第27話 『AIの時代』が来る

 日々の思う事だから、日常を記録。


 なんでもない日常を、毎日、日記に書いて記録する。

 後から見たときに、なんだか読めない文字であっても、手で文字を書いて、記録する。

 2010年のころの日記を読み返すと、自分がその時、何をしていたのか、簡単に書きとめてあって、その時代の空気が少し読み取れる。

 一度、1年ほど全く書いていない時期があって、そのとき何をしていたのか、さっぱり思い出せない。

 短文の日記でも、読むといきなり思い出すことが多々あるのだ。


 だから、起きた事とか、その時に感じた事とか、書きとめておく。毎日、こつこつと。


 今日は色々と用事があって、市役所や銀行などに行っていた。

いい天気なので、本当はどこかにいって、ぼんやり景色を眺めていたいのだが。

そう思って、公園に向かいかけたが、結局は家に戻った。風が強くなったからだ。

春の風は冷たい。風邪を引いたら損であるし、どのくらいスギ花粉が飛散してきているのやら。


 それで、家に戻ってお茶にしたのだが、私の心に淀んで、引っかかっている物がある。この時期だからと言って、青色確定申告ではない。それはもう会計事務所に依頼してあるから、それではないのだ。

そういうわけで、今、心に引っかかっていることを書いておきたい。

ここからが本題である。


『AIの時代』が来る。


 気の早い人は、ChatGPTの大がかりなものが、2024年にとうとう一線を越えてしまうのだと言っている。

『シンギュラリティ』という言葉で語られる、それ。


 意味は『特異点』だが、これは要するにコンピュータープログラムで組んだ人工的な知能擬きが、人間を越えてしまうと、これになるというているのだ。


 もちろん簡単な話ではない。


 現状の統計学的な手法による知識のタグ付けは、たしかに恐ろしいほど早く、「結果」を表示して見せるかもしれないが、それが正しい保証はどこにもない。

そもそも正しさを保証できない。それはこのOpenAIでは原理的に不可能なのだ。

だから、利用の注意にしつこいくらいに、それについてかいてある。(必ずしも正しい結果を出すわけではありません。と)

統計学的に、大多数がそれを「是」というのなら、これ(是)だろう、という仕組みだ。

だが統計解析の結果がすべてに当てはまるわけではない。

特に絶対的に正しい「事実」を内部に保持していないか、そのサンプルが不足する時、関係性のなかで、それっぽい属性を持つものが答えに選ばれている事に、常に注意しておく必要があるのだ。


 そう、まったくしたり顔で嘘を真のごとくのたまう、あれである。

「それは、わかりません」とは絶対に言わない。この部分が人間と決定的に異なっている。


 しかし、タイパ重視の人はどんどん増えている。便利だーという人たちの感想は枚挙にいとまがない。

AIがだしたレポートなり、答えなりをろくに確かめもせず、『AIが出したんだから正しい』と言い出す人は、今後強烈に増える。

 

 ・・・間違いなく。



 電卓が出て、自分の手で計算をしなくなったレベル以上の事が起きるのは間違いない。

なにしろ、自分で調べもせずに、答え「だけ」が知りたいし、それを最優先で求めているのだ。

そして、AIがはいはいと簡単に出してよこす。もう誰も頭をひねって、考えなくなるのだろう。

自分の頭で考えろよとか、そういうことを言うだけで「老害」とか言い出す人々が、多数出るのだろう。


 その一方で、現在のAIは、どんなにCPUを速くしようが、蓄える知識を増やそうが、一段上の段階に行けない事は、おそらく最先端の開発者たちは十分すぎるほどに分かっている。


 様々な知識の要素を適当に組み合わせて答えと嘘を垂れ流すことが、人間の持つ「思考と創造」ではない。

それは現在のAIでは出来ない事だ。知識をそれっぽい言葉で纏めて、それっぽい真似事は出来ても、空虚だ。中身が詰まっていない、張り子なのだ。

そう、現在のAIには「越えれられない壁」があるのだ。


 この壁を超える方法は、まだ分かっていない。


 だが、嘘もたくさん混ぜるChatAIを使う人が増えていき、ニュースもSNSも、今後は荒れていくのかもしれない。

写真やイラストがAIでだいぶ荒れているが、ノベルの世界にもすぐに来るだろう。

何が本当で、何が嘘なのかすら、よく分からない世界が来るかもしれない。

暫くは混乱することもありえる。



それ故に、欧米では急速に「反AI」が起きてきているのだが、日本はのんきだとは思う。


 酷くなってきたらSNSからは、離れようと思う。

新しい情報は、ラジオの音声ニュースだけでいいのかもしれない。

なぜなら写真や映像すら、恐ろしく良くできたフェイクかもしれないのだ。

音声で伝えるニュースの人は、原稿を読むだけだろうけれど、その原稿は多くの人の手で何度も内容が確かめられていると、信じておきたい。


今日はここまで。



追記:国営放送すら朝のニュースはAIが読み上げていますよと、コメントを受けて、ああ。そうかと思いました。


もう、「誰」が喋っているのか、ちゃんと紹介がない限り、その声の主はAIなのかもしれない。


そして、声の著作権を取得した放送局は、アナウンサーをCGとサンプリング音声で合成して話すAI放送になるのかもしれない。

既に、声優さんの世界は声の著作権で揺れているのだった。

AIが喋る声に使う事を許諾せよと迫る所も出てきているニュースを見たのに、忘れていました。


 きっと地方のAIを使わずに放送するローカルFMとかが、最後まで人の生の声が残るのかもしれない。

ローカルFMはその地域の人が登場したりして、トークも行う事が多いので、アナウンサーをAIに置き換えるような事をするくらいなら、人が喋るままだろうと思う。


なにもかもがAIに支配されてしまったら、人は考えることを辞めてしまうのだろう。


今、流行りだし、便利だからと、職場でChatGPT使ってレポートやメールの文章を造らせている人たちは、どんどん問題解決能力を失っていくんですよ。


そういう人々ばかりになったら……。


ああ、考えるのをやめておきます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る