第5話 車のバッテリーと煽られ運転と港の公園

車のバッテリーと煽られ運転と港の公園


  それはもう桜の花も散って、桜の木はすっかり青々とした葉に覆われたある日。

 穏やかな天気だった。

 私は久しぶりに車を出した。


 実は、四日ほど前の事だ。

 買い物でも行こうかと車を動かそうとしたのだが、あまりにも動かしてやらなさ過ぎてバッテリーが上がっていた。


 メンテナンス用に使っている充電器を持ち出して来て、繋いでみる。

 この装置のデジタル表示を見ると残量10%になっている。

 深放電しすぎていた。

 こういう状態だとたぶんもう、バッテリー交換しないとダメだろう。

 急いで通販で注文してから対処に取り掛かる。

 この深放電してしまったバッテリーに充電器で充電を開始した。

 3時間くらいやったがさっぱり、充電されない。10%のままだ。

 全く充電できていないのか。とりあえずスターターを回す。少しだけ動いた。

 セルが回ったのは間違いない。


 もう1回充電。15.5Vで15Aかけて2時間程度行うと、60%になっていた。

 生き返ったわけではないが、なんとかだましだましで使える程度に電気が入った。 まあ。近所の買い物に行くくらいにしか、使えない。


 注文から3日ほどして、お昼前にバッテリーは届いた。

 重たいバッテリーを外す。ここのナットも、なんで10mm.で統一してないんだろうな。3か所が10mm.なのに、1つだけ違う。マイナス端子の方だけ12mm.だ。プラス端子は10mm.なのに面倒臭い事だ。

 ラチェットレンチの大きいのが入らないので、いつも苦労する。眼鏡レンチを買うべきなんだろうな。そんな事を想いながら、新品を搭載した。


 新品バッテリーはEgの掛かりが違った。鋭い音で眠りから覚める。

 2000㏄のツインカムターボエンジンが眠りから覚めると、重低音の爆発音が エンジンルームから響き、車内にその振動が伝わってきた。

 それでいい。


 ……


  翌日、うららかな陽気の中。私は少し車で散歩することにした。

 何時も走らせる道を通って市内をぐるっと一周。

 そこから途中でスーパーによってお弁当とおにぎりとお茶を買った。

 しばらく、どこに行くか考えたが思い浮かばない。



 それで、港に行くことにした。今日は日曜だから駐車場に止められるか、定かではないが。


 港に向かう道路は気持ちのいいくらいに真っすぐ。

 そしてすいていた。いや、車が1台も見えなかった。

 しかしここは50㎞制限だ。残念なことに。


 制限速度で走っていると、急に後ろに真っ黒なワンボックスが張り付き、煽るような運転の後、横をぶち抜いていった。


 あー、はいはい。お先にどうぞ。内心そんな事を考える。


 こういう道で、日曜ならどこに白バイがいるか分からないのに、よーやるな。とか思う。


 あの強烈なドヤ顔した黒いワンボックスのエクステリアは大嫌いなので、バックミラーでそれを見続けるのは、とても気分が悪い。

 抜いていってくれると、逆にせいせいする。


 私の車が外見は白いスポーツカーなので、こう言う手合いに煽られたり、突っかけられるのは、もう慣れている。


 RX-7FD型のきつめのチューニングをした、轟く爆音のロータリー積んだレース仕様のデカールまで施してある車に煽られ、爆音でぶち抜かれた事もある。

 これは本当にびっくりしたが。

 あの車はおそらく一気に100㎞位までは加速したはずだ。50㎞でぴったり後ろから、ものすごい加速で抜いていったので、たぶん。


 他にも、青いシルビアS15に煽られたり、白い330Zに煽られたり、真っ白のホンダのシビックタイプRが煽ってきた事もある。

 前輪のホイールが黄色の、明らかにドリフト仕様な白い180SXワンエイティが追いかけて来た事もある。

 そのたびに左走行車線に避けて減速したり、曲がりたくもない道を左折して、避けたり。


 白いBMWがしつこく煽って来たのには閉口した。

 走行車線を左に寄せると、相手も左に寄せるし、前の大型トレーラーで詰んでしまいそうなので、右に行って抜いて左に戻ると、またついてくる。

 しかも車間距離が短い。

 あの白いBMW乗りにはうんざりした。



 ……


 そんな事を考えながら、のんびりと流していると、遠くから轟く爆音で白黒ツートンカラーのトレノが突っかけて来た。

 AE86、イニDの影響で塗り直したらしいパンダトレノだ。

 ボンネットがわざわざカーボンに取り替えてある。

 そして明らかに揃ってないエンジン音。


 低回転だと揃わないのか。パラパラいう音が揃っていなかった。


 それが、私の車に喧嘩売っていたのだ。横に追い越し車線があるだろうよ。

 しかし相手はべたりと張り付いた。


 たぶん、こんな平地の直線道路でベタ踏んだら、後ろのトレノがポン付けタービンか、スーチャー(スーパーチャージャーの意)でも乗っけてないと、この車にはついてこれないのだろうけど、ここは公道。踏む事は出来ない。



 この車は腐っても2000㏄のツインカムターボである。

 トレノの方がEg換装してない限りは、4AGの1600㏄NAだ。

 私の方のは、ブーコン(ブーストコントローラーの意)で、タービンも立ち上がり重視の設定になっている。

 前のオーナーがお山を攻めていたらしい。それで付けてあって、そういう設定だった。

 そんなので踏めばブースト圧が一気に掛かって加速。後ろのトレノはついてこれるとは思えない。


 4年ほど前にはエンジンを下ろして徹底的にメンテして、ECUと水回りはすべて交換してある。

 オイル管理もきちんとやって、メンテナンスしてあるエンジンとタービンは普通に好調である。


 あの車は、いやあのドライバーは余程自信があるのだろうか?

 バックミラーから見える顔から判断できる年齢はそれほど行ってない。

 30代から40くらいか。


 しかし、エンジン音もろくに揃ってない、整備も満足に出来ていない車に、この車が遅れを取る事は多分なかろうけど、ここは公道。


 そんなのはサーキットでも行ってやってくれ。


 この車のブースト圧設定はピークに行くのが早く、すぐに垂れるけど立ち上がり重視がお山には重要なのだ、とか言って前のオーナーがやったらしい。

 通常使う設定1にそれが入ってるのが、普通ではないのだが。

 設定2にも、何やらよく分からない設定が入っていた。たぶんサーキット用だろう。


 まあ、足回りもそういうセッティングだった。


 私は、別段お山を攻めたい訳じゃない。

 それで設定2のほうに、ブースト設定をやや普通のマイルドな物にして、入れてある。

 私は街乗りだから脚が硬すぎると言う事で、脚もだいぶマイルドにしてもらってある。



 私が左に寄せてウインカーを左に出し、制限速度運転していると、痺れがきれたらしく、4AGとは思えない酷いエンジン音を轟かせて、追い越し車線に移って抜いていった。


 こういう何者か判らぬ人々の煽りには、もう慣れた。


 私はもう草臥れたおっさんだし、そもそも走り屋じゃないし、飛ばそうとも思ってない。

 そういう喧嘩はもっと若い奴らがやっていてくれ。いつも心の中でそう思う。


 私は、元気よく回るエンジンで、元気よく自分の思う車速まで加速、減速してくれればそれでいい。

 MTに乗りたかったので、買い求めた時にそれらをすべて満たした車が、これだったというだけなのだ。

 絶対にGTカーとかスポーツカーに乗りたかったと言う訳では無い。


 MTでリア駆動に乗りたかったのだ。最初は4ドアセダンのアルテッツアMTか、ロードスターのMTで良いと思っていた。


 まあだから、私は散歩用GTカーだと思って、割り切って乗っている。


 そうこう、考えたりしていると港に着いた。


 しょっぱい匂いではなく、やや生臭い感じの潮風が鼻を通り抜けていく。

 白い漁船は全て岸壁に繋がれていた。

 漁があったとしても、もう終っている時間だ。

 岸壁を埋めつくすようにして、漁船たちがひしめき合う風景を眺める。


 人気のない漁港は、何やら寂しいものがあった。まず風の音以外、音がしない。

 海鳥すらいないからだ。


 私は車に乗り、海のほうにある公園に向かう。

 公園の駐車場は車が沢山で大勢の人がいた。

 やっと空いてる場所を見つけて、車をねじ込む。


 降りる前に、おにぎりと弁当を食べて、お茶を飲み、少し早いお昼にした。

 降りようとすると、後ろに家族連れがいた。


 30代半ばから後半くらいの風貌の男性が、多分小学生3,4年生くらいの息子さんと奥さんに、説明していた。

 「この車はな。速いんだぞ。」と言っているのが、はっきりと聞こえた。

 奥方らしき女性が、「恰好いい車よね。」と言い、その子供が珍しそうに私の車を眺めていた。



 何か説明を言うのもはばかれる。


 この車は、別段速い訳では無い。ホンダのS2000のほうがよほど速いだろう。

 しかし、この車のスタイルは、たぶんそう見えるのだろう。

 スカイラインの34か35のGT-Rか、FF最速の異名を取ったシビックタイプRなら、ニュルブルクリンクで証明されているのだから、文句なく速いのだろうけど。後はNSXとか、きっちりチューニングしたFDとか。


 他の車は、どういうステージで速いのかという定義をしないと本当は、速いかどうかすら言えない。まあ、そんなことをこの親子に言うのは野暮である。


 私は軽く会釈して、「もう古い車ですよ。25年ほど経ってます。」

 そう言って会釈すると、その男性がやや、はにかんだ様な表情を見せた後、少し笑顔を見せていた。


 私はその親子を置いてそのまま海岸に向かう。


 まだ午前中だが、海風が出ていた。

 西からの風が吹き付けて、海面は細かい波が立っている。

 テトラポットに当たる波が大きな白い飛沫を上げて、砕け散る。


 ここは、親子連れ、恋人同士で一杯で私は酷く場違いな場所にいる気がした。



 空には雲一つない晴天だった。

 そのまま海岸の堤防沿いに歩く。


 灯台の近くに行くと、釣り人が数人いた。どうやら何も釣れていない様だった。


 余りにも釣れ無さ過ぎたのか、2人が諦めて、竿を畳んで引き上げていった。


 私が子供の頃、ここによく釣りに来た。兄貴と2人でよく釣ったものだった。

 短い堤防が港の中に突き出していて、そこに行ってよく五目釣りをした。


 その短い堤防は取り壊されていて、長さが1/3になっていた。


 いや、そもそもこの西の灯台の土台以外のコンクリートは全て壊して作り直してあったのだ。

 私が兄と共に釣りをした思い出の場所は全て消え失せ、新しいコンクリートでかさ上げされた状態になっていた。



 東側の灯台のほうは、昔のままだ。

 こちらの岸壁から見えていた風景は、今も全く変わっていない。

 変わったのは西側だけだ。



 再び公園に戻ると、子供たちがスケートボードや一輪車で遊び、それを親が見守っている。


 いくつかの親子が、ピクニック気分でシートを広げて、昼食を取っていた。

 その脇では、子供たちを遊具で遊ばせる若い親たち。




 …… まったく場違いな場所に、私はいる。


 強烈に疎外感が襲ってくるのだ。


 もう、私には家族がいない。父親もかなり前に看取った。

 2つ上の兄貴も看取った。

 長兄はかなり前から行方不明だ。そして去年には母も看取った。


 私には一緒にここに来る家族、親族がいない。


 友人は全員東京方面。





 子供たちの騒ぐ声が、彼方此方で上がる。


 微笑ましい光景だが、妻も子供もいない私には、こう言う場所はきつかった。


 この歳で独り者になると正直きつい。まず会話の相手がいないのがきつい。


 唯一、私が会話の出来る店員たちがいた大衆酒場も、この蔓延した病気によって休業要請を受けてたりして、1年持たず倒産した。

 地元に長く40年以上も愛されていた店だったのだが。



 ……。



 そして、心にぽっかりと開いた穴は未だにうまく塞げない。


 母の最期の方の看護を思い出すと、ふさがりかけた傷口の瘡蓋かさぶたを思いっきり引きはがした時の様な痛みが心に走る。

 その度に唇を思いっきり噛み締める。


 今はまだ、母の最後の3カ月を毎日ベッド脇で記した介護ノートを読み返す事が出来ない。


 全力で介護もした。入院した母を、本当に毎日見舞った。

 あれ以上出来る事は無かったとは思う。


 亡くなった後の、毎日仏壇に向けての読経も1年間続けた。

 それですっかりお経を覚えてしまうほどに。

 それを母の命日までひたすらやった。


 それでも、まだ何か出来たんじゃないかと、自分を許せない自分がいる。



 また、砂浜の手前まで行き、堤防の斜めになっている壁に腰掛けて海を眺める。


 東に見える海岸は波がテトラポットに打ち寄せては砕け、白くなっていた。

 打ち寄せる波の上で自分の心が揺れていた。行ったり来たり。

 岸に来たかと思えば、海に持って行かれてしまう。



 風が一層強くなって、波が高くなってきた。



 これから、何を生き甲斐にするべきかすら、今はまだ分からなかった。


 答えが出るまで、まだ当分時間がかかりそうだった。

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