第33話 ケレン味の事。

 SNSでケレン味の事がちょっと話題になっているのがあって、すこし読んでみたが、今の人はケレン味の漢字も書けない、正確な意味を知らないという話で、すこしびっくり。

人によってはケレン味をダイゴ味と勘違いしている人もいるようだ。


 ケレン味とは外連味と書けばいい。特別変な漢字は何も使わない。

「外」となっているように、これは、使のが普通なのだが。

「〇〇ってケレン味があって、ちょっといいよねー」などと言って使うらしい。

正確な意味が分かっていないだろう。たぶん。”なんちゃって”、なのだろうなと思う。


 外連味とは、昔の人や国語をちゃんと学んだ人なら、知っているはずだ。

「はったりやこけおどし。或いは”ごまかし”。あるいはそれらを平気でやる人。王道から外れたことをあえてやる事。””」という意味をもっている。


 つまり『外連味がある』と言われた場合は、暗に批判されている、あるいは良くないと思われてると考える、そういう意味なのだ。


 これは元々は歌舞伎から始まったという。

王道からは大きく外れての、大向こう受けを狙った派手な口上だとか、舞台上でばんばん飛び跳ねて、あげくに宙返りして見せるなどという演技をいうらしい。

さらには、舞台上で、するっと服を脱ぐと、その下の服がもう別の役の服になっている。というようなものも、桟敷席にいる観客に大いに受けたため、こういうのを、『外連味のある演技』といったらしい。


 逆に、『あの人は外連味がないから』という言われ方をしたら、これは誉め言葉である。

つまり、いやらしい俗受け狙いや、ごまかし、はったりをしない人、あるいは王道の表現をする人、という意味である。



 ダイゴ味は醍醐味と書き、醍醐のような味。これはすなわち最高の美味であるという言葉で、昔からそれは変わっていない。(はずである)

なので、なぜケレン味とごっちゃに混ぜている人がいるのか不明だ。


醍醐味はそれ以外では、深い味わいの事だ。

あるいは物事の本当の面白さのことを指したりする。


 ちなみにこの醍醐とは、五味のうちの第五の味、という意味で乳を生成して造るもっとも美味な黄金色の油をさしており、つまり溶かした上澄みの『澄ましバター』を指している。(極めて風味豊かな油である。ただし、上澄みなのでコクはない。)

インドでは、かなり古くからバターが作られており、これは神様への捧げものだった。

(なにしろ、今と違い完全に手作業な上に、インドの方は温度が高く、固形化しにくい。)

 これをチーズの事だという人もいるが、ちょっと違う。

 チーズも昔は作るのがものすごく大変で、澄ましバター以上に大変だった。

 何しろ、凝固させる特別な酵素が必要だったのだ。コレなくして、チーズは作れない。

 かき混ぜながら、バンバン叩いていけば、凝固が始まるバターとは、決定的に違うのである。


 さて、あとは仏教用語として使われる。仏教の最高真理にたとえるものである。

これを普通に使う人はまずいない。仏教研究者やお坊様だけだろう。


 なんというか、もう、言葉の意味を調べることなく、使う人が増えすぎた。

それがSNSのようなコミュニケーションを通じてどんどん間違った使い方が広まっていくようだ。それこそ、雰囲気だけで分かった気になって、また違った用法で使っていく。

そのうち、ケレン味は、元の意味を失うのだろう。


追伸:はっきり書いておこう。

「ケレン味」に良い意味、何てないぞ?


王道から外れたやり方を、いいぞいいぞ!というのなら、そうなのかもしれないが、それを「良い意味でのケレン味」なんて言わないと、私は断言する。


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