第1話 甘い夢を魅る 1

 そういえば、昔は妹と二人で近くの山に秘密基地を作ってそこで遊んだものだった。

 ゴミ捨て場から持ってきた、カビの生えたマットの上に平気で寝転がって他愛たあいのない話をわしながら時間を過ごした。酷い時には二人して眠ってしまって、気づいたら夜なんてこともあった。

 

 どうして今になってそんなことを思い出してしまったのだろう。ああ、そうか。あれもこんな秋のことだったからか。

 そんなことを考えながら私はイチョウの木の下のベンチに座る女性に声をかけた。


「マナさんですか?」


 恐らく偽名である依頼人の名前を問うと、長い髪をきつくしばったその女性は「はい」と振り返った。

 事前に受け取っていたプロフィールに嘘はなかったらしい。歳は二十代後半くらいで、ブラウンのロングヘア。身長も高めだ。

 マスクはついているが、疲弊ひへいの雰囲気は目を見るだけでわかる。


「ずいぶんお疲れですね。どうしましょう。ホテル入る前に、一度喫茶店にでも入ります?」

「え。……えっと、それは……」

「サービスになるので、別にいいですよ。どうしますか?」

「じゃあ、それで……」


 小さな声。だからといって自分に自信がないとは言い切れないのはわかっている。大声で話す人でも自分に自信を持っているとは限らないように。けれど、今はその限りではないだろう。この人は何かに怯えているようだった。



 厚手のコートを脱いで、席に座る。向かいのマナさんは物音一つなく、静かに椅子に腰を下ろした。


「一晩ご一緒するわけですから、そんな緊張してたらもちませんよ」

「あ……はい」

「私は一応、相手の方のプライバシーには触れないようにしているので、そちらが何か聞きたいことがあれば答えますよ。答えられる範囲で、ですけど」

「……」


 彼女は黙り込んでしまう。私よりも十歳くらい年上だろうに、随分慎重な人だ。こんなサービスに登録するとは思えないくらい。

 これは、本番まで行かないで解散する流れかもしれないな。と私は思った。その場合は収入にならないから困ると言えば困るが、仕方ないことだ。


「あの……」

「はい」

「ミナト、さんは、社会人ですか?」

「違いますよ。学生です。学校の名前は流石にいえませんけど」

 嘘だった。大学に通えるくらいだったら、こんな仕事していない。

「学生? じゃあ、バイトみたいな感じで、こういう仕事を?」

「ええ。個人でですけどね」

「そう、なんですね」

「ちょっと前に親が死んじゃいまして。私がやらないと生きてけないので」

「……」

「そんなしんみりしないでくださいよ。死んだのはうちの親なんですから」

「今の子は、たくましいですね」

「そんなに変わらないでしょ。私たち」

「私なんかおばさんですよ。ミナトさんたちに比べたら」


 前髪を撫でながら彼女は言った。のぞいた指、指輪が光る。

 旦那がいるのか。そういう人が依頼してくることは決して珍しいわけではないけれど、少し意外だった。


「念のため聞きますけど、わかってますよね? この後のこと」

「……おかしいって思いますよね。夫も子どももいるのに、こんな……」


 彼女はうつむいた。

 一方の私も、流石さすがに驚きを隠せなかった。子どもまでいるとは思わなかったから。その子どもは今どうしているのか、と聞くべきかもしれなかったが、しかしそれは私の関知するところではない。あくまで、私の相手は目の前の、この女性個人だから。


「それでもここにきたってことは、きっとどうしようもなかったんでしょう?」

「……」

「安心してください。聞きませんよ」

「いや、いっそ聞いてくれた方が、楽かもしれないです」

「はあ。いや、それでもこちらから聞くのはやめておきます。医者でも相談員でもないし、後々面倒ごとに巻き込まれても嫌ですからね」


 そう言うと一瞬私を見つめた彼女は小さく息を吐いた。

 相手のことを不用意に聞かないというのは私のポリシーだ。それは今言ったように、知ってしまうことで何に巻き込まれるかわかったものではないから。


 それと、これは決して依頼者に言わないけれど、その人が何を抱えて、何に悩んでいるかなんてことに興味はない。おさえておくのは結果だけでいい。

 何かに苦しんでいるからいやしや息抜きを求めて甘い夢を見に来た。それだけでいい。私はその夢見を手助けするだけだ。


「慎重な人なんですね」

「まあ。あなたに言われたくないところですけど」

 思ったままを言うと、彼女はくすりと苦笑した。やけに大人びた……と思ったが、歳相応の笑みか。


「私は慎重なんかじゃないですよ。慎重に生きてこれていたなら、こんなことには……」

 思わせぶりなことを言って私に事情をたずねるよう催促さいそくしているようだ。苦手なタイプだ。こういう人は。


 おそらく彼女の期待に反してココアを口にふくみながら沈黙していると、彼女は諦めたように笑った。

「本当に、聞いてくれないんですね」

「聞きませんよ」

頑固がんこ

「お互い様だと思いますけど」

「……いいです。口で言わずとも、どうせ……」


 最後の方は小声で良く聞こえなかった。

 互いのカップにはもう頼んだ飲み物はなくなっていた。


「これから行きますけれど、やめるなら、言ってください。続けるなら、携帯電話を預かります」

「はい」


 ほぼ即答で彼女は携帯電話をテーブルに置いた。時代遅れのガラケー、私にはその使い方はわからない。しかし、これも用心の一つだ。万が一、通報でもされたら困るから。


「バッグの中も見せてもらえますか?」

「バッグは、ないです。お財布だけ」

「そうですか。じゃあいいです。さ、行きますか」


 もう脱いだままでもいいのだが、一応コートを身にまとう。

 お金を払い、外に出ると不意に左手に冷たい手のひらの感触が伝ってきた。


「いいですか?」

「事後で言われても。まあ、いいですけど」


 他人からどう見られているのだろう。女子高生が友だち同士で手をつなぐのとは違うだろうし、母娘がスキンシップで手を握るのとも違う。不思議な関係に見られているかもしれない。

 けれど、それでいいのだ。ぐうの音もでないくらいその通りだから。


 手汗がにじんでいるのがわかる。こんなに緊張しいの女性が、その対極にあるようなサービスを受けに来るとは不思議な話だが、まあいい。お金が稼げれば。

 

 五分ほど歩き、駅近くに素知らぬ顔で屹立きつりつするラブホテルの前に立った。

 ギュッと握られた手に力が入る。


「入りますけど」

 最終確認をすると、彼女は頬を赤くしながら「はい」と頷いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る