第5話

「はい、確かに。これで依頼は完了ですね。お疲れさまでした」


 労いの言葉を掛けてくれる受付嬢レーナの声が、その絶妙な心情を見事に表していた。

 この冒険者、シルバー級のクランを率いていたというのに、駆け出し冒険者用のコボルト討伐依頼に三日もかけているのか。

 そんな声なき声が、聞こえた気がした。まぁ、魔剣士になってからというもの、そんな目で見られることには慣れてはいるが。

 なるべくレーナの機微に気付かぬふりをして、俺も足元の道具袋を担ぎ上げる。


「いや、本当に疲れたよ。心なしかコボルトが狂暴だった気がしたからな」


「この街に来た冒険者の方々は全員言いますよ。なんでもこのノキア周辺の魔物は、普通の地域の魔物より狂暴性が高いんだとか。冒険者協会も研究を続けていますが、理由は未だに不明なんです」


 冒険者協会は冒険者へ仕事の斡旋を主な組織活動としているが、その他にもいくつかの分野において手広く展開している。

 中でも魔物の研究に関して言えば王立研究所との合同で進めているため、非常に進んだ知識と情報を有している。

 特に上級冒険者になると、研究の為に魔物の捕獲を依頼されることもあるらしい。そう言った魔物を使った研究は、有用な対処法や生態の解明につながっていく。

 そして魔物の弱点や特性が広く知られれば、冒険者も簡単に魔物を討伐できるようになる。

 俺の様な自分の実力以外を頼りにしている冒険者にとってはそれらも非常に有難い武器なのだ。


「早いところ原因を究明してくれと研究者に伝えてくれ」


「わかりました。それでは今回の報酬をお支払いしますね」


 レーナが報酬を用意するために窓口の後ろへ消えて、酒場の中には静寂が訪れる。

 相も変わらず人が少なく、それ故に酒場の外の音が嫌でも耳に入った。

 それはノキアでは聞きなれない喧噪でもあり、なにか悲鳴のような声が混じっているようにも聞こえる。


「なんだ?」


 放っておくことも出来ず、思わず窓口を離れる。

 他に冒険者もいないし、迷惑になる事もないだろう。

 だが背後からレーナの声が上がった。


「あ、ハルートさん! 報酬はどうするんですか!?」


「後から取りに来る。すこし保留にしておいてくれ」


 嫌な予感に導かれる様に、酒場の外へと飛び出した。

 そこで目にしたのは、やせ細った幼い少女と、拳を振り上げた大柄な冒険者――ペルセウスのリーダー、ゾリアだった。



「お願い、です。私達の村を……。」


「まだ言うか、この犯罪者が」


 ゾリアが腕を振るい、少女の体が軽々と吹き飛び地面を転がった。

 しかし周囲の人々はそんな光景を見ても、助ける素振りさえ見せない。

 中にはゾリアの行動を賞賛する人の姿すら見受けられた。

 目の前の男がノキア最高位の冒険者という事もあるだろうが、殴られた少女の姿が余りにみすぼらしいことも関係しているのだろう。


 身なりの整った冒険者と、一見物乞いに見える少女。

 その構図を見た時に、誰もがゾリアの正当性を感じ取っていたのだろう。

 だがどんな理由があろうと一方的な暴力を見過ごす事はできなかった。

 気が付けば人だかりを押しのけ、ゾリアの前へと飛び出していた。


「おい! なにやってんだ!」


「なにをやっているか? 見ればわかるだろ。犯罪者に罰を与えているだけだ」


「犯罪者……? この子供のことを言ってるのか?」


 鼻を潰された記憶を押し殺し、背中で激しい咳を繰り返す少女を見て、思わすゾリアを睨みつける。

 たとえどんな理由があろうとも無抵抗な相手を殴りつける事が許される訳が無い。

 だがゾリアは俺の視線などお構いなしに、少女の姿を見て鼻で笑った。


「冒険者に無報酬で依頼を持ち掛ける事は違法だ。だというのにこの畜生はギルドの前で冒険者に依頼を持ち掛けていた」


「それでもまずは話を聞くべきだろ!」


「依頼を出すだけの金を持ち合わせない畜生の話など聞いたところで、なにも変わらんさ」


 冷徹に突き放すような言葉だが、ゾリアの意見は正しいのだろう。

 冒険者協会に所属する以上、俺達冒険者はその規則に乗っ取った形でしか依頼を受ける事が出来ない。

 この少女が依頼を出すだけの金銭を持ち合わせていないのであれば、話を聞いた所で俺達にはどうすることもできない。

 しかしそれを素直に受け入れる事など、絶対にできなかった。


「そうかよ。なら俺が話を聞くだけだ。そこをどけ」


「そこをどけ? また鼻を潰されたいようだな」


 俺を見下すゾリアは、目の前で拳を握った。

 未だに鼻奥が疼くように、その威圧的な物言いが決して脅しでない事はすでに初日に確認している。

 この相手がなんの躊躇もなく初対面の相手の鼻を潰すことは、十分に理解している。

 

 知っているが、再び殴り飛ばされることになろうとも、引く気はなかった。

 それどころか手を出してきたなら、俺も殴り返す準備もあった。


 だが、ゾリアから拳が飛んでくる事はなかった。

 その代わりに――


「なになに? 久しぶりに顔を出したけど、ずいぶんと面白いことになってるね」


 ――そんな、間の抜けた声が俺達の緊張の糸を断ち切った。

 ゾリアも俺や少女から、声の主へと視線を移していた。

 俺も声の主を確認すると、思わず声を失った。


 そこには俺よりも一回り以上小さい女性が立っていた。

 身なりからして冒険者であろうことは推測できる。

 それもかなり上質な装備で身を固めている所を見るに、ゾリアと同等かそれ以上の冒険者だ。

 ただそれ以上に目を引くのは、その容姿だ。

 

 異種族と見紛うような純白の髪と蒼い瞳。

 少なくとも大陸の中にこのような特徴を持つ種族がいるという話は聞いた事が無い。

 まるで物語から飛び出して来たかのような女性はしかし、微笑を浮かべたまま微動だにしない。

 そしてじっと俺とゾリアを見比べていた。


 そんな中、最初に口を開いたのはゾリアだった。


「お前は……。」


「あれ? 私のこと知ってるの? でも私は君を知らないなぁ。申し訳ないけど、通してもらえる?」


 俺に対する威圧感は何処へいったのか。

 気圧されるように黙り込んだゾリアの目の前を、女性はゆっくりと横切っていく。

 そしてその間に俺も背後の少女を抱きかかえ、冒険者協会へと駆け込んだ。

 負傷者が多い冒険者を癒すため、協会内には医療施設も併設されているからだ。

 

 そこで治療を受ければ、少女の容体も一安心だろう。

 だが少女はうわ言のように、同じ言葉を繰り返していた。


「お願いです、私の村を……。」


「何とかしてやる。だから安心して手当てを受けろ」

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