(4)



仲良くなったアドリエンヌと共に校舎へと向かう。他愛もない話、といっても殆どが彼女の話ばかりだったのだけれど、同い年の女の子との会話は滅多になかったので聞いているだけでも楽しかった。


「ところで、カーラには好きな人はいないんですの?」

「へ……?」


先程までの話題はどこかに吹き飛んでしまったらしい。彼女の興味は、私の好きな人へと移っていた。真っすぐと見据えられたその視線にたじろいでしまう。


「いえ、いませんけど……」

「あら、もったいないわ」

「もったいない?」

「だってこんなに可愛いんですもの」


アドリエンヌの白くて細い指が私の前髪にそっと触れた。よけられた前髪のおかげで少し視界が広がる。突然の彼女の行動に驚いた私は小さく息を飲み、そんな私を彼女はおかしそうに見つめていた。ただでさえ可愛らしいアドリエンヌにそんな風に見つめられたら誰だってこうなってしまうと思う、うん。


「ア、アドリエンヌ、ご冗談はおやめください」

「私は本当のことしか言っておりませんが」

「……っ」


これ以上言っても取り合ってくれない。そう思った私は言葉を飲み込んだ。もし彼女の言う通り私が可愛いとする。それならばダンスパーティーの後に少しはアクションがあるはずなのだけれど、今までそういったものは全くなかった。アドリエンヌのお茶会の招待状を除いて。レオンは普段通り、いや、昔よりは頻度が減ってしまったが遊びに来てくれていた。しかしそれだけ。アドリエンヌとレオン以外の人からは何もなかった。つまり、そういうことなのだ。


「ほら、早く行きましょう」

「大丈夫ですよ。まだ時間はありますから」


口元に手を当てて上品に微笑むアドリエンヌ。彼女が言うのだから時間については大丈夫なのだろうが、居たたまれない私の口実がすっかり奪われてしまった。

んぐぐ、と変な顔をする私と楽しそうに微笑んでいるアドリエンヌ。傍から見ればちぐはぐな私達が歩いていると、周囲の空気が変わったことに気が付いた。ピリッとした、緊張が走る空気。アドリエンヌもそれに気が付いたのか、同時に振り返ってみると、そこには私が一番見慣れている彼がいた。

あのダンスパーティーの時は女の子が彼の周りに集まっていたけれど、今は違う。生徒が道を開け、そこをレオンが通っていく。そして彼の一歩後ろには見覚えのあるようなないような、レオンより少し背の高い男の人が付き従っていた。


(誰、だろう)


レオンの側近、だろうか。もしかしたらゲームに登場していたのかもしれないがすぐには思い出せない。うーん、と考えながらレオンを見つめていると、彼の視線が私と絡まった。それと同時に一陣の風が吹き抜けていく。心地よい風が頬を優しくなでつけ、乱れる髪を手で押さえつけた。

何か言いたそうなレオンの瞳だったが、後ろに控えている彼がレオンに耳打ちをする。それを聞いて目を見開いたレオンの瞳が私を捉えることはもうなかった。


「まぁ、王太子殿下ですわ」

「え、えぇ、そうですね」

「カーラ、端に」

「はい」


アドリエンヌに促され、私達は他の生徒と同じように端に寄る。小さく頭を下げる私にレオンが近づく気配がして、ギュッと瞳を閉じた。なんだか心が落ち着かない。レオンが近づいてくるにつれ、頭のてっぺんがざわざわと変な感覚がする。地面を踏む彼の足音がだんだんと大きくなり、そして私の前を通っていった。


(……そうよ、レオンは王太子殿下じゃない)


王太子殿下のレオンというよりも、普通のレオンと接する機会の多かった私はすっかり忘れていた。


本来なら話すことさえ出来ない身分なのだ。だから私を素通りするのも当たり前。声を掛けてくれないのも当たり前。それなのに、何故。私の心はこんなにもぎゅっと狭くなっているのだろう。


「カーラ、もう大丈夫ですよ」

「え?」


アドリエンヌの声に頭を上げれば、そこにはレオンの姿はなかった。あるのはいつもの彼の優しい香り。それもすぐに宙に消えてしまったけれど、いつまでも私の鼻腔をくすぐっていたのだった。











「あら、猫ちゃんを飼っていますの?」

「はい。ティリーという名前の白い猫ちゃんです」


もしもこの世界にスマホがあれば、私は間違いなくアドリエンヌに見せていたことだろう。残念ながらそれは出来ないが。普段の生活でスマホがなくても不便だとは思わないけれど、こういう場合はあると便利だなと思ってしまう。魔法をもう少し勉強すれば写真のようなものを見せることが出来るが、今はまだ難しいので彼女に想像をしてもらうしかない。


「あの、カーラ」

「はい」

「その……長期休みがございますわよね?」

「えぇ」

「もしご迷惑でなければ、ですが、その、猫ちゃんを見に行ってもよろしいですか?」


ぱちくりと目を瞬かせる。アドリエンヌは恥ずかしそうに、そして言いづらそうにもごもごと口を動かしていた。その姿も可愛らしくて、嬉しかった。


「もちろんです」

「本当ですの?」

「はい」

「……っ」


彼女もまた嬉しそうに頬を染めて手を当てている。可愛い。先程からそれしか言っていないが可愛いものは可愛いのだから仕方がない。


「あ、アドリエンヌのお住まいとは天と地ほどの差がありますのでそこはご了承を……」


今度は私がもごもごと口を動かすと、アドリエンヌは全く気にしないというようにやんわりと頭を振った。あぁ、良かった。胸を撫で下ろす私と、何かに気づいたアドリエンヌが『あ』と短く言葉を発したのと同時に、私の腕がぐいっと引かれた。予想外の出来事に『ひっ!』と声を上げれば、その原因となった人物を視界に捉えて目を見張った。


「ラ、ラルフ……?」


ゲームのまんまの彼が、なぜか私の腕を引いてじっと見下ろしている。何か言いたいことでもあるのだろうか。しかしその感情を読み解くことが出来ないので見つめ返していると、ぽつりと彼が小さく口を開いた。


「同い年だったのか」

「はい?」

「見た目からしてもう少し子供だと思っていた」

「こ、子供……」


確かに見た目は子供っぽいかもしれない。どことは言わないがアドリエンヌとは決定的に違う部分もあるし……いやいや、ここで落ち込んでどうする私。


「あのね、ラルフ……」

「だが、同い年だったんだな」


ふわり、彼が微笑む。目と鼻の先にあるめちゃくちゃにいい顔が微笑むものだから、言おうとしていた言葉が出てこなかった。ラルフが笑顔を見せるだなんて滅多にない。あってもシルヴィアの前だけなのに、なんで?


「これからよろしく」

「あ、はい」


ぱっと離された腕をもう片方の手でさすり、ぽかんと間抜けな表情をしたまま、アドリエンヌと軽く挨拶を交わすラルフを見つめる。いやもうなんなのびっくりだよ。いい顔はレオンで慣れているとはいえ、間近で微笑まれると心臓に悪い。しかも不意打ちはやめていただきたい。


「ではまた」


小さく頭を下げたラルフに同じように返し、そして教室へ入るその背中を見つめていると、隣にいたアドリエンヌが私の腕をつついてきた。


「随分と仲がよろしいんですわね」

「仲がいいというか、前に誘拐されそうになったのを助けてもらったことがあって」

「誘拐!?」


不穏な言葉に驚いたアドリエンヌが私の肩をガシッと掴む。ご令嬢とは思えないその力強さに『わっ』と言葉が漏れたが、彼女の手が離れることはなかった。


「だだだ大丈夫でしたの!?」

「大丈夫だったので今ここに……」

「そ、そうですわね」


そんなアドリエンヌが可愛くて両手を軽く持ち上げる。


「あの、アドリエンヌ」

「はい」

「抱きしめてもよろしいですか」


自分よりも位の高い彼女にこんなことを言うのは失礼極まりないのだが、アドリエンヌは可愛らしく目を瞬かせた後『よろしくてよ』なんて言ったので、私は彼女を思いっきり抱きしめたのだった。

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