王太子の暴力

 ――十一月


  もうすぐ、十回目の冬が来る。

 水の精霊王の神殿前を通りかかったとき、水時計が指し示す季節の方角を見て、聖女ライラはふとそう思った。

 十一月の終わり。

 初めて自分がこの神殿へと招かれた日を思い出してしまう。


 あの日は雷雨がひどく、まだ六歳だった自分は雷に怯えながら、歩いて二週間ほどかかる東の村からこの王都へと連れられてきた。

 また、誰かを探すようなことをしてはならない。

 そのために、あと少しだけ頑張らないと。

 ライラはそう決意をすると、神殿への階段を上り始めた。

 今日は大神官に来て欲しいと、この神殿へと呼ばれていた。


「お久しぶりですな、聖女様。あなたはお元気そうだ」

「……大神官様。お久しぶりです、最近、具合はいかがですか?」

「年寄りには、この寒さはこたえます。私も、あなたと共に神に召されるかもしれません」

「まあ、そんな元気のないことを」


 老人は一本の枯れた棒のようにやせ衰えていた。

 老衰だ。

 寿命が果てようとしている彼には、どんな奇跡も、もう通用しない。

 ただ、静かに余生を楽しむようにと告げることしかできなかった。


「回復魔法であれば、少しは元気になりますか?」

「いいえ、もう、いつ死神様がお迎えに来れられてもいいように、あなたに最後の挨拶をとそう思いましてな」


 しゃがれた声が、悠久の別れを告げるようにこの十年間、共に神殿に尽くしてきた仲間に向けられる。

 聖女も、あと半月の命。

 世間にはあまり知られていないが十年すれば聖女は死ぬ。

 その十年間で人としての寿命を使い果たすからだ。

 古代からの決まりごとを知っていてもなお、大神官はライラをその地位に選ぶのではなかったと後悔していた。

 彼女が聖女の宿命を自分の代で終わらせようとして、精霊王とある契約を交わしていたからだ。


「私の心配は無用ですよ、大神官様」

「あの約束があるからか? だが、そなたは死に蘇生した後、半世紀以上も王国に尽くさなければならない。正室ではなく、側室として。どこまでもひどい話だ……」

「仕方ありません、それが聖女の寿命を奪う制度をやめて欲しいと、精霊王様に嘆願したときの契約ですから」

「しかし、正室でもよかったはずだ。側室になる時には、仮にも元聖女だというのに」

「……獣人では正妻になれないそうです。これまで前例がないとの精霊王様のお話でした。この国では獣人の身分は低いでしょう? 聖女と王族は同列の扱いを受けるとなっていても、それは死ぬまでのこと。蘇生したのちは、元聖女です。地位の低い農民の娘に戻るのですから――側室になれるのはある意味、恵まれていると思います」

「王国はこれまで精霊王様の結界を必要とし、その管理のために聖女は存在した。十年という短い人生を、捧げてくれて結界は守られてきた。聖女は次から不要となるが、そなたが犠牲になってしまう。すまない……本当にすまない……」


 真っ白くなった豊かなヒゲに覆われた顔で、老人は少女に頭を下げていた。

 ライラは黒髪に水色の瞳の、知的な顔立ちをした――獣人。

 青い神狼の血を引く彼女たちは、頭頂部に青い毛皮に覆われた耳を二つもち、ふさふさの青い毛並みの尾を腰から垂らしている。それは神官の衣装の中にあって見えないが、大神官の謝罪に対して申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。

 不安そうに、ゆらゆらと服の中で揺れていた。


「いいではありませんか、大神官様。これで、次代の聖女をさがす必要もなくなりました。寿命を薄くして散っていく命も減るでしょう。みんなが幸せになれるなら、それが正しいことなのだと、ライラはそう思います」

「そう言っていただけるなら……この十年、そなたを指導してきた甲斐がるというものだ。ありがとう」


 そう言い、彼は精霊王を祭る祭壇へと行ってしまった。

 死んだあと、同じからだに蘇生して――王太子の側室になる、か。

 そこだけがライラの中で、たった一つだけ心に引っかかる点だった。


「アレンはもう、待っていないでしょう」

「は? なにか言われましたか?」


 お供の神殿騎士が、ライラの独り言に首をかしげる。

 いいえ、何でもないの。さあ、王太子様にご挨拶に参りましょう。

 そう言うと、ライラは気を取り直して王宮へと向かう馬車に乗り込んだ。

 これから、婚約者である王太子との謁見が待っている。

 話題は式に関することだと聞いてはいるが、奴隷解放などの好ましくないことも彼の耳には入っているかもしれない。

 そんな聖女を見やり、同じ馬車の中でリー騎士長は励ますように彼女に暖かい視線を送っていた。



 ライラが王太子との謁見の間に着いた時、先方は不機嫌な顔で聖女を歓待してくれた。

 獣人であっても聖女の間は王族と同等の扱いを受けるとは、こういうことなんだ。

 そう驚くライラにその場に呼び寄せた会話の席の主として、王太子は紳士然として挨拶する。しかし、その目は優しくないまま、ライラは彼の目前に立ち挨拶を受けた。

 視界にあるのは豪華な来客をもてなすための椅子やテーブルの応接具とともに、王太子の護衛をする近衛騎士が数名。

 でも、騎士たちは彼女たちばかりで――外見もライラと同じく獣人ばかりの見目麗しい女性たちが揃い、会場に王太子よりも遅く入った聖女に礼儀がなっていないとばかりのきつい視線を投げかけてくる。

 愛人という感じかしら……?

 そんなことをふと思い、椅子に案内されるかと思いきや、アスランからの声がかかる。

 そして、質問はいきなり繰り出されてきた。


「君はあれか? 青き狼の神の血を引いている一族だというのは、本当か、ライラ?」

「……?? 何のお話でございましょうか、王太子様?」


 質問の意図が分からず、つい、ライラは王太子アスランに問い返してしまった。

 王族として下級の身分の人間から質問を受けるなんて、彼にはあまり経験がないらしい。

 切れ長の、燃えるような朱色の瞳が怒りに染まる。


「無礼者がっ!」

「あっ!?」


 王太子アスランはライラの物言いが気に入らない。

 粗暴と噂される彼らしく、目の前に立つ聖女の頬を左手で張り、床に突き飛ばしていた。


「殿下っ……何を……何をなさいますか!?」

「まだ口答えするのか、たかだか聖女の分際で。この俺が質問しているのだ、さっさと答えないお前が悪い」


 傲慢な王太子アスランは、神すらも足元にひざまづけと思わせる態度を見せる。

 ライラを部下である神殿騎士たちが守ろうと一歩前に足を踏み出すと、王太子を警護していた近衛騎士たちに緊張をもたらせた。


「いいのです、お前たち」

「しかし、聖女様を……っ」

「いいの、下がりなさい。相手は王太子殿下。この国の頂点に立たれる王族ですよ、不敬はこちらが詫びなければなりません」

「ふんっ。物わかりのいい女は好きだぞ、聖女。ああ、もうすぐ農家の娘になるのだったな? 十年、ご苦労だった農夫の娘、ライラ」

「……ありがとうございます、殿下。おほめいただき、光栄です。この十年、王国に尽くしてきた甲斐があったというものです。残る半生、一度死に、蘇生したのちには妾として、お側に置いていただきたく存じます」


 立ち上がると、同じ目線で会話することになる。

 それはこのアスランという気の短い男の怒りをさらに買うことになるだろう。

 ライラはそう考えて、床に伏したまま彼に頭を下げた。

 それは獣人という彼女の外見も含めて、アスランの気に入らないものだったらしい。

 頭の上から降って来た返事はひどいものだった。


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