(16)



「じゃあそろそろ私は戻るね」


スノーフレークの話はそこそこに。聖女についても区切りがついたので私は寮に戻ることにした。勉強もしたいし、ちょうどいい時間でもある。


「姉様が戻るなら僕も父上の所に戻るよ」

「もう少しゆっくりしていけばいいのに」


残念そうに眉尻を下げるレオンの隣から伝わってくるオリバーの早く帰れオーラがひしひしと伝わってくる。おそらく王太子殿下としてやるべきことがあるのだろう。これ以上ここにいて仕事の邪魔はしたくなかった。


「カーラ、戻る前にアゼルに少し学園を案内してあげてくれないかな?」

「それはいいけど、どうして?」

「んー、いずれアゼルも通うことになるんだから、ということで」


いまいち要領を得ない言い方に首を捻るが、レオンはにこにこと微笑み、そしてアゼルはなにやら落ち着きなく視線を動かしていた。私に内緒のことがあるのね! と口を尖らせてみるが誰も教えてくれないので、仕方なくレオンの言う通りにアゼルを案内することにした。


「アゼル、カーラのことよろしくね」

「はい」

「待って? 逆じゃない?」

「はいはい、いいから外に出ようね」


抗議の声を上げる私の背中をアゼルが無理やり押し、レオンとオリバーの視線に見送られながら、私たちは部屋の外へと出たのだった。




********




「私に隠し事なんてずるいわ」


図書館へと続く廊下を歩いている最中、先程と同じように口を尖らせる。そんな私にアゼルは困ったように笑った。


「特に深い意味はないよ」

「本当に?」

「うん」


疑いのまなざしを向けてもアゼルは折れない。少し寂しいが、その言葉を信じることにしよう。せっかくレオンが2人の時間を作ってくれたのだ。手紙でやり取りはしていたのだが、やはり直接話せるのは違う。


「みんな元気?」

「もちろん。風邪を引かず元気に過ごしているよ」

「よかった」


アゼルの言葉にほっと胸を撫で下ろす。私がいるからといって何かが変わるわけではないが、やはり離れていると心配になってしまう。隣を歩くアゼルはなんだか急に大きくなったような気がした。身長的にも、人間的にも。それが嬉しくもあり、悲しくもある。成長期、つまり彼は思春期に入ったということだ。前世では弟がいなかったからわからないのだが、思春期を迎えるとどうなるか。考えるだけで泣きそうだった。


「アゼル……いつまでも優しいアゼルでいてね」

「姉様、急にどうしたの」

「いや、ちょっと」


言ったら言ったで引かれそうなので口に出すことはしなかった。そして歩くこと数分。目の前に図書室が見えたので『あれが図書室よ』と教えると同時に、そこから見知った人物が出てきた。


「あら? カーラ?」


私の天使とも言うべきアドリエンヌと、その隣にいるシルヴィアが私に気づいた。てっきり彼女達はもう寮に戻ったと思っていたのだが、どうやらここで勉強(おそらくシルヴィアに教えていたのだろう)をしていたみたいだ。


「用事はもう済んだんですの?」

「はい」


さすがにレオンに呼ばれたなどと言えなかったので “所用” と言うことで出てきていた。彼女を信頼していないわけではないのだが、万が一ということもある。


「あ、紹介します。この子は……」


彼女たちにアゼルを紹介しようとした瞬間、近くで何かが落ちる音がした。その音の正体は、どうやらシルヴィアが持っていたバッグを廊下に落としてしまったようで、そしてその顔は何故か真っ赤に染まっていたのだった。


「あ、あ、あ、あなたは……」


ぷるぷると体を震わせ、口元を自分の手で隠す。私たちは何が何だかわからず互いの顔を見やり、大丈夫かと彼女の腕にそっと触れた。


「シルヴィア、大丈夫?」

「シルヴィア?」


途端にアゼルの声音が低くなったのは彼女を警戒しているからかもしれない。しかし今はそれどころではなかった。


「具合でも悪いの? 医務室に行きましょうか?」


シルヴィアは言葉を発することなくただ頭を左右に振る。どうしたものか、と考えるアドリエンヌと私を見つつ、またもやアゼルが口を開いた。


「シルヴィア、様。体調がすぐれないならすぐに医務室に……」

「……っ!」


アゼルが彼女の顔を覗き込むと、シルヴィアはより一層その顔を赤らめ、そして激しく頭を縦に振った。


「だだだ大丈夫です! 先に寮に戻りますね! アドリエンヌ、カーラ、アゼル様! ごきげんよう!」


まるで脱兎の如くこの場からいなくなった彼女に、再び私たちは顔を見合わせる。一体どうしたというのか。急な体調不良な割にはあんなスピードで走り出してしまうんだから、何が何だかわからない。廊下に残されたシルヴィアのバッグを持ち上げて息を吐き出す。


「あの、カーラ。そちらの方は?」

「え? あ、あぁ。こちらはアゼル。私の弟です。アゼル、彼女はアドリエンヌ。バシュロ侯爵家のご令嬢よ」

「初めまして。アゼル・マルサスと申します」

「初めまして。アドリエンヌ・バシュロです」

「アドリエンヌは私の友達なのよ!」


ふふん、と胸を張って鼻を鳴らせば、アゼルは『何見栄を張っているんだ』とでも言いたげな眼差しを向けてきた。まぁ侯爵家のご令嬢と子爵の令嬢が友達なんて普通ならありえないのでその視線も分かるのだが。それにしてもお父様に似てきたな、愛しい我が弟よ。


「弟さん、ということは入学はもちろんまだ先ですわよね?」

「はい。父の仕事についてきまして、ついでに姉様に会いにオルドフィールドまで」

「許可を頂いたから学園を案内していたのです」

「そうだったのですね」


上品に微笑んだ彼女に私たちもつられて微笑む。シルヴィアのバッグも持っているのでアゼルには悪いが、案内はここで終わりにしようと提案するよりも早くアゼルが口を開いた。


「そろそろ父上のところに戻りますので。僕はここで」

「正門まで一緒に行くわ」

「ううん、大丈夫だよ。さすがにそこまでの道はわかるから」

「そう」


いざ別れの挨拶となると急に寂しくなってきた。かといってこれ以上アゼルを引き止めるのも悪いのでここは素直に頷くしかない。そんな私の耳元に、アゼルが唇を近づけてきた。


「姉様、一つ気になることが」

「ん?」

「あのシルヴィアって人、なんで僕の名前を知っていたのかな?」

「え……」


驚く私に、アゼルはさらに続ける。


「気をつけて、姉様。何かあったらすぐレオン様に相談して」

「え、えぇ、わかったわ」


ゆっくりと離れた彼の瞳は不安そうに揺れている。しかし次の瞬間にはいつものアゼルに戻っていた。


「お菓子の食べ過ぎはダメだからね!」

「アゼル!」


小さく手を振って(アドリエンヌには頭を下げてから)アゼルは歩き出した。小さくなる背中を見つめながら、彼の言葉を心の中で反芻させる。


“あのシルヴィアって人、なんで僕の名前を知っていたのかな?”


彼女のバッグを持つ手に自然と力が入った。


シルヴィア、あなたは一体……。


「カーラ?」

「え?」


アドリエンヌの声に顔を上げる。彼女は心配そうに私を見つめていた。


「私たちも戻りましょう?」

「そう、ですね」


ひたひたと、何かが近づいているような、そんな感覚に襲われながら、私はアドリエンヌと共に自室へと向かったのだった。

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