度には体力を残していたのだ。

 今の状態で正面から戦えば、間違いなく勝機はない。

 だがまだまだこの能力については不明な点が多くある。

 そして同じように、アーシェスやレイエルに関しても。


「レイエルの、加護。つまりお前が俺にくれた能力、みたいな物か。これに関しても詳しく聞かせてくれるのか?」


「そうだね。そのことも話さないといけないね。でもその前に、これを」


 目の前に差し出されたのは、小さな手紙だった。

 封筒や蝋印などはなく、質素な紙が折りたたまれただけの物だ。

 表だと思われる面には、つたない文字で『冒険者さんへ』と書かれていた。


「これは?」


「ロカからだよ。村の復興が忙しくなったから、また時期を見てお礼を言いに来るってさ」


 手紙を開けてみれば、感謝の言葉と共に押し花が挟まれていた。

 クランを率いて金銭を稼いでいた時には感じられなかった、不思議な感覚に襲われた。

 胸の内を焼くような、激しい感情に。


「少しは、憧れの冒険者に近づけたんじゃない?」


 ◆


 扉を開け放ち、もはや懐かしささえ覚える酒場へと足を踏み入れる。

 数少ない冒険者達も俺の姿が珍しいのか、やたらと視線を送ってきていた。

 それとも俺の隣を歩くラフィに注目しているのか。いや、その可能性が高いか。

 ともあれ久しぶりの再会となるレーナは、相も変わらずぎこちない笑みで俺達を迎えてくれた。


「ハルートさん! 体の調子はもういいんですか!?」


「まぁ、どうにか。ノキアの医者が優秀だったのが幸いしたみたいだ。後遺症も無くて助かったよ」


「それと私が看病してあげたからだよねぇ、きっと」


「俺の目の前で果物を食ってただけだろ、お前」


 あの後もラフィが足しげく通ってくれたが、結局果物を見舞いの品を俺にくれることは無かった。

 流石にこの能力を貰っているため、これ以上なにかを寄越せとは言えないが、病人の前でわざわざ果物を食べるとのは一体どういう心境なのか聞きたくはあった。

 ただラフィに問いかけるより先に、レーナは興奮気味に食って掛かった。


「今の協会ではハルートさんの話で持ち切りですよ。あのセンチネルをラフィさんと二人で撃退したんですから、当然ですが」


「センチネルってなんだ?」


「冒険者協会の研究者がアーシェスに付けた学術名称だよ。さすがに名無しのままだと格好が付かないからね」


 小声で問いかけた俺に、ラフィも小声で答えてくれた。

 まぁ、今さら感はあるが、確かにアーシェスという名前を知らなければ呼びにくい事に変わりはない。

 その点には同感だが、レーナが語った話の内容には多少の齟齬が生じていた。


「センチネルを撃退できたのは運が良かっただけだ。それに殆ど、ラフィの力のお陰だったしな」


「ご謙遜を。ラフィさんからお話を聞いていますよ。ハルートさんの実力あっての撃退だったと」


 どういう事かと視線を下へ向けると、ラフィが小さく手招きをしていた。

 少しかがんで視線を合わせ、どうにかラフィの声が聞こえるよう耳を貸す。

 距離感に思わず心臓が跳ねるが、どうにか平然を装う。


「今後の事を考えると、そっちの方が都合がよかったんだよ。だから適当に話を合わせておいて」


「まぁ、お前がそう言うなら」


 魔剣士が急に実力を伸ばして成果を上げる方が不自然だと思うが、ラフィにも考えがあるのだろう。

 これから能力を使って活動していくことを考えれば、一々否定する理由もないということだろうか。

 十分に理解はできていないが、一応は無理やり自分を納得させる。

 

「それでですね、お二人の活躍を聞いた支部長がぜひともお話をしたいと言っているのですが。また後日、時間のある時に窓口へお越しください」


 冒険者協会の支部長からの使命と聞き、顔が引きつる。

 以前、クランを率いていた時の俺なら飛び上がるほどに喜んでいただろう。

 協会から指名される事は、それだけ評価を得ているという事に他ならないからだ。

 そのため、必死に冒険者協会の評価を上げるよう努力を続け、数年を要した。


 しかし今は、この街に来てたった数日間で評価を得られるところまで来ている。

 ラフィからもらった能力のお陰か。それとも冒険者が少ない弊害か。

 喜ばしい判明、多少の不安を抱きながらも、承諾するのだった。

 


 ◆


 今のノキアの状態を考えれば、人のいない場所を探すのは難しくない。

 特に人手不足に喘ぐ冒険者協会の内部などは、それこそ人がいる場所を探す方が難しい。

 協会内に併設された酒場の一角。

 簡単な食べ物と飲み物を頼み、腰を据える。

 そこでようやく、俺は抱えていた疑問をラフィへと投げかけた。


「それで、詳しく聞かせて貰えるんだよな。お前の事と、この能力の事を」


 じっと蒼い瞳を覗き込んで問いかければ、ラフィは小さく首をひねった。

 話す気がないわけではなさそうだが、話す内容を慎重に選んでいる様にみえる。

 そして短くない時間を要し、飲み物が温くなったころ。 


「どこから話したものかな。色々と話すとなると長くなっちゃうんだよね。だからまぁ、端的に言うと――」


 当初と変わらない、間延びした口調でラフィは告げる。


「その力を使って、この大陸を救ってほしいんだよね」


 そんな事を、いとも簡単そうに言い放つのだった。

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