計略
出て行った、か。
そうつぶやくように言うと、アスランは疲れたように長椅子に座り込んだ。安楽椅子がこういう時にはありがたいな、そう彼は再度言うと、ライラの跡を追うように視線を部屋から開け放たれた窓の先に続く空へと向ける。
追い出したくて仕方のない相手を追い払ったはずなのに、王太子の顔はどこか曇っていた。
「殿下? いかがなさいましたか? 聖女様になにか問題でも?」
妃のハンナがそう声をかけると、彼はちょっと困ったように微笑み、そばにおいでと彼女に手招きする。その仕草は先ほどまでの傍若無人としたものではなく、慈愛に満ちたもので時期君主の片りんを見せるようだった。
ハンナはその招きに応じて腰かけるが、やはり夫の困ったような雰囲気が変わらないことに不安らしい。まだ結婚して三か月程度。こうして非公式に夫婦で共に過ごす時間は貴重だとばかりに、ゆっくりと夫との距離を縮めようと腰を移動する。王太子はそれを見て、彼女にだけ見せる笑顔を注いでいた。
「あれは礼儀がなっていなかった。それを身分を示すことで教えたかったが――どうも手順を間違えたらしい。あれの出自はともかく、家族をけなすのではなかったかもしれんと思ってな」
「ああ……あの、農夫の娘、という……」
「それだ。あれはあれ、家族は家族。誰であれ、それを悪しざまに言うことは賢くないなと思っていたところだ。しかし、王族に入れないというのもまた事実。精霊王様の思惑がどうあれ、王族と神殿、民はまた別だ。父王はそうでもないようにお考えだが――俺はそこのけじめはきちんとしたかった」
「ここ十年で先代、先々代の聖女様が就任なさったときよりも魔族の問題も、魔物の侵入も減っていると報告がありましたし……でも、冬が今年は厳しくなると聞きましたけど」
「政治は父上に任せればいい。そのためのあの結婚式だ。各国の代表に各神族の聖女・勇者や代理人を招いて準備はできたというからな。俺達の式をいい様にされたのは面白くないが、まあ……さすが父上だ」
「魔族との和解も済ませた、ということですね。それに、親族の縁も得ることができました。それも、王族として、国として、指導者として」
「ああ、そうだ。いつまでも神の恩恵を被るのも、それに甘んじて生きるのも、この狭い世界に閉じこもるのも賢くない、父上は若い頃の諸国遊説でそれを学ばれたという。現に、来られた来賓の方々は俺達王族より、余程贅沢な生活をしている様だった。穴蔵に籠もる生活はもはや国を衰退させるだけだ。それがこの十年のいい例だろう」
最後の聖女。
その名目で神殿は大きく勢力を広げていた。
王はそれをアスランに語り、それを知るために学院に入り国の未来を知る。手助けしたのがハンナであり、二人の国の将来に対する意識はほぼ同じものだった。
「あの城塞都市クレドとその周囲が神殿の、しかも、聖女様の御名義だって知ったときは驚きましたわ。西のナーブリーとの要衝にして魔王が住む魔都との最短の国境線。誰よりも重要視しないといけない場所を与えるなんて。まともな為政者のすることではありませんもの」
「これ、国王陛下がお決めになられたのではない。神殿側が決めたことだというではないか……間違えてはいけないよ、ハンナ。誤解は大きな溝を生むものだ」
「その溝が先ほどの会話で生まれたと心配なのは殿下ではなくって??」
「むう……」
気づいていますわ、そう語り掛ける王太子妃にアスランは隠し事はできないなと目を瞑り頭を振った。それはその通りだ。相手は婚約破棄どころか墓場すら国内に置くことはならんと言われれば、それは憤慨するだろう。しかし、誰も気づいていないのだ。聖女を用いた国の安全システムを終了すると言い出した神は民を見捨てようとしたのかもしれないということを……
「どしましたか、殿下。またお顔は曇っていらっしゃいますよ?」
「まあな。神が政治に興味を示したのは珍しい。父上はおおくの国の事例を調べたが、過去にはそうそうなかったということだ。北の大陸では幾度かあったらしいがな」
「聖女を妻にする、もしくは王族から嫁を迎えそのまま子供が即位するなど、ですわね。どの国もその後は衰退し滅んで行きました。主神の加護を失って――」
「その理由が神と人の和子が旧王族と国を巡って争い、その醜さに嫌気がさしたからというなら、最初からしなければ良かったのだ。未来は見えていただろうに……ライラが側室であっても王族に入ればそれは精霊王の勢力が生まれるということになる。国を二分されるなど、どうにもやってられんな」
「もし……」
「ん?」
「もし、受け入れていればライラ様とうまくできたでしょうか?」
「正室と側妃としてか? そこは女同士、うまくやれ俺にとってはお前が一番だ」
「そう……それはありがたいことですが、殿下。そうですね、人は薄情なものですから……愛してしまえばそれは変わるかもしれません」
ふん? どこか恥じらいを見せる妻は珍しい。学院で恋人同士だったときもそうだったな、とアスランは思い出す。彼女はとても強情で意地っ張りで、それでいて幼く、また寂しがり屋だった。成長した今ではそんな素振りはないが、やはり夫を誰かと共有するというのは女としての何かが許さないものらしい。
「嫉妬か? あの嫌われるような言い方はだいぶ演技が入っていたように思うがな?」
「らしくないと、そう――おっしゃるの?」
「かもしれない。何より、君は聖女になると言ったが、それはどこまで本気だ?」
「どこまでもです。国母になるのであれば、王のそばにいて国を守るのも務めではないですか。力を失った側妃など、元聖女なんてどんな役に立つものか……」
「神殿の政治からの排除、国の中枢からの締め出しもそろそろできてきたころだ。彼らの魔族撃退には感謝するが神の威を借りて好き勝手されては困る。その意味では聖女を側室にするのは問題がありすぎた。これで良かったのだろう、多分な」
「では、あれも早々にしなくてはなりませんね」
「そうだな。あと半月の間、あれを王都から出すわけにはいかん。死ぬかどうかは別にして、最後まで聖女としての任務は果たしてもらわなければな」
二人の王族はでは始めようかとうなづきあっていた。
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