第10話

 見上げるほどの巨躯に、歪な形状の手足。

 一見、普通の人間の様な形状をしているが、その全ては樹木や動物の骨で形成されている。

 森の守護者、エンシェント・トレント。はるか昔に絶滅したと伝わる、原初の魔物だ。

 資料では魔力濃度の高い森や、トレントが密集している地域に出現したとされている。

 その形式上、トレントと名付けられてはいるが能力は比べ物にならない。


 瞬時に目の前へ姿を現したエンシェント・トレントは、かぎ爪の様な腕を大きく振りぬく。

 思考を上回る本能がとっさに回避を優先し、身を投げ出すようにその場を離れる。

 耳元では激しい風切り音が鳴り響き、一瞬前まで俺の居た地面が容易に叩き割られる。


 到底、受け流せる攻撃ではない。

 掠っただけで致命傷。

 運が良くて手足のどこかが消し飛ぶだろう。


 あまりの威力に背中を冷たい手が撫でるが、それもまだ生きている証拠と言えるだろう。

 エンシェント・トレントの攻撃が空振りをした微かな隙に、反撃の合図を送る。


「ラフィ!」


 俺の声と同時に、閃光がエンシェント・トレントを貫いた。

 エンシェント・トレントは炎を噴き出しながら、地響きに近い唸り声を響かせて姿を消す。

 それでも達成感や安堵感は一切訪れない。むしろ焦燥感だけが徐々に心を蝕んでいた。


 俺の剣では、到底太刀打ちできない事は、一目見た時からわかっていた。

 そこで俺はラフィの魔法を確実に当てるための囮に徹していた。

 今となってはそれも有効な手立てとは言い難いのだが。


「また姿を消したか。倒した訳じゃないんだよな」


「この程度じゃ仕留め切れないよ。エンシェント・トレントは森の支配者だからね。この森がある限り、木々の生命力を使って体を再生し続けられるんだよ」


「そして森もトレントがいる限り急激な成長を続けていくわけだ。くそっ!」


 理不尽なほどの生命力に思わず悪態をつく。

 樹木の魔物には致命的であろう炎属性の魔法を、エンシェント・トレントに繰り返し撃ちこんでいるが、明確な効果は見て取れない。

 いや、見て取れないどころか、そもそもダメージを負っている様子すら見受けられないのだ。

 ほんの少しの間は姿を消すが、すぐに無傷の姿で現れ襲い掛かってくる。

 とはいえ対処方法が全く思いついていない訳でもない。


「あれを仕留めるにはまず森を焼き払う必要があるって訳か。だが……。」


「わかってるよ。魔剣士の君には荷が重いっていうんでしょ。でも私の魔法も広範囲を攻撃するのには向いてないんだよね」


 不死身のエンシェント・トレントを倒すには、その生命力となる森を焼き払えばいい。

 妨害を受けるだろうが、火が広がってしまえばトレント達に止める手立てはない。

 いくらエンシェント・トレントと言えども、森が焼け落ちてしまえば不死性を失うはずだ。


 簡単な原理ではあるが、それを実行するのは難しい。

 俺達に、この広大な森を焼き払うだけの手立てがないのだ。


 一回使うだけで魔力が枯渇するため、俺の魔剣技は乱用できない。

 そして普通の魔法とは違い、威力を求めた一点集中型のラフィの魔法は広範囲を焼き払うには不向きだ。

 普通の魔法使いのように炎を操る事が出来ればまた話は変わってきたが、ラフィはそういった魔法は扱えない。

 つまり最も勝率の高い、森を焼き払うという正攻法は使えない。


 ラフィの魔力も無尽蔵ではなく、いずれは枯渇する。

 そうなったとき、嬲り殺されるのを待つことになってしまう。

 思考は、背後からの声によって断ち切られた。


「ひとつ提案があるんだけど」


「この状況を打開できるなら、何でも聞かせてくれ」


 藁にも縋る言葉だったが、ラフィからの提案は想定をはるかに上回るものだった。


「今回の依頼は諦めて、街へ戻らない?」


 ◆


 鳥のさえずりさえ聞こえない、薄暗い森の中。

 ただでさえ冷たい空気が、更に冷たくなった気がした。

 エンシェント・トレントの襲撃を警戒しながら、努めて冷静に返事を返す。


「こんな状況で笑えない冗談はよせ」


「冗談じゃないよ。私は本気で言ってるんだから。エンシェント・トレントは私達の手に負えない。命を無駄にしたくないなら、戻るべきでしょ?」


「街へ戻った所で状況が好転するとは思えないな。逆に森の範囲が広がって、エンシェント・トレントがさらに強力になったら、それこそ手が付けられないぞ」


「仲間を集めたり、ほかの冒険者に委ねるなりすればいいよ。村は諦める事になるけど、あの魔物を討伐するって意味なら、そっちの方が絶対にいい。野放しにすれば、村一つよりもひどい犠牲が出るだろうからね」


 大きな犠牲を防ぐため、小さな犠牲を強いる。

 それはある意味、冒険者らしい思考とも言えた。

 パーティの壊滅を防ぐために、仲間の一人を犠牲にする。

 

 そしてクラン発展のために、無能なリーダーを追放する。

 何度も見てきた光景だ。

 だからこそ、素直にその意見を受け入れる事はできなかった。


「ノキアの現状を知らない訳じゃないだろ。ただでさえ冒険者が少ないってのに、ノキア最高位の冒険者であるお前が手に負えないと逃げかえってきた魔物を、この報酬額で討伐しようなんて奴が出てくると思うか?」


「さあね。でも私達が残っても何もできないのは事実でしょ。それに街にこの情報を持ち帰れば、今よりエンシェント・トレントが討伐される可能性は上がるし、なにより私達は死なないですむよ」


「だからって、村の人々を見捨てて逃げろってのかよ!」


 俺の咆哮はしかし、ラフィの眉一つ動かすことすらできなかった。

 それどころかラフィは問い詰める様に、温度を感じさせない声音で続けた。


「君だってとっくに気付いてるんじゃないの? もしエンシェント・トレントを倒せても、森を焼き払えば村は捨てなきゃならない。でも森を焼き払わないと、エンシェント・トレントは倒せない。わかる? もう無理なんだよ。ロカの依頼を……村を救ってくれ、なんて願いを叶える事は絶対に」


 ラフィへの反論は、なにも思い浮かばなかった。

 それは寸分の隙も無い、完璧な正論だった。

 

 村を取り戻すには、エンシェント・トレントを倒さなければならない。

 しかしエンシェント・トレントを倒すには、生命力の元となっている森を焼き払う必要がある。

 だが、森を焼き払えば林業を主とする村は当然、生活を続けられなくなる。

 どちらを取ったとしても、村を救うというロカの願いは叶えられない。


「それでも……なにか手立てが……。」 


 まったく意味をなさない言葉だけが、口を突いて出た。

 手立てなど、あるはずがない。

 最上級冒険者のラフィが無理だと言ったのだ。

 最下級冒険者である俺に一体、何ができるというのか。


 続かない言葉だけを放つ俺を見て、ラフィは当初と変わらずに、酷く間延びした声で言い放った。

 

「諦めようよ。少しなら時間を稼いであげるから、その隙に逃げよ?」



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