(3)



アドリエンヌは私をじっと見つめた後、すぐに視線をラインハルトに向けた。窺うように、探るように。彼女はラインハルトの存在を気にしているようだった。出来ればアドリエンヌと関わりたくないのだけれど、何かを言いたそうにしている彼女を無視できるほど擦れた心はどうやら持ち合わせていないようだった。


「ラインハルト様、クロード様。私は少しアドリエンヌ様とお話ししたいことがございますので、これで」

「……えぇ、分かりました」


一拍間をおいて、ラインハルトが頭を下げる。クロードは不満そうにしていたけれど『またな』といってくるりと背を向けた。そんな彼にラインハルトがついていく。あれ、一緒に行くんだ。という感想は心の中に留めるだけにした。

さて、彼らという問題がなくなったが、私は新たな問題に直面していた。そう、アドリエンヌである。彼女が一体私に何の用があるというのだろうか。心当たりがあるとすれば、お茶会の不参加について、だろうか。

彼女にバレないように短く息を吐き出して、いつの間にか視線を私へと向けていたアドリエンヌに顔を向けた。


「あの、アドリエンヌ様、私に何か?」

「……あなたに聞きたいことがありますの」

「聞きたいこと、ですか?」


ラインハルトのことかお茶会のことか。どちらを聞きたいのか皆目見当がつかない私は首を傾げてみせる。ラインハルトについて聞かれたら何を言うのが正解なのか分からないでいた。彼女がラインハルトをどう思っているのか嫌でも分かっているので下手なことは言えないし、何かを言えるほどラインハルトと親しい仲なわけでもない。ただダンスパーティーでぶつかってそれについて話していただけだし、今に至っては向こうから話しかけてきたのだ。ラインハルトに対してやましい気持ちなどこれっぽっちもなかった。……いや、ちょっとは嬉しい気持ちがあるけれども。だって好きなゲームのキャラクターが目の前にいるのだ。嬉しくないわけがない、うん。まぁそんなことアドリエンヌに言えるはずもないのだけれど。


「ラインハルト様について、あなたはどうお思いですの?」


真っ直ぐと見つめてくるアドリエンヌに、やはりそのことかと嘆息したくなった。なんて言えば正解になるのか、私には分からない。かと言って変に話を逸らしても面倒なことになるのは目に見えているので、言葉を探しながら口を開いた。


「ラインハルト様はとてもお優しい方だと思います。私のような貴族の端くれにも気軽に話しかけてくださいますし、色々な方にも分け隔てなく接してくださる方だと思いますわ」

「……それだけ、ですの?」

「はい。ラインハルト様とお話ししたのは今日で二度目ですし」


このぐらいしか分からない、というニュアンスを含ませる。ゲーム内で得た知識は決して見せることが出来ない。口元に笑みを携えてみせれば、アドリエンヌは力を抜いてほっとしたように息を吐き出した。これで少しは納得してくれただろうか。私はラインハルトに対して彼女のような気持ちは抱いていないと。


「良かったですわ……」

「アドリエンヌ様は、ラインハルト様がお好きなのですね」

「えっ!」


瞬時に彼女の顔が真っ赤に染まる。おや、と目を見開く私から逃れるように、アドリエンヌは顔を背けた。まるでりんごのように真っ赤な頬がなんだか可愛らしくて。ゲーム内で見たことのない表情に、私は思わず見入ってしまった。ゲーム内の彼女はラインハルトと話して嬉しそうにするものの、図星を突かれて顔を赤く染める彼女の立ち絵やスチルはなかった。だからアドリエンヌはこのように赤くなるなんて思わなくて、その珍しさとあまりにも可愛らしいその姿に口元が緩んでしまったのだ。


「わ、分かりますの? 私が、ラインハルト様をお慕いしている、と」

「はい」

「……っ」


立て巻きロールの髪を手でいじり、視線をきょろきょろと動かして落ち着かない様子のアドリエンヌを見ていると、恋とはこんなにも女の子を可愛らしくするのだと改めて思った。あんなにラインハルトに対してぐいぐい押せ押せなアドリエンヌだけれど、それは恋心がそうさせているだけであって、その相手がいない場合だとこんな状態になるのだなと嬉しくなった。アドリエンヌは、普通の女の子なのだ、と。


「……一目惚れ、ですの」

「え?」

「子供の頃、初めてラインハルト様とお会いした時、世界が色づきました」


ぽつりと話し始めたアドリエンヌだが、その目はきらきらと輝いていて。おそらくその子供の頃を思い出しているのだろう。表情を先程の羞恥よりも楽しそうにしていた。


「幸いにも父の仕事の関係でラインハルト様とお会いする機会が多いのですけれど、どのように接したらいいのか分からなくて、その、空回りばかりしてしまうんです」


あ、自覚はしているのか。と、ダンスパーティーのことを思い出す。私を押しのけてラインハルトとお話をする彼女を。なるほど、あれは空回った結果だったのか。恋心は時に大胆な行動をさせるものだと前世での友達が言っていたけれど本当にそうだったのか。好きな人がいたのは前世の子供の頃なので私にはその感覚が分からないでいるのだけれど。

しかし目の前のアドリエンヌを見ていると、自分もいつか誰かに恋をする日が来るのかもしれないなんて頭の隅で考える。まぁ今の私にそんな余裕などないのだが。


「……あの日、あなたにキツイことを言ってしまって、その、ごめんなさい」

「へ?」


まさかアドリエンヌに謝られると思ってなかった私は間抜けな声を上げる。しかしそんな私を気にしないアドリエンヌが、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。ゲーム内の彼女でも、こんな風に謝っているのを見るのは一度しかなかった。ラインハルトルートのシルヴィアに対して、ラインハルトの気持ちに気づいたアドリエンヌが身を引く時に、シルヴィアに対しての態度についての謝罪。それを今、彼女がしているのだ。


「あの日、ラインハルト様に言われて、それであなたに謝ろうと思ってお茶会にお誘いしたのですが、私のタイミングが悪く、お会いできなくて今日になってしまって……」


悲しそうな表情を浮かべるアドリエンヌに心が痛む。ラインハルトについて何か言われるのが面倒で逃げていた私は最低だと胃が痛くなる。


「アドリエンヌ様、申し訳ございません」

「どうしてあなたが謝るんですの……?」

「私は本当に最低な人間だと思いまして……」


こんなにも可愛らしい彼女に対して失礼なことを考えていた自分を殴りたくなったが、突然そんなことをしたらアドリエンヌが悲鳴を上げかねないので押しとどめた。今度アドリエンヌにお茶に誘われたらちゃんと出席しよう、うん。

しかし、私はここで一つの疑問が浮かんだ。ゲーム内のカーラはアドリエンヌと仲が良かったわけではない。むしろ先程までの私と同じように苦手意識を持っていたはずだ。なぜならアドリエンヌは、仲良くなったシルヴィアに当たりが強いから。だが今の私にはもう苦手意識はどこかに吹き飛んでいた。むしろ好感さえ持てる。それが今後にどう影響していくのか、私は……。


「カーラさん?」

「え? あ、申し訳ございません」


思考がすっかり違うところに飛んでいたのをアドリエンヌの声で引き戻される。目の前の彼女を置き去りにしていたのを反省しつつ、ぱちくりと目を瞬かせるアドリエンヌに、にっこりと微笑んでみせた。


「あの、アドリエンヌ様。もしよろしければなんですが、私のことはカーラとお呼びくださいませ」

「……え? い、いいんですの?」

「はい」

「では、私のことはアドリエンヌと、そうお呼びください」


恥ずかしそうに小さな声でそう言ったアドリエンヌに、今度は私が目を瞬かせる。私よりも位が上の貴族に対して呼び捨てをするなど、お父様に知られたら怒られてしまうな、なんて考えるが、アレクおじさまとレオンの顔が浮かび上がってきた。そういえば本人がそう言うのだから呼んでやれ的なことをお父様に言われたような気がする。ならいいか、と楽観的な自分の頭に自嘲した。


「アドリエンヌ……?」

「はい、カーラ」


お互いの名前を呼び合って、私達は同時に微笑んだ。


初めて女の子のお友達が出来たな、なんて、そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る