第11話
選定の儀を受ける数日前、祖父は俺を呼び出した。
俺が戦闘系のジョブを得て冒険者を志したのなら、冒険者時代の宝物を俺にくれると言うのだ。
それを聞いた俺は、冒険譚の全てが憧れから現実へと変わるのだと、胸を躍らせた。
その時、祖父が浮かべていたなんとも言い難い表情を、俺は死ぬ瞬間まで忘れる事はないだろう。
思えばあれは、俺に期待を押し付ける事への罪悪感だったのかもしれない。
街で行った選定の儀を終えて村へ戻ると、祖父は眠るように亡くなっていた。
その傍らには魔物の特徴をまとめた手帳と俺への手紙が残されていた。
両親は俺が魔剣士のジョブを授かったと聞いた瞬間その手紙を取り上げようとしたが、俺は初めて家を飛び出して隠れて手紙を読んだ。
震える字で書かれた手紙の内容に、俺は目を疑った。
今まで聞かされてきた物語の殆どが、祖父の理想によって結末を捻じ曲げた経験談だったというのだ。
とても言葉では言い表せない残酷な現実を見てきた祖父は、せめて物語の中だけでもと希望に溢れる結末を作り出した。
多くの人達が涙や血を流す結末を隠して、少しでも多くの人々が作り物の話の中で救われるように。
俺が冒険者としての道を進むのであれば、きっと理想とは程遠い現実が立ち塞がる。
想像以上に現実は残酷で無慈悲で、思い通りには進まない。
だがそれだけ、世界には不幸や恐怖に溢れているという事でもある。
俺には少しでも多くの人々の不幸や恐怖を取り除くような冒険者になって欲しい。
自分は最後の最後までそうは成れず、死ぬ間際まで後悔を続けてきた。
だからせめて、俺だけには正しき理想を貫いてほしい。
手紙には、そんな事がかかれていた。
冒険者として大活躍できるジョブならば、祖父の言葉も俺を勇気づける物になっただろう。
戦闘系以外のジョブを得ていたなら、潔く諦めて冒険者とは別の道に進んでいただろう。
しかし俺が授かったのは、魔剣士だった。
最も戦いに向かない、戦う為のジョブ。
そんな物を授かった俺にとって、祖父が残した言葉はまさしく呪いであった。
そして今にもその呪いが、俺を破滅へと導いているようにさえ思える。
万緑の支配者、エンシェント・トレント。
大自然を味方につけ不死身に近い生命力を有する、魔物と呼ぶ事さえ躊躇われるほどの存在だ。
ラフィの魔法が通用しない以上、どう転んだって俺では勝てはしない。
それが分かっているのなら、すぐにでも撤退すべきだ。
普通の冒険者であれば、一瞬の迷いもなく撤退を選んでいただろう。
しかし、俺は動けずにいた。
幼き頃から胸に刻まれる憧れ。
受け継いだ大きすぎる理想。
そしてロカと交わした約束。
逃げ帰る選択肢など、今の俺には存在しなかった。
◆
「断る」
気が付けば、そう答えていた。
逃げるという考えや、生き残るための理屈などを抜きに、俺は結果的にそう答えていた。
逆に返答に時間が必要だったのはラフィの方だった。
それほどまでに俺の返事が予想外だったのだろう。
呆気にとられたラフィは、繰り返すように言葉を繰り返す。
「えっと、聞き間違いかな? いま、断るって言ったのかな」
「そうだ。俺はここに残る。ラフィは街へ帰って、エンシェント・トレントの事を冒険者協会に報告してくれ」
「あれ、おかしいな。私、ちゃんと言ったよね? ハルートひとりじゃあ、絶対に敵わないんだよ? 絶対に死ぬんだよ? それでもいいの?」
「そんな事、俺が一番よくわかってる。そもそも魔剣士が対処できる魔物の方が少ないんだからな」
物語の中の英雄ならば、どうしたか。
とっておきの切り札でエンシェント・トレントを仕留めただろうか。
奇想天外ななアイディアで村も救い出して見せただろうか。
村と村人達の両方を見事に救い、最高位冒険者ラフィですら俺に尊敬のまなざしを向け、ノキアでは俺の活躍が瞬く間に広がり、あのいけ好かないペルセウスですら俺を憧れ羨む。
そうなれば、どれほど良かったことか。
しかしそれは、所詮は妄想だ。
現実の俺はエンシェント・トレントどころか普通のトレント相手にさえ苦戦を強いられる、無力な冒険者にすぎない。
切り札など存在せず、村を救う手立ても思いつかず、それらを諦めることすらできない。
ここに残ったところでエンシェント・トレントに一矢報いることすらできずに殺されるだろう。
俺の実力を目の当たりにしているラフィは、だからこそ困惑気味にまくしたてた。
「あ、わかった。面子を気にしてるんでしょ? あの女の子に助けるって自信満々に言ったから、のこのこと街には帰れないよね。でも安心して。最高位冒険者の私が無理だったって言えば、周囲も納得してくれるはずだから。それにあの子は元々、依頼主でもなんてもないんだから、さっさと忘れちゃえばいいよ」
「そうだな。お前の言った通り、自分に都合の悪い事なんて忘れてしまえばいい。見て見ぬふりをすればいいだけだ。だがそれが出来ないから、俺はこうして苦労してんだよ」
気が付けば、剣を持つ手が小さく震えていた。
「祖父の話す冒険者の話が好きだった。俺もいつかそんな風になるんだと、なんの確証もなく思ってた。この魔剣士のスキルを授かるまでな」
現実と理想の乖離。それが大きければ大きいほど、苦悩も大きくなる。
祖父の優しさから生じたこの呪いは、きっと死ぬまで俺を苦しませ続けるのだろう。
「心のどこかでは諦めろと囁く自分がいて、でも憧れを捨てきれなかった。だから、慈善活動染みたクランまで作って、仲間に自分の理想を押し付けて、悦に浸ってたんだ。人々の為になる仕事をしている自分は、あの物語の冒険者に引けを取らないんだと。結局は助けたつもりだった仲間に追い出されたけどな」
自虐気味に笑うが、ラフィは眉をひそめてじっと俺の話を聞いていた。
無音の木々の間に、俺の独白だけが空虚に響く。
「だが俺が憧れた冒険者は、どんな時であっても諦めなかった。どれほどの苦境に立たされても、逃げ出すことはしなかったんだ。だからここで逃げることはできない。もし逃げてしまえば、なにもかもなくした俺が最後まで持っていた憧れさえも捨ててしまう事になる」
「別に理想を語るのは自由だけど、ここで死ねば森の養分になるだけだよ? 普通に無駄死にだけど、それでいいの?」
「構わない。その日暮らしの日銭稼ぎに追われて死ぬぐらいなら、最後は理想に潰される方がよっぽどいい」
他人からしたらなんの意味もない、ただの自己満足であることは百も承知だった。
しかし今さら引き返すことはできない。
目の前に助けを求める人々がいた。
目の前で俺に助けを求めていた。
それを見て見ぬふりをして、街に逃げ帰る。
そんなことをすれば、それこそ後戻りはできなくなる。
実力不足を理由に逃げる事を許してしまえば、それこそ歯止めが利かなくなる。
もっと実力があれば。もっと良いジョブだったら。もっともっともっと。
そうやって自分に言い訳を重ねていけば、最後にはアスベルやゾリアのようになってしまう。
金だけを目当てに依頼を餞別して、自分さえよければ後はどうでもいい。
そんな冒険者になるのだったら、いっそのことこの場所で。
「あっそう。君のことがよくわかったよ。度し難いほどの馬鹿だってことがね」
とても理性的とは思えないであろう俺の返事に、ラフィは肩をすくめる。
話し合いに意味はないと悟ったのだろう。
呆れ返ったラフィを背に、一つだけ心残りだったことを告げる。
「街に戻ったら、ロカにも謝っておいてくれ。俺の力不足だったって」
「それはできない相談かな。だって――」
数舜の沈黙。
気になって振り返ろうとした、その瞬間。
「私もここに残るからね」
そんな言葉と共に、俺の背中で赤き閃光が炸裂した。
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