翻意
そう。
その光景を見たとき、すとんと何かがライラの腑に落ちた。
アレンは怒っていた。
静かに、それでいて押し寄せるというまだ見たこともない海の波濤のように。
「ライラ!」
「……何? アレン……」
思わず背筋がびくっと跳ねてしまう。
拒絶だったらどうしよう、そう思ってしまった。
アレンはそれでも強い男だった。
檀から手を離すと、長老を見、ライラを見て面白くなさそうに足下の木材を踵で踏みつける。
ゴンっと重い音が室内に強く響き、それは動揺とざわめきでまとまりがなかった教会の仲間たちをハッとさせた。
周囲が一瞬で静まり、村人たちの視線がアレンとライラに集中する。
若き指導者と、戻った心の象徴との対話を彼らは望んでいるようにライラには見えた。
「言いたいことは山ほどある。あるが、先にお前がすることを聞きたい」
「皆が何を望むかによるわ。獣人狩り……仲間は何人死んだの?」
ようやくその話題かとアレンはため息をつくと、短く刈りあげた髪を撫でていた。
黒髪に白の混じった空の雲のようなまだらの獣耳。
懐かしい光景を見てライラはつい懐かしいと思ってしまう。
切迫した雰囲気のなかでそれは不謹慎だと理解していたが、それでも改めて目にする何もかもが懐かしく新鮮味を帯びていた。
「死んだのはさらわれた先で病死した数名だけだ。村人は二百余名。そのうち、二割の四十人近くが三年でどこかに消えた」
「消えた? 奴隷狩りや獣人狩りだと言ったではないの」
「そうだ。結界の外にふっと姿が消えるのさ。だから、消えた、だ」
「……精霊王様の結界を安々と破ってくるやからがいるなんて、信じがたいけど。どうして死んだと知っているの?」
不思議だ。
仲間同士のつながりはあって当然。
だけど魂などでまでつながっているかと言われれば……そこまでの強固なものはなかなか存在しないだろう。
自分と精霊王のように、神の代理人であっても声が届かないことはしばしある。
神殿本部に、精霊王が出入りしていた十年間、ライラは一度も気づかないで過ごしてきたのだから。
しかし、アレンはさらわれた仲間が死んだと断言する。
それはつまり――
「探し、連れ戻して来たからさ。だが、俺もしばらくいなかったからな。その意味ではお前を責めれないんだ」
「貴方も村を出ていたの? 大まかすぎるわ、アレン。話があちこちに飛びすぎよ。私が戻ったこと、獣人狩り、神殿の意向。重なり過ぎてる。どうしたらいいの?」
肝心な部分を話そうとしない幼馴染にライラは過去の二人に戻ったような感覚でつい、話をしていた。過去の二人はまるで少年同士のように活発で、こういった口論もしばしばあった。ライラにとっては当たり前のこと、だが時間が経過して立場も過ごして来たものも違う。アレンはより無口に、ライラは聖女として公的な立場にあった経験が詰問口調に変化していた。
「……ディアス」
「あ、はい。師匠……」
アレンは弟子の女剣士を手で招くと、後は任せたと場を渡してしまう。
俺は苦手だと言って背を向ける彼の態度はらしくないとライラに思わせた。ディアスはそんな大役、と慌てふためくがそれでも師の意向だ。彼女なりに考えて状況を伝えようとする。
神殿騎士たちがやってくるまでもう時間が無いのに……!
ライラの思念には刻一刻と近づいてくる精霊たちの報告が山積みになっていた。
「ディアス、済まないけど早くしてください」
「あ、申し訳ございません……。師匠は昨年戻られたばかりなのです」
「先を――」
「はい……聖女様。さらわれた人数は師がお伝えした通りです。戻ったのは三十数名。あと二名ほどがまだ行方不明です」
「戻ったとは?!」
「師が、師とそれ以前は教会とゼフト神官が主となり、探索と戻ることの手助けをしてきました」
「ねえディアス。どこの誰にさらわれたの? そこを知りたいわ。まるで知っているような、そんな口調じゃない」
それは、とディアスは口ごもる。
アレン、村長、ゼフト神官へと視線を移してライラに戻ると、頭の獣耳を伏せて少女は柄にもなく小声である人物の名を口にしていた。
「……王太子様とその配下の近衛騎士団、です。聖女様……」
「アスランが? そんな話、一度も耳にしていないわよ?」
「殿下はその――獣人の子供を、それも女子を多く集めていて……私もその一人でした」
「貴方もさらわれたの?」
いいえ、とディアスは首を振る。
自分は幼い頃に売られたのです、と。そう悲し気に語るものの、ライラには彼女の過去を聞く余裕はいまはない。
まずは自分の意思を伝えるべきだ。
この場ではまだ自分に決定権がある。
ライラはそう感じていた。
「獣人狩りの問題は後ほど、殿下に交渉します。王国の人間、それも王家の意思なら精霊王様の結界が通用しないのも理解できるわ。それでいいかしら、いまはそれよりも……グラント守護卿」
「はい、聖女ライラ。決断は出来ましたか?」
「ええ……雪竜退治だなんて大きな名目でこの土地に入り込んで、貴方の目的は私とリー騎士長ね?」
守護卿はそれはもちろん、とうなづいた。
最初にすべき彼の任務はそろそろ、明らかになりそうだった。
「まだ、逃亡をなさいますか?」
「精霊王様と大神官様の。神殿と神の許可をいただいたうえでの行動よ。誰にも裁かれる覚えはないわ。貴方はクレドに神殿本部を移したのではなく、乗っ取りを企てたのではなくて? あそこには私の部下、二万の精鋭たる神殿騎士が在中している。彼らをどんな諫言を弄してだましたの?」
「いいえ、諫言などとは。ただ、古い方々はやはり頑固でして……若い有志の方が集まりはよかった」
なるほど。
大神官は王家との折衝に忙しく、いますぐには動けない。表立っての行動は更に波紋を広げる。クレドの精鋭たちは魔族との均衡を考えて動けず、神殿大学の王太子派がこの機に乗じて都合よく立った。
そんなところね、とライラは状況を読み解いていく。
彼ら若い神殿騎士たちの行動は不満の現れかもしれない。
でも――賢くないわ。
ライラは内心でそんなことを考えていた。
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