第41話 コミック化のための原作について。

取り合えず、書いておこう。

なので、全体を見て、文章がまとまっていない可能性が高い。とだけは先に書いておこう。


少し前だったと思うのだが、Xでちらっと見た話し。


漫画のもとになる小説をどっかの出版社が募集した時の集まってくる作品を、とある、プロの方が読まされた。という話の中で、何にも考えず『一人称』で書いてくる奴らのなんと多い事よ。という、嘆きだった気がする。せめて三人称にしろよ。だったかなぁ。うろ覚えだ。


一人称で、台詞もない一つの場面で主人公がえんえんと考え事の様にしているシーンがあると、それはもう、漫画におこせないんだっつーの。というようなことだった。


そのト書きですらないようなシーンを多数用いる作者が多く、そういう心理描写的な「何か」の物は脚本にならない、或いはなりにくいというような話だったと思う。


映像化された時に、そこはどういう絵になるか、を全く想像しないで文書にしているとしか思えない。という事だった。


脚本になるかどうかを全く考えていないじゃないか、というやつだった、かもしれない。


普通のラノベ小説と、コミック化前提ラノベ小説では、そもそもそこが違うんだよっていう、そういう呟きだったか。


それは無理もない。

脚本なんて見た事すらないようなシロウトさんが作っているのだ。


かといって、台詞以外、全てが説明書きの様な文章にされても、たぶん編集は読みもしないだろう。せめて『描写』でないと。


心理描写を一切しないで、行動とセリフだけで書け。というのは案外ハードルが高い。

あえて、心理描写は仕草だけ。とかにして、頭の中を文字にしない。

とすると、かなりの描写能力が必要になる。

背景やそのシーンを文字で起こしつつ、登場人の頭の中は書かない。


これは、実は小説としての難易度はかなり高い。

(いってみれば、演劇の舞台を見ながら、その場で全てを文字起こししていると思ってもらえればいい)


この形態の小説のほぼほぼ原点と言えるものは、恐らく1950年代の、米国で始まったハードボイルド小説であろう。

この時代の物は、今では考えられないかもしれないが、主人公の頭の中とか内面は一切、描写されず、主人公は多弁でもない。


僅かな台詞と、あとは行動。そしてガン・アクションだ。

そしてシーンが文章で書き込まれていく。

(それ故に、一見すると、煮ても焼いても食えない奴、すなわちハードボイルドな野郎ということになる。その当時の米国では固ゆで卵は、不評であり、日本とは食文化が決定的に違うので、この表現自体、今の我々では到底、推し量れない。)


むしろ多弁なのは主人公が相対する敵役だったりする。

この形態のハードボイルドは多数書かれて出版されたのち、急速に萎んだ。

そして主人公の内面が描かれるようになっていくと、『コレはハードボイルドではない!』と読者に怒られるようにも成って行くのだが、その流れは止まらなかった。


読者に主人公の事を分かって貰おうとするのなら、内面や心理描写を書かざるを得ない。


それで主人公が軟弱になった、等ともいわれていくのだが、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺後、法律が変わる。

立ち入ることのできる事件が限定されていくのだ。それ故に、私立探偵はこれ以前とは決定的に変わらざるを得ず、同じ私立探偵小説であっても、暗殺以前の様には描けなくなった事もあって、ハードボイルド小説は変化していった。


日本では、心理描写の無い小説というのは、かなり少ない。

70年代から80年代初頭、映画を文字にしましたというような一部のものは心理描写がない物もあった。


原作付きの映画なら、その原作を読めば済んでしまうと言いたいのだが、昔は脚本家がかなり筋書きを変えてしまうのも、よくある話で原作とは違う話の流れになっている物もよくあった。なので、映画版からの小説とかいうのも、成り立っていた。


脚本家は何が何でも原作とは同じにしない。それが脚本家の仕事だ。という時代だったからだ。

今なら、原作と違うエンディングは、原作ファンなら受け入れられないし、途中の重要なエピソードが変えられていたり、あるいは省かれでもしたら、大クレームが来るだろう。

それ故に、今の脚本家はどうしたら原作から離れずに、面白く映像化する事か出来るか、で頭を悩ます事も多いという。


そして、今やラノベ原作の漫画やアニメは珍しい物ではなくなっている。

そもそも、応募する作者側がそれを期待しているといっても過言ではないし、コミック化を餌にぶら提げてのコンテスト募集も当たり前に行われている。


しかし。小説として読めるもので、なおかつ簡単にコミックの原作になるようなものというのは、簡単ではない。

大抵の作者はコミック化の話が来た時点で、編集から、映像化しにくい部分などを彼方此方直して出してくるように依頼されるという。

コミック化のための改訂版だ。



これは、漫画家さんが勝手には出来ないケースも多々あるからで、著作権が絡んでいるからだ。完全に出版社に、権利を渡してしまうコンテストも多々あるが、これは大変危険である。


で、「サイコ」と「小悪魔教師♡サイコ」が引き起こした問題は今、裁判に突入した。

これなどは完全に「小悪魔教師♡サイコ」漫画を出した出版社の問題(ほぼ完パク)なのだが、訴えは小説の原作者がたった三円でやっているので、これはお金の問題ではなく、作者の気持ちの問題なのだろう。

これについては、調べたい人はこのタイトルでググればすぐに、色んな情報が出るだろう。


まあ、韓国系小説投稿サイトはとかく、要注意というか、こういう所に投稿しちゃだめだ。(LINE漫画はやばい物が多いのは、まあそういうことであろう)



閑話休題。


で、どういう風に書くのがいいのかという、話に戻る。


三人称で書くのが、まずやりやすい。

シーンを俯瞰した描写も文章でいれやすい。

主人公サイドとは違う部分の話を、シーン転換するだけで挟みやすいので、一人称の時のように、話の区切りで別のだれそれ視点みたいにして書かなくてもすむ。


心理描写を最低限にする。(と良いらしい)

これはどの登場人物でも同じ。誰かと話し合っているとか、相談している。などのシーンにしてしまった方が、登場人物が思っているが、口に出さなかった事などを、映像化しやすい。


しかし、その一方で、台詞を長々とは続けない。

長すぎる台詞は、ほぼ状況説明だから。

適当な省略も必要だろう。だが省略し過ぎると、状況が伝わらず、その後の展開が作者の独りよがりと言われてしまう・・・。



こういう部分をどれだけ意識して書けるか、と言う事だろう。


どういう作品なら、コミック化されやすいのか?

『異世界居酒屋「のぶ」』を読むとますます分からなくなっていく。これはこれで、かなり普通とは違うからだ。


その一方、完全に一人称で主人公の独り言ですらない、状況説明に近い主人公の思考が文章にかなり入り込んでいるような作品でも、コミック化されていたりする。

こういうのは、結構多いので、冒頭のプロの人のボヤキがなんだか、当て外れに見えてしまうかもしれない。

しかし、ある種、編集の好みにぶっ刺さった作品なら、コミック化されてしまうと言う事なんだろう。


とはいえ、映像化しにくい作品は、よほど面白くない限り、コミック化されないという事なんだろう。

それは読んだ編集の人の頭の中に、面白そうな映像が浮かんだかどうかと言う事になるだろう。

(編集とかが、仕事したくないのか、育てる気がないのか、その両方なのかは分からないが。)




つけたし。

さて、残念なことに私の小説は一人称だし、台詞ではない頭の中で思っている部分も多い一方で、アクションシーンは、擬音もなく、簡単な描写で終わっている。


その簡単な描写で、好きに想像してください。と私は思っているので、必殺技すらない主人公の剣技は簡単な描写しかない。


まあ、どれ一つとっても、コミック化には、全く向いていない。

それに、商業小説にも向いていない。それは、今の流行りを全く入れていないからだ。

まあ、趣味全開で書いているので、その部分はし方ない。


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