呪い
一つの心に二つの思いがあった。
戻っていいのか。でも、戻りたい。
ライラはまるであの夜の様だと思い出す。
馬車は夜闇に紛れるようにひそやかに走りだす。
神殿に初めて訪れた六歳のあの日。雷雨がひどく、まるで天が自分を必要としていないと叱りつけているのではないか。
そう思ったほどに雷が荒れ狂っていた。
後になってそれは雪竜がはるかな天空のどこかで雷を起こし、冬にこの土地へと送り込むための冷気を生産しているからだ。そんなまことしやかに嘘かどうかも分からないことを教えられてそうだったのかと納得したが。
今では神の怒りに触れているような気がしてならない。
信徒も王太子も国民も、慕ってくれていた騎士たちも。
育ててくれた大神官もそうだし、何より精霊王様も裏切ってしまったのかもしれない。
そう思うと、心がいたたまれない瞬間はなかった。
「もうすぐ、王都を出ますよ。聖女様」
「リー騎士長。あなたまでともに来られなくても良かったのに……」
「いいのです。大神官様からあなたをお守りするようにと仰せつかっております。本当はクレドへとお連れしたかったのですが」
「何故、クレドに?」
「あの城塞都市は外敵……今では一時的に講和を結んで停戦状態になっている魔族とのこの国の最前線。聖女であるあなたが管理を一任されていた理由はご存知でしょう?」
「……いざという時、私がこの国の盾となって死ねばよい。そういうことだと言いつけられていました。実際、魔族との戦端を開いた時もこの十年で数度ありましたし。それが嫌だというのはわがままだとも自覚しています……」
そう言うと、馬車の上に積み上げれなかった荷物を車内に入れてしまったおかげで、きちんと座るスペースもあるかないか分からないそんな狭い車内でリー騎士長は窮屈そうに大きな身体を屈めるようにしてライラを見、そして仕方ないなあ、と苦笑していた。
「もういいのですよ、聖女様。いいえ、ライラ様? そうお呼びするべきか」
「何がどう、いいのでしょうか。騎士長。ライラ、で結構です。もう聖女でもありませんし……」
「まだかもうかは精霊王様が決められることですから、何もお達しがない今は王太子妃様に座を譲られて元となるのでしょうが、それでも聖女とは永久職位ですからな。生きている限り、子供を産もうと結婚しようと聖女は聖女ですよ。みな、勘違いていますが」
「そうだったかしら。でも、それがどうかしたの?」
「つまり、一度選ばれたなら死ぬまでその地位は続くということです。意味が分かりますか? 世襲制でもなければ、任命でもない。選出性なのです」
「ああ、そういうこと。つまり、二名も聖女がいたらこの結界が……おかしくなる?」
「そうですね。だからこそ、クレドにはお連れできないのです。あなたが死んだ時、結界の内側にあるこの世界は半分が消えてしまうかもしれない」
「……まるで殿下のあの言葉。死ねば国の外に埋葬するというあの発言が的を得ているようで怖いわ。リー騎士長、どこまでご存知でしょうか? 聖女のこと、これからのこと」
「さあ? 自分はこれだけしか大神官様から聞いておりませんから。あのジジイ、あれでいてしぶといですぞ。まだ十年は生きるでしょうな。つまり、あなたは故郷に戻られたあとは外国に逃れたほうがいい。そういうことです」
「国外に……? それは魔族に利用されるから?」
ガタンっ、と季節の雨がぬかるませた路面にできた窪みに車輪を落としこみ、馬車が激しく揺れた。
リー騎士長はいてっ、と頭を天井にしたたかに打ち、小さく呻いていた。
それはまるで精霊王からの余計なことばかりを伝えてライラを不安にさせるなと、そう言いたいような行為にも思えてライラはどこかおかしくなってしまった。
「魔族どうこうというよりは、神の代理人として選ばれた者にはそれほど大きな何かがやってくる、と。そういうことなのでしょうな。私のような凡人にはうかがい知ることの出来ない世界です」
「そう……」
自分が選んだ道は十年前もそう、いまもそうだ。
どこかに大きな波紋をもたらせる。
これからもずっとそうなのだとしたら、この国にいるべきではないのかもしれない。
聖女という役職が生涯通じるものだったなんて。
死ななければ解放されないなんて、まるで呪いの様。
「聞いた話ですが、帝国の勇者が消えたという噂です」
「それが何か? ラプスア様だったかしら。炎の女神様の聖女様とご結婚される寸前で、聖女様が死去されたというあの?」
「そうです。先日いらしていたヘザー様の主人とは別の炎の女神様を主神に持たれた聖女だったようですな。何でも魔王と直接対決し、なぶり殺しに遭ったとか。勇者はそれを悲しみ停戦になった今回、帝国を去られたというお話ですな」
「……その聖女様には気の毒だけど、興味が持てないわ。帝国の皇帝陛下が稀に見る賢君で、魔族、人、竜族との三つ巴の戦争をたった四年で終結させたとは聞いたけど。この国は結界内だからそれほど大きな影響を受けなかったもの」
「自分が言いたいのは、神の代理人とは名ばかりで真実は呪われた存在なのかもしれない。そういう話です。ライラ様、あなたには夫を亡くして悲しむようなそんな人生は送って頂きたくはない。国王の側妃になるということは、この結界内では平和ですが結界の外の世界ではその真逆だ」
「そうね、でもそれも放棄してしまったのよ。大神官様からこれからこうするようにという詳細はあなたに伝えていると聞いていたけど。そういう意味だったのね……ライラはどこまで行っても精霊王様の手のひらの上にいるようだわ」
「ご不満ですか?」
「いいえ。でも、戻っても……」
「何かご不満でも?」
「いいえ」
ライラはそう言い、首を振って否定する。しかし、その脳裏によぎったのは彼の姿だ。
幼い頃に、自分のために待っていてくれると精霊王様に誓いを立ててくれた彼。
あの幼馴染の誓いを破らせることになってしまう。彼の想いを無駄にして裏切ることになりはしないだろうか。
アレン。
まだ、独りでいるの?
……あの人がもし待っていたら、彼には孤独を強いてしまった。
謝罪を彼は受け入れてくれるだろうか?
☆
(契約? 死ぬまで王国に尽くすのか? 一度死んで、生き返ったらまた自由が無くなるんだぞ? お前、それでもいいのかよ!?)
(いいの。それで次から聖女はいらなくなるの。悲しい運命は私で終わるのよ、アレン)
(馬鹿だよ、ライラ……お前は馬鹿だ。そんなことしても、お前は救われないじゃないか!)
(……でも家族が聖女になったとしたら、十年後にその死を泣く人はいなくなるわ。分かってよ、アレン)
(お前がそれを楽しんでやれるならいいけど。どうなんだよ)
(……わかんない。でも、やりたいの。もう契約したから……だから、無理だよ。待っていても戻らない)
(いいさ。なら俺も孤独に死ぬ)
(アレン!? あなたが馬鹿みたいだわ。やめてよ、そんなこと……)
(決めた。俺は精霊王様にいま誓った。俺の人生はお前に捧げるって)
幼馴染の少年は、聖女の制度を撤廃することをライラが選んだと知ると、精霊王に生涯独身を貫くと誓いを立てた。
ライラを不遇から救ってくれるように、自分もその人生を彼女だけに捧げると言ってくれた。
死ぬまで王家に尽くすから、戻ることはないわよ?
そう諭しても、彼は譲らなかった。
(意味が理解できないよ、アレン……)
(できなくていいよ。だめなら、いつでも戻ってこい。ずっと待ってるから)
☆
そう言ってくれた、記憶の中の幼馴染の少年は――まだ優しく微笑んでいた。
結婚したいなんて私の愚かな我がままなのかもしれない。
ふとそう思った時だ、馬車を操る御者席から車内に通じる小窓から御者の声が飛び込んできた。
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