罪
カタンっと小窓が内側に開かれた。
それを耳にしたリー騎士長は剣呑な顔つきになり後ろを振り返ると、どうした、と小さく問いかけた。
「旦那、検問です。この時間に門を抜ける馬車は少ないですからねえ」
「検問? 抜けれるか?」
「荷物だけなら……人はそれこそ、あれですね」
あれ? 賄賂でも求めてくるのか? 王都への最初の入り口にして、王都から出るための最終出口。その場所ですらまともに機能していないとは……リー騎士長はくぐもった声で問いかける。
「だが、ランタンを灯しているだろう?」
「神殿や王家の紋章を掲げていても、最近じゃ確認されるんですよ。ほら、諸外国が来たときにいろいろと指摘を受けたとかで……」
「その意味では立派だな……まったく。渡した金貨で足りるか?」
「多分、でも中を改めると言われたらそこは難しいかもですねえ」
「分かった。なるべくうまくやってくれ」
そう言い終えると、車内の灯りを消しましょう。と提案してくる彼にライラは無用ですよ、と首を振る。その意図が分からない騎士長は反応に困っていた。
「車内の灯りは漏れるないようにカーテンを引いていますけど、いま消したところで誰かがそのランタンの熱を探れば妙な疑念を与えます。そのまま持って移動しましょう」
「それもそうですな。あの場所ならば光そのものが漏れるということもない。こんなものがあるということを知られるのが怖いというものだ」
「ええ、そうですね」
リー騎士長はニヤリと笑うと、足元に敷かれた粗末な絨毯を軽く足で叩いた。
それは彼の意思を受けてか妙な紫色の燐光を放つと、フワリっと入り口とは反対方向の部分が持ち上がり、まるで引き戸のような硬さとなって入り口を開いた。
「放り込んで構わないわ。上にあるのは特に身元が分かるものではない、神殿の祭事道具やその他庶民でも使う物ばかりだから。ここにあるのは――少し勘のいい役人なら私ではなくても高位の神官の荷物だと理解するかもしれません」
「丁度いい、自分の荷物だけ残せば事は足りるでしょう。御免」
それだけ言うと、彼は開いた入り口から薄暗い底の見えない床下の部屋へとどさどさと勢いよく荷を降ろしていった。小窓から見た検問はそう遠くなく、馬車なら数分もかからない距離だ。それまでにライラと彼女の荷物を閉まってしまわなければならなかった。
「旅行カバンにバッグだけで六つ以上も。随分、欲張りなのね私ったら」
「何度もあった野戦での経験が生きているのかもしれませんな。他の女神官が里帰りするときなどはもっと多くの荷物を持つものですよ。それにしても……聖女様、何か楽しんでやしませんか?」
「そう? 分からないけど、悪いことをするときってドキドキするものね。見つからないようにおとなしくしています」
「さっきまでの悲壮感が薄まっただけ、ましですよ。さあ、その意気だ。あなたの故郷まではまだいくつか検問も貴族領も通過しなくてはいけない。頑張ってくださいよ」
「このまま、下にずっといてもいいんだけど」
そう言いながらライラは足元があるかどうかを確認しながらそっと床下に降りていく。
そこはひと一人が収まるには広く、しかし、横になるには狭い。
あくまで荷物を上から出し入れできるような空間にしつらえられていた。
「この魔道具はしばらく放置されていましたからなあ。前までは常に上に乗りきらない荷物を放り込んでいましたし、野戦でも利用していた。妙なダニやノミがいなければいいのですが……」
「ええっ!?」
「獣人のお身体では人の身より被害に遭いやすいと思いますが?」
「そういう脅しだけは本当に好きですね! いつまで経っても変わらないんだから……」
「ええ、それでは灯りです。しばらく静かに願いますよ」
「はあ……」
パタリと入り口が閉じると、そこはまるで何もなかったかのような天井になってしまう。
敷布の下には異世界がありました? 何も知らない誰かが見たらそう言うかもしれない。神殿や王家お抱えの近衛魔導師たちには先達の秘儀が伝わっている。これもそうったものの一種だ。
「密輸や犯罪に使われないようにと外部には伝えないで来たけど、これって軍隊では使われてなかったかしら? まあ、敷布にこの魔法をかけて利用したのは少ない事例だろうけど」
あそこが開いてリー騎士長以外の顔が見えたら――その時は転移魔法かな。
足元にある荷物だけならどうにか運べそう。リー騎士長も連れて行かなきゃ……御者のおじさんには悪いけどどうにかしてもらうとしてうまく逃げれるかしら?
別に犯罪者でも逃亡者でも無いのに、こんな危険を侵すようなやり方は間違っているかもしれない。
でも、大神官からはこうしろという指示だった。聖女なら、普段の馬車なら――もしくは魔法で移動していいならこんなにめんどくさい方法は使わなくても良かったのに。
「えーと、確かここをこう……」
うっすらと色違いのそこの端に魔力を通してやり、トントンと指先で叩いてやる。そうすると、敷布はあちらからは見えないが、こちらからは視える、まるでマジックミラーのようにあちら側の世界を映し出していた。
リー騎士長の片足の底が見て取れる。下から見上げているような感じの中で、扉が叩かれる音がすると彼は威厳のある低い声を出して合図をしていた。
王国騎士の紋章をつけた男性が顔を車内に入れてくる。
必要な書類の提示を求めるまだ若い男性に、騎士長は神殿関係者だから必要はないと突っぱねていた。
それはその通りで、本当なら神殿の紋章を掲げた馬車や移動する集団は外国大使と同じ扱いを受ける。つまり、治外法権が適用されるはずなのに王家の圧力が日増しに強くなっていく。
「この国はこれから変わっていくのかもしれない……」
神殿に限らず、国内の有力な勢力はすべて王家に従属することを強いられる気がする。
こちら側からの音や光はあちらには届かないとは理解していても、ついつい声を潜めてしまうライラだった。
帝国の聖女は魔王に殺された、か。
その女性がどれほどの力を備えた存在かは知らないけど、勇者と対を成すと言われた聖女は普通は死なないはずだ。それを死においやった魔王とは多分、北の北壁を領土にしているあの魔王だろう。土地の場所的には東にある帝国より、この国のほうが魔族との国境線に近い。
「死ぬのは――嫌だな」
待っていると言ってくれた彼は本当に待っているだろうか?
待たせてしまって良かったのだろうか。
精霊王様は本当に彼の誓いを聞き入れたのだろうか?
……生涯孤独に生きる。
そう言ったあの誓いはどこまでも辛いものだ。人は孤独では生きられない。それは獣人だってわかりきっていることなのに。
アレンの家族には死ぬまで恨まれる気がする。
「はあ……。アレン、できれば誰かと幸せでなっていて欲しいものね。結婚しようなんて思って神殿を抜け出て来たのに、なんて愚かな女なんだろ、私」
彼がもし、他の誰かと結婚していたら? 恋人でもいたらどうする? 子供でもいた時は?
そんな想像なんてあの時はしなかった。それが時間をおけば冷静になれていろいろな可能性が脳裏に湧き上がる。
自分は彼にそんな選択をさせた過去を償うべきだ。
そう思っていると、リー騎士長は王国騎士を納得させたのだろう。
扉が開き、馬車が静かに動き出した。
「帰りたい。でも、帰りたくない。なんて複雑なんだろ」
ライラは荷物の上にしゃがみこむと、静かにため息をついた。
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