第16話 AIの描く絵
最近よく話題になっていて、彼方此方で見ることが増えてきて、ぞっとする。
まず、何かソレっぽい絵にはなっているらしい。
だが、よく見ると、何かがおかしい。
それは人物なら、人種が不明だったり、(日本のコンピュータゲームなのか?)服が破たんしていたり、腕が短かったり。
バランスがおかしかったりするのはよくある。
更に、何を持っているのか、さっぱり不明なものを手にしているとか、線がごちゃごちゃで誤魔化していたりもする。
みんな、一体、何を、期待しているのだろう。
たぶんにして、これは見た人が脳内補完して、成立しているだけの、「絵のようなもの」でしかない。
これをコンセプトアートだという。
アート??? これが、か??
これをアートだといって崇めるのは、もう感覚が私とは180度、違うんだなと思った。
人間には思いつかない、組み合わせを画像にするというのは、分かる。
コンピュータ将棋も、そうだった。
人間の棋譜で学習しない、コンピュータ同士の対戦からしか、学習しないプログラムが出てきて、それがプロ棋士に勝つようになり、認めざるを得なくなったのだが、このコンピュータAIが指す手は、人間には受け入れられない物もかなり多いのだという。
現在もそうであるために、棋士の人たちは苦労して向き合っているようだ。
ただ、圧倒的に計算が速いので、どの様な手が有望かどうかは、人間が苦労して考えることもなく、答えが出てしまう事に関しては、深く考える力が失われて行くことを危惧する棋士も多い。
では、画はどうなのか。
例えば、人物画。一見するとよく出来ている。
背景がないものだと、確かに、一見してAIが描いたとは思えない物もある。
これは、歴史上の人物の肖像画や、多数描かれた肖像画、小説などの挿絵に使われた人物画などが、膨大な数で取り込まれ、AIの学習の中でこうしたものを使って、それを特徴を付けている部分を取り出して、組み合わせている訳だ。
人だって、そういうの見て参考にしてる。
お前が言っているのは、AIにただ文句をつけたいだけだろうという人もいるだろう。
しかし、AIには、手元の資料としての、膨大な画像データにない物は描けない。
全くのオリジナルで、尚且つ無修正で見るに堪えるものは、今の所作り出せていない。
人間なら、その光景を見に行くことが出来るなら、実際に見に行ってそこから得たインスピレーションを絵にするのは普通にある事だ。
そして、頭の中の想像だけで、描くことも、ごく普通にある。
当然だが、人間が描くものは、そうそう無茶なものは描かない。
AIが作り出す、トンチンカンな絵を、面白がるうちはいいのだが。
そうやって出力した背景だの、顔なり、人物なりを固定してストーリーを作るのは、かなり難しいようである。
やっている人の物を見たが、アメコミ? の様なものなら、なんとか成立するかもしれないが、それを見て「漫画」とは思えなかった。
日本の漫画は、そんな簡単なものではない。
日本の会社が作った、作家さんの描く2Dのキャラ絵を取り込んで、その人の画風のキャラをAIが次々に造り出すというのがあって、賛否両論が、あった。
これは著作権問題にならないという人もいるのだが、絵が盗まれて、AIで勝手に作風を真似した絵で商売されても、訴える事が出来ないとかになると、もうオリジナルを描く人は、極端に減るだろうと思わざるを得ない。
それで、その会社の方では利用規約に、自作のオリジナルの絵である事。というのが入るようになった。
作品の持つ作家性というのは、画風にかなり出ているわけだし、これを勝手に横取りされたら、もう作家さんの商売が成り立たなくなって行くだろう。
キャラを安く描いてほしい人々、会社等はAIに頼むだけになる未来が見える。
そういう絵らしきものはどんどん、安っぽくなって行くだけだろう。
さて、AI画像で私がこれは駄目だなと、思った物の1つに、「日本で茶畑に水をかけているシーン」というものがあったのだ。
AI画像の下の方にある葉っぱは、緑色の葉っぱ群、らしきもの。
「らしきもの」である。
日本のお茶の葉っぱがどういう風に生えているのか、「どういう形」なのか、まったく知らないらしい。
ただ一面、緑色の「葉っぱ群らしきもの」があるだけだった。
日本人ならば、茶畑といえば、あのかまぼこ型に刈られた小さな薮のようにすら見える小さな木が列をなしている光景が、目に浮かぶであろう。
そして4月から5月でもなければ、お茶の葉は新緑ではない。ほとんどの季節で茶色である。
あの樹々の間隔は、実は簡単な理由があって、機械を使って刈りこむかどうか、手摘みだけなのか、等々で違ってくる。
人間が両側で持ち上げて刈りこむ、半手動機械なのか、全自動なのかでも違う。
全自動機械を使う農家だと、列と列の間に機械が移動するためのレールがあったりする。
使う機械の種類によって、あの列の間隔も、実は違う。
コンバインみたいな乗り物に乗って行うタイプの茶摘み機械で刈り取る場合は、その機械の車輪が通れるように、当然両側を結構開けている。
平地ではなく、斜面(時に物凄い斜面もある)だと自動機械が使えない場合が殆どで、人間が両側で持ち上げる半手動機械と、一番茶なら手摘みである。
こういう光景をAIは全く知らない。
だから、知らない物は描けない。
写真とかで多数放り込めたら、極めて実写に近い「ナニか」でもって、あるいはそれを水彩タッチだの、油絵タッチだの、アクリルガッシュ・タッチだので、「茶畑の絵」と称するものを出してくるかもしれないが。
もし、そのAIが出して来た画像を擁護するとしたら、その茶畑は手摘みしかしない、4月から5月の平な畑の中央にいるのだ、と仮定するくらいだろう。
それでも無理があるのだが。
何故なら、背景が描かれていなかった。何処なのかすらわからない訳だ。
背景をぼかしたり、曖昧にするのはAI画像でよくある。
たまに背景がきちんと出来ているものがあるのだが、何かがおかしい、というものもよくある。
ディストピアでもなんでもいいのだが、これは変だなと思う建築物が描かれていたり、細部が一切省略されていたりする。
AI画像は、よく見ると、彼方此方が矛盾に満ちていたりする。
同じものを人間が描いたら、基礎が出来ておらん! こんなバランスもとれてない絵を出すな。やり直せ! と言われるようなシロモノが多数ある。
結局、その出されてきたものが、「使える画像」なのかどうかは、命令文を入れている人間が、判断している。
この判断の時、頭の中の認識がその人なりの自動補正で、「これでよし」としているのではないか。とも思える。
現状、AIが出してくる画像は、アートではない。
今のところは、かなり実験的な物だ。そう、実験画像である。
だから、それを称して「AIが作る、コンセプト・アート」だとか言い出しているのだ。
そうすれば、注目も集めやすい。
あくまでも、「コンセプトです」と言い張れば、細かいところを指摘しても、「そんな細かい所、どーでもいいじゃないか、全体を見ろよ」とか言われるだけである。
これをAIが造り出す、「サイバー・アートだ」とか言い出す人々が出てくるかもしれない。
だが。一見して派手な画像に騙されてはいけない。
どんな物でもそうなのだが、「神は細部に宿る」と、思うだけである。
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