第2話 甘い夢を魅せて 3

**

「ありがとうございました」

 お礼を言われるのがこれほど似合わないサービスもそうないだろうなあと思いつつ、「どういたしまして」と返す。

「あの、これお金です」

 茶封筒の中から一万円札が五枚。私はそのうちの二枚だけを受け取って、残りを返した。

「えっ」

「特別サービス。クリスマスプレゼントってことにしてあげる」

「でも……」

「いいから。その代わり感謝してよ。普段こんなこと絶対ないんだから」

「……」

 黙ったままの少女を放置して、私は部屋の扉に手をかける。

「それじゃ」


「待ってください!」

 背後、恐らく会ってから一番大きな声で、彼女は言った。

 振り返ると、彼女はカタカタと震えていた。


「私は、どうすればいいんでしょうか」

「……」

「人を殺してしまった、私は、これから……」

「知らない」


 私は食い気味に即答した。

「え」

「知らないよ。私、人刺したりしたことないから」

「……」

「まあ、一つ教えてあげることがあるとするなら、正しい答えなんてないよ。何を選んでも後悔するように、人間はできてるんだから」

 いくら年上とはいえ、随分偉そうな物言いだなあと内心苦笑する。しかし、自分の言った言葉には確信があった。


 私だって、後悔に後悔を重ねている。選べるならこんな金稼ぎはしていない。

 じゃあ、今それを辞めればそれでいいのかというと、きっとそうではない。生きることを諦めたら、それこそ本末転倒だ。


 死なない程度に後悔を重ねて、可能な限り小さな後悔を選択して生きていくのが人間なのだろうと、私は信じている。もっと明るいことを信じろと言われるかもしれないけれど。


「私は、何も言わない。あなたを通報したりもしない。すべてあなたが、自分の責任で決めることだよ」


 偉そうな言い方だけれど、曲がりなりにも私は、それを実行しているつもりだ。たとえ、誤った方向にだとしても。


「……はい」

 伏し目がちな少女の返事に頷き、私は今度こそ部屋を去った。


 ホテルを出て、今日は随分余計なことをしたと反省する。別に誰かに注意されるわけでもないけれど、次からはきちんとしようと思う。

「これもまた、後悔か……」

 路地裏の道、詩人のようにつぶやく息が。白く夜空に滲んだ。



***

「お姉ー」


 玄関を開けるなり、理梨が飛びついてきた。


「もう、またこんな時間まで……」

「ごめんごめん。でも、ほら」

「あっ!! わああ……!」

 約束のチキンと、ケーキを四切れ。普段の生活からしたらはるかに高級な食べ物だ。しかし、その甲斐かいあってか、理梨の瞳はかつてないほど輝いてくれていた。


「メリークリスマスだね」

「そうね。お風呂入った?」

「うん。軽くシャワー浴びた」

「そう。お姉ちゃん風呂入ってくるから、先食べてて」

「やだよ。一緒に食べたいもん。待ってる」

「まあ、好きにして」


 厚手のコートを脱いで、ボックスから寝巻を取り出す。

 理梨はケーキの袋を机の上に乗せて足を伸ばし、どこか嬉しそうにくつろいでいた。

 やはりいつも口に出さないだけで、本当はもっと遊んだり出かけたりしたいんだろうなと思う。それは当たり前だ。私だって同じくらいの歳の時にはそれなりに遊んでいたし、出かけたりもしていた。


「理梨」

「なにー」

「前も言ったけど、もっと、遊んでいいんだからね?」

「んー」

 妹は辟易へきえきしたというように気の抜けた声で返した。しかし、私はどうしても言ってしまう。


「中学生は、二度と来ないよ。だから」

「二度と来ないのは、何歳でもそうだと思うんだけど」

「それは、そうだけど」

「もういいよその話は。ほら、はよ入ってきて」

「……うん」

 口うるさいと思われているのだろうか。理梨の幸せだけを私は願っているのに。

 汗はシャワーで流れても、妙に気落ちした心情は胸の奥深くにこびり付いたまま剥がれることはなかった。



”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

 お腹をふくらませて満足したのだろう。理梨は寝転がるなり、すやすやと寝息を立て始めた。

「身体冷えちゃうよ」

 つぶやきつつ、熟睡する妹に毛布を掛ける。以前より少し髪が伸びたかもしれない。また、切ってあげないと。

 理梨は手を、曲げたはさんで眠っている。小さい頃と同じ寝相だ。「ここあったかいんだよ」と昔から理梨は言う。

 理梨はそのまま変わらず生きてきたんだなと羨望せんぼうにも近い心情を抱く。なのに、時間は、世界は、止まるどころか加速してしまっている。その中で、私たちだけが取り残されてしまっているような、そんな気がどうしてもしてしまう。


 聖夜に似つかわしくない暗鬱あんうつな気持ちを振り払って、私は帰り道に買ってきたクリスマスプレゼントをバッグから取り出した。マフラーと、ブーツ、そして手袋。これを身に着けて、外出してくれたら。

「メリークリスマス」

 呟いた私の声に呼応してか、理梨が何か寝言を言った。それがいとおしくて頭に触れかけたその手を、私は直前で引き留めた。



****

 今日も理梨はアーガイル柄のマフラーをつけている。もう春が終わるというのに。


「理梨、体調崩すからやめなマフラーは」

「いいじゃん。せっかくのプレゼントだよ。ほんとだったらブーツとか手袋もつけたいくらいなんだから」

「馬鹿」

「馬鹿じゃないし」

「馬鹿にされるでしょ。そんな季節外れのもの着てたら」

「別にいいし馬鹿にされたって」

「そういうことじゃなくて」

「遅刻しちゃうからもう行くねー。ばいばい」

「……いってらっしゃい」

 セーラー服の後ろ姿を見送る。アニメじゃないんだから半袖着るならマフラーも外せと思う。


 駆けていく妹の姿は光り輝いて見える。かもめのように、どこまでも飛んでいけるように、そう見えた。私とは違い、綺麗な世界だけを見て生きていくような、そんなあわい期待を抱いた。

 それが、油断だったんだ。

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