第1話 甘い夢を魅る 2

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 普通は最初にお風呂で体を綺麗にすると思う。

 しかし、私自身は後から入ることにしている。理由は、相手を信用できないから。

 

 バスローブ一枚をまとったマナさんは湿しめった身体を抱きながら恐る恐るといった体で出てきた。


「マナさんはそこに横になっててくれればいいですよ。あとは全部私がするので」

「……」


 しかし、彼女はなかなかバスローブを脱ごうとはしなかった。

 ここまで来て怖気づいているとしたら、流石の私も腹が立つ。引き返す機会なら何回も与えただろうが、と。


「あの」と私が言ったのと同時に、彼女は口を開いた。

「驚かないで、くださいね」

「はい?」

 何を言いたのか、判じかねていると、彼女はゆっくりとその素肌を露わにした。


 彼女の身体には、紫のあざがいくつも浮かんでいた。胸に、下腹部に、わき腹に、太腿ふとももにも。

「背中にもですか」

「……」

 彼女は無言のまま振り向いた。背中にも臀部でんぶにも、それは浮かんでいる。


「夫は、いい人なんです。でも、時々発作ほっさを起こすというか、癇癪かんしゃくを起こすというか。気付いたらこんなになっちゃってました」


 乾いた笑みを浮かべて、彼女は語る。

 それが定型文なのだろうか。こういう人たちの。苦しんでいるのは本人だろうから偉そうなことは言えないけれど、それは自分自身をもあざむく危険な行為だと思う。……本当に、私の言えたことではないけれど。


「でも、服を着れば、隠せるところにしか、痣はないんです。だから、まだ全然」


 それは違う。服を着れば隠せるところにしか傷がないのは、自らの暴力の痕跡を周

りに知られないためだ。情けなんかじゃない。保身のためだ。


「醜いって、思いますか?」


 叱られた子どものように、彼女は震えていた。

 私は、というと、多少驚きはした。それはそうだろう。今までの彼女は、そんな傷がついている素振りなど見せなかったから。


 けれど、みにくいとは思わない。これまで何人も同じような人を見てきたから、慣れっこだ。

 私の仕事は、つかの間でも彼女たちに平穏へいおんと快楽を与えること。そこに無駄な見下しはいらない。ためらいもない。

 私は胸元の傷跡に、軽く舌を這わせた。その先端がわずかに乳房に触れると、驚きのせいか、恥じらいのせいか、彼女の身体はピクリと動いた。


「今は忘れたらどうですか。甘い夢にひたるためでしょ。ここに来たのは」

「っ……、んうぅっ……」


 指を、舌を動かすと、マナさんは口を押えながら処女のように初々しいあえぎをあげた。


 それから長い時を経ずして、最初の絶頂に彼女は達した。妹と一緒に過ごしたあの秘密基地のとは格段に違う柔らかなベッドの上で、見知らぬ女性は天井を見上げながら運動後のように荒れた呼吸をひたすらにもらしていた。


 そこまで来て、ようやく私はバスルームの方へ向かう。ここまでしておけば、やめようなどという考えはまず出てこなくなるから。

 警戒しすぎかもしれないけれど、お金のためだ。相手は遊びのつもりでも、私にとっては唯一の資金源なのだ、彼女たちは。私と妹の生活がかっている以上、不測の事態を招くわけにはいかない。


「お風呂入ってきます。ま、ちょっと余韻よいんに浸っててください」


 茶化すように私は言った。しかし、返事をする余裕もなかったのだろう。彼女は真っ白な豊胸ほうきょうを上下させるだけだった。

 

 

 身体を綺麗にし、バスルームから出てきた後も、案の定、彼女はやけに冷たく感じるこの部屋に残っていた。

 踏ん切りがついたというのか、開き直ったというのか、入浴中のわずかな時間に、彼女は酒の入った缶を一つ空けていた。


「お、やる気になりました?」


 数秒前に着たばかりのバスローブを脱ぎながら彼女の横に寝転がると、アルコールを帯びたキスが飛んできた。

「……あっ、ごめんなさい。勢いで……」

「いいですよ、別にNGとかじゃないですから。さ、あと二時間くらいですよ。どうします」


 挑発ちょうはつするように笑いかけると、彼女は初めてヘアゴムを解き、まだ恥じらいの残る表情で呟くように言った。


「甘い夢を、魅せて」


 自分より大きい身体を、痣が痛まぬよう配慮して押し倒し、私は、再開した。


 依頼人の女性たちは何かしら傷を負っている。それは身体的な場合もあるし精神的なものもある。私の仕事はその傷に快楽という麻酔ますいをかけることだ。その見返りにお金を受け取る。互いに傷を舐めあうようなものだ。


 尋常じんじょうではないと言われるかもしれないけれど、余計なお世話だ。

 だったら私や妹を助けてくれと、あるいはこういう女性たちを助けてやれと、そう思う。


 涙を流しながら嬌声きょうせいをあげる依頼人のすがた。いつものことながら、その依頼者のすがたは自分に被さって見える。


***

「ありがとうございました」


 午後23時。ホテルを出た依頼人は、ぺこりと頭を下げた。髪の毛を結ぶのを忘れているのだろう。秋の夜長の涼風すずかぜに、長い髪が揺れた。


「気分は、晴れました?」

「ええ。本当に。いい夢を見させてもらいました」

「また、何かあったら連絡してください。お金さえもらえれば何でもしますから」


 そう言うと彼女は苦笑いをしてきびすを返し、都市のすみに消えていった。

 あっさりしていると思われるだろうか。

 けれど私はむしろこれが当たり前だと思う。変になれ合っていては、逆にこんな仕事はできないのではないか。まあ、ひとそれぞれかもしれないけれど。


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