(6)
「ごめんね、いきなり」
なんとかレオンを引き剥がし、心の中で安堵の息を吐く。子供の頃から一緒にいる彼に対して恥ずかしいと思う気持ちは薄れているけれど、それにしても異性相手に軽々と抱き着くだなんて王族としていかがなものか、という意味を込めてレオンを見るが、彼はどこ吹く風のようでにっこりと微笑み返してきたのだった。
それに対してわざとらしく息を吐いたのは側近の彼であった。
「殿下、人の目があるような所でそのような行動はいかがなものかと思いますが」
「人目がない所を探してくれたのはオリバーだろう? もし誰かがいたとするならば、それはオリバーの落ち度だということになるね」
「……そうでございますね」
これ以上言っても無駄だと悟ったのだが、オリバーと呼ばれた彼がそれ以上何かを言うことはなかった。私が普段見ていたレオンとは違いすぎて、思わず目を見張ってしまう。彼はこんなにも “王太子殿下” のような振る舞いが出来るようになっていたのか、なんて口にしたらオリバーに睨みつけられそうで怖いので、心の中に留めておくだけにした。
「それにしてもカーラ、久しぶりだね」
オリバーに向けていた視線を私へと向けたレオンに自然と背筋が伸びる。今この場にオリバーがいなければ普段のように接しただろう。しかし彼の目がある以上、レオンに失礼なふるまいは出来ないと踏んで制服の裾を少し持ち上げて腰を落とした。
「お久しぶりでございます、王太子殿下」
「……」
我ながら完璧な挨拶だと思ったのだが、レオンから何のレスポンスもない。不思議に思って顔を上げてみると、彼はとても不機嫌そうに、それこそ子供のように頬を膨らませていたのだった。
「あの、殿下?」
「ぼくは殿下って名前じゃないけど」
「失礼いたしました、レオン王太子殿下」
「違う、そうじゃなくて」
彼の言いたいことは分かっている。分かっているのだが、果たして学校の敷地内で砕けた口調で話してもいいのか。いや、だめだろう。万が一誰かに見られてしまったらと考えて背筋が凍る。私達の関係が知られたらレオンだけでなくアレクおじさまにも多大なる迷惑がかかる。そしてお父様やお母様、アゼルにもだ。
それなのにレオンはまだ頬を膨らませている。助けを求めようとオリバーへ視線を向けるが、ふいっと逸らされてしまった。
「それにぼくは怒っているんだからね」
「怒っている、とは?」
「君が入学するって聞いていなかった」
良心が痛む。手紙を書こうとしたのだが、入学準備に追われすぎてそれが出来なかった。いつかは学園で会えるだろうからと後回しにしてしまったあの日の自分を今は少しだけ恨む。
「大変失礼致しました、レオン王太子殿下」
「…………」
相変わらずレオンはその呼び方をお気に召さないようだ。どうしようかと思案する私に、またもやオリバーが大げさなほどのため息をついたのだった。
「殿下、カーラ様は “他人の耳” が気になるようですよ」
「あ、そうか」
オリバーの言葉で何かを閃いたらしいレオンが、パチンと指を鳴らした。私には何が起きたのか分からず首を捻っていると、それに気づいたレオンがいつもの笑みを浮かべた。
「少しだけ魔法を使ったんだよ」
「魔法、ですか?」
「うん。簡単に言うと、ぼく達以外に会話が聞こえないような魔法かな」
レオンはそんなことまで出来るのか、と感心していると、オリバーが『私はいないものだと思ってください』とやや不服そうに口にした。しかしいくら会話が聞かれないからといって、果たしてこの状況を見た人が何を思うだろうか。そう考えてしまうとなかなかに口を開けずにいた。そんな私にレオンが一歩近づく。
「会話が聞かれなければどうにだって説明がつくと思うよ。だからカーラ、いつものように話してくれるかな?」
その整った顔が少しだけ寂しそうに歪む。そんな顔をされると私は弱いのだと彼は知っているのではなかろうか。視線を落として長めに息を吐き、そして真っすぐとレオンを見つめた。
「わかったわ、レオン」
「……っ!」
嬉しそうに破願させたレオンには今後も勝てないんだろうなぁ、なんて思いつつ、私は彼のお願いを聞くことにした。本当は私も彼と普段通りにお話ししたかったからだ。
「ごめんね、本当ならレオンに手紙を書くべきだったのだけれど」
「ううん、いいんだよ。それにぼくだって “怒ってる” と言ったのは半分冗談だし」
半分は怒っていたのだろうか、と思ったが口にはしなかった。きっとそれもレオンなりの冗談なのだろうから。
「でもまさかカーラがここにいるとは思わなくてすごく驚いたよ」
「私も入学できるとは思わなかったよ。でもお父様が勝手に申し込んでいて……」
「ジェド殿が?」
ぱちくりとレオンは目を瞬かせ、そして何かに納得したように『なるほど』と、聞き取れないほど小さな声で呟いた。
「普通なら受けなくてはいけない試験だって受けていないのよ? それなのに入学できるなんて、なんだかおかしいと思うの」
「それは……いや、なんでもない」
明らかになにかを知っているような口ぶりに、私は訝し気にレオンを見やる。しかしレオンはそんな目線にすっかり慣れているのか、それ以上言うつもりはなさそうだった。なんだか私だけ蚊帳の外のようで、少しだけ寂しい。
「……レオンは知っているのね」
「何のことかな?」
「もういい」
先程の彼のように頬を膨らませてみるが、レオンはただ笑うだけだった。カーラに何か秘密があるのかしら、と考えてみるが思い当たるわけもなく。こんなことなら隅から隅までゲームをやっていればいいと思った。だってバッドエンドは見たくなかったから。
「あーあ、カーラと同じクラスになりたかったなぁ」
「同じクラスになったところで堂々と話せるわけないじゃない」
「そうなんだけどさ、ほら、カーラがいるのといないのとではやる気に違いが出てくるんだよ」
「なにそれ」
私がいたところでレオンのやる気には関係ないと思うのだけれど。
「殿下、カーラ様。そろそろお戻りになられた方がよろしいかと」
「もうそんな時間か。まだまだ話足りないけれど仕方がないね」
至極残念そうに眉尻を下げたレオンに曖昧に笑ってみせる。私ももう少し話したいところだが、気が気ではないのも確かで。とりあえず乾いた喉を潤したい。
「そうだ、カーラ。ぼくが前にあげたブレスレットは持ってきている?」
「え? えぇ、仕舞っているけれど」
「そっか。じゃあ今日から毎日身に着けてくれる?」
「どうして?」
「どうしても」
含みのある言い方に首を捻ってみせる。しかし彼はやはり何も言ってくれないようだ。
「高価なものなんて身に着けていられないわ」
「君が気にするほど高価なものではないよ」
「でも……」
「これは王太子殿下の命令、と思ってほしいな」
こんな時だけ権力をフル活用するレオンはズルいと思う。しかしそこまで言われてしまっては身に着けないわけにもいかない。
「……最近ますますアレクおじさまに似てきたわね、レオン」
「そりゃあ血のつながった親子だからね」
冗談を言うところも、茶目っ気たっぷりに笑うところも。幼い頃から見ているアレクおじさまに随分と似てきたものだ。
「じゃあまたね、カーラ。たまにこうやって話をしよう」
「ええ、また。オリバー様も」
オリバーは軽く頭を下げ、レオンの傍らについた。そしてレオンが指を鳴らして歩いていく様を私はただじっと見つめ、そして途端にアドリエンヌの顔を思い出した。
「さて、なんて言い訳をしようかしら」
どのように言えばうまく誤魔化せるのか考えるもののやはり思いつかなかったので、私は諦めて大きく伸びをしたのだった。
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