婚約破棄

 王太子は暴力を奮った手を振ると、やれやれといった感じでライラを見下すように視線を下ろし、再度、口を開いた。


「蘇生、か。まるで死人を側室にするようでぞっとしないな、ライラ」

「精霊王様とのそういう契約でございますので……」

「契約、か……いまは聖女だから王族であり人間様の俺と話ができる。お前、獣人じゃないか……汚らわしい。獣と人の混血が、王族に混じりたいだと? 冗談もいい加減にしてほしいものだ。獣は獣らしく、農夫の娘は農夫の娘らしく故郷で土でも耕して生きたらどうなんだ?」

「お言葉を返してもよろしいでしょうか、殿下?」

「チッ、まあ、いいだろう」

「ありがとうございます。来月、私が死に蘇生した後のことは――精霊王様がお決めになられたことですから。私にはどうにもできないことかと……」

「それだ!」

「はい……?」

「お前が聖女になってからこの十年。王国には魔族や瘴気の汚れすらも現れていない。そうだろう、ライラ?」


 それは故郷の仲間たちが自分の張った結界の内側にいた魔族や魔物を懸命に退治してくれたから。

 それは、三代前の聖女の兄である現大神官様が、妹を失った悲しみを二度と味わいたくないと、命をかけて汚れを滅する神聖魔法を張ったから。

 物事には何事も時間がかかる。

 すぐに結果がでるものなど、薄い効果しかもたらさない。

 王太子はそれを理解していなかった。


「……つまり、私が聖女である必要は、特にない、と。そうおっしゃりたいのですか、王太子殿下?」

「いやいや、そうじゃない。聖女が寿命をかけてまで結界を維持する必要はもないだろう、とそう言いたいだけだ。もしくは……」

「もしくは、なんでしょうか、殿下?」

「死んで生き返り、側室になるというのが気に食わん。それは本当に精霊王様の決めたことなのか? 王族に入りたいがためのお前の妄言ではないのか?」

「なにをおっしゃいますか殿下……」

「血筋が大事だと、殿下はそう言いたいのですよ。聖女様?」

「あなたは……」


 そんな一言とともに現れた少女は、ライラと同世代か少しばかり年上に見えた。

 王太子の瞳と同じ朱色の髪に、緑の瞳。

 つやつやとした陶磁器のような白い肌は、農民の娘である自分にはため息がでるほど、うらやましいものだった。


「己の主の妻の顔も知らないの、聖女様は世間知らずですね?」

「いえ……王太子妃様。ご結婚の際、挨拶と祝福を授ける儀式でお会いしておりますから、記憶にございます」

「そう。殿下、お話の途中、よろしいですか?」


 王太子妃ハンナ……確か、財務大臣を務める父親を持つ元公爵令嬢。

 王太子と学院で知り合い恋仲から正室に登り詰めた才女だったはず。

 その彼女がこの場所になぜいるのかが、ライラには理解できなかった。

 ここは王太子の結婚を祝う挨拶をするだけではなく――側室になるための日取りやこれからのことを話す場だったからだ。

 正室が出てくるなんて、これから先の未来が真っ暗になった気分。

 ライラはそう思いながら、いずまいとただすと立ち上がろうとする。


「おい、そのままでいろ。側室候補が正室に対して失礼だろう?」

「は? しかし、私はまだ聖女です。聖女は王族と同列の扱いを受けるはず……っ!?」

「口が過ぎる、と忠告したはずだ、獣人。次は無いと思え?」

「っ……!? 申し訳、ございません……」


 また、頬を張られた。

 神殿に戻る前に治癒魔法で治さないと、下の者たちに余計な不安を与えてしまう。

 そんなことを思い顔を伏せていると、王太子妃は得意げに何かを語りだした。


「聖女様、歴代の聖女の中に、獣人はいなかったことを御存知?」

「は? え……いえ。少なくない数ですので、そこまでは――」

「そう、なら教えて差し上げます。一人もおりませんの。そして、我が公爵家は三人。血筋が重要ではないかと、そう思うの。どうかしら?」

「もしかすれば、そうかも――しれません。精霊王様がお決めになることですから……分かりません」

「そう、聖女様でも理解されていないのね。なら、次代の聖女には私がなることにしましょう」

「……? それは本気ですか、王太子妃様?」

「もちろん」


 朱色の豪華に結い上げた髪を自慢げにかきあげて、ハンナはわがままな子供が欲しい物を見つけたような目をしてライラに向き直った。


「……しかし、それを決めるのは――我が主たる精霊王様の一存……私ではお答えしかねます」

「ああ、いいのよ。そんなこと気にしなくても」

「はい? 意味を理解いたしかねますが、王太子妃様」

「あなたが死んだあと、精霊王様とは大神官を通じて話をするから問題ないわ。それに死ぬとは限ってないのではなくて?」

「なぜですか? 殿下も王太子妃様も、どうしてそのようなことを今更言われるのですか……」

「だって、聖女は十年で死ぬとは言われているけど、これまで誰もその死に様を確認していないもの。墓もなく、遺体もない。我が公爵家から出た三人の先祖たちも、どこかに行方をくらませたのではないか。そう言われているから」

「事実と違った場合、どうなさるおつもりですか、王太子妃様。そうそう簡単に聖女になれるとは限りません。選ばれるのは精霊王様です……」

「だから、その交渉を大神官にさせると言っているの。王族であるこの私が、聖女を三人も輩出してきた公爵家のこの私がそう言うのだから、きっと聞き届けてもらえるはずよ。十年と言わず、死ぬまで聖女を続けるわ」

「……私にはお答えしかねます、王太子妃様」

「そうね。だいたい、獣人の血を王族に入れるなんて、これほど愚かなことはないもの。あなたは要らないのよ」


 愚かなこと?

 実家の仲間たちが死に物狂いで王国に尽くしてくれたその結果は何も報われない……

 この王太子妃の発言を聞いた時、ライラの心の中で押し殺してきた感情が一つ爆ぜて散った。

 それは多分、聖女としての使命感とか、王国に対する忠誠心とかそういったものだったのかもしれない。

 何かが吹っ切れて、ライラは心に一つの想いを得た。

 帰ろう―……と。


「そう、ですか。では、もう聖女は……獣人上がりのこのライラの役目は終わったと。そう考えてもよろしいのでしょうか、殿下? いかがでしょうか?」

「ふむ。そうだな、妃が言うように、獣人の聖女はお前ひとり。そして身分も低く、農民の娘では側室にあげるとしても――世間の笑いものになる。王族とは高貴なものだからな……ハンナが精霊王様と交渉して聖女になれるというのであれば、それで俺は構わん」

「そう……分かりました。戻りましょう、お前たち。殿下、妃様。どうか末永くお幸せに」

「そなたもあと数週間だが、務めを果たすようにな」

「はい、その様に致します」

「ああ、待て」

「……何か?」

「俺とお前の婚約はここで破棄するものとする。死んだあとは――そうだな、獣人の遺体を王宮や神殿に埋めるのももったいない。故郷は国境の側だったか?」

「そうですが、家族が何か申し付けられる、と?」

「いいや、結界の外ならば埋葬を許そうと思ってな。まあ、死ぬとは限らんが?」

「……御好きになさいませ。下賤な獣人は、これにて失礼致します」


 婚約破棄はまだいい。

 結界の外はつまり、国外ということになる。

 死んでも、この王国の土には戻れないらしい。

 ライラは肩を落として王太子夫妻に一礼すると、静かに部屋を退出する。

 続く神殿騎士たちが彼女をこれ以上つらい目に合わせまいと、傍を固めてくれたのがいまは何よりの救いだった。

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