番外編:王太子殿下の憂鬱2



階段を降りると、石が積まれた壁が目の前にあった。どこを探しても扉はない。不思議に思って父上に視線を向けると『まぁ見ててごらん』と父上が何かを呟いた。その瞬間、石の壁だったはずの場所に扉が現れ、ドアノブを回せば城の中庭へと出た。幸いここには誰もいないようで、父上に手を引かれて少し歩くと少し古びた馬車が見えてきた。これが恐らくシリルの手配した馬車だろう。しかしここで疑問が一つ浮かび上がる。


「父上なら瞬間的に移動できるのでは?」

「それだとつまらないだろう? のんびり馬車で行くのがいいんだよ」


一種の小旅行と捉えればいいのか。城に缶詰めになりやすい父上にとって馬車の数時間は気晴らしになるのかもしれない。ぼくはそれ以上聞くことなく、父上に促されて馬車へと乗り込んだ。御者の顔は今まで見たことがない。しかしそれもシリルが用意した人物となれば、父上のお出掛けについて息がかかった人物なのだと納得をした。

馬車がゆっくりと走り出す。ここからあまり離れていないと言っていたが、数時間はかかるらしい。そんなに長い時間馬車に乗ったことがないので、なんだかわくわくしていた。


「レオン、鳥について少し話そうか」


馬車が動き出してすぐ、父上が口を開いた。先程の部屋でのことを覚えていてくださったようで、ぼくは小さく頷いて父上へ視線を向けた。


「鳥というのは、王族に仕える者のことを指す。その仕事は多岐にわたり、護衛であったり伝令であったり、時には替え玉になることもあるんだよ」

「替え玉、ですか?」

「凶事があったりするとね。私は今のところシリルに替え玉を頼んだことはないかなぁ。あ、嘘。謁見が面倒な時は頼んでるか。一蹴されて終わるけど」


またもやいたずらっ子のように笑った父上にぼくは曖昧に笑ってみせる。そして心の中でシリルに同情をした。きっと今までも何度かそのようなことを言われているに違いない。彼も彼でとても大変なんだな、と。


「いずれレオンにも鳥がつくよ」

「ぼくにもですか?」

「もちろん。レオン専属の鳥をね」


それがいつになるのか分からないけれど、恐らくそう遠くない未来だろう。その人と仲良くなれたらいいなと、ぼくは流れる景色を見ながらそう思った。











馬車を降り、目の前にある邸宅をじっと眺める。一般的な大きさのそれを見るのは初めてで、ついつい観察してしまう。そんなぼくの隣に並んだ父上は辺りをきょろきょろと見渡し、そしてわざとらしく息を吐き出した。


「いつもならジェドが迎えてくれるのに」


不満そうに、けれど怒っているわけではない声音の父上が『仕方ない』と息を吐いた。


「スチュアートもいないということは仕事が立て込んでいるのかもしれないな。よし、行って驚かせてやろう」

「勝手に入ってよろしいんですか?」

「なに、ジェドと私の仲だ。大丈夫だよ」


なんて父上は言っているけれど、本当にいいのだろうか。忙しなく視線を動かしていると、父上がぼくの頭に優しく手を置いてきた。


「とりあえず私だけで行ってくるよ。レオンはここで待っててくれるかい?」

「はい」


じゃあね、と手をひらひらさせて父上は邸宅の中へと入って行ってしまった。残されたぼくはどうしようかと思案していると、少し高めの声が聞こえてきた。おそらくぼくと同じぐらいの歳の子供だろう。同年代の子と会ったことはなくて、そして何やら楽し気な声音に、ぼくの足はその声の方向へと動き出していた。

邸宅の横にある庭から聞こえてくる声。一体何をして遊んでいるんだろうと覗き込んでみると、そこには大きな木を見上げる2人がいた。その木に何かいるのだろうか。じっと目を凝らしてみてもここからでは見ることが出来ない。そして女の子が何かを言ったかと思うと、そばにいた男の子が『あぶないよ!』と声を張り上げた。


(あぶない?)


離れているので、どんな会話が繰り広げられているのか分からない。しかしぼくはすぐに男の子が言った『あぶない』という意味を理解した。なんと女の子が木に登り始めたのだ。


「えっ!」


思わず出てしまった声に口を押えるが彼女達には聞こえていない。大人を呼んできた方がいいのだろうか、と慌てふためくぼくをよそに、女の子はすいすいと木に登っていく。もしかして彼女は木登りが得意なんだろうか。だから木に登っても大丈夫……?


しかしぼくの考えは見事に打ち砕かれた。彼女が腰を下ろしていた太い枝が、バキッという嫌な音を立てて折れたのだ。


「……っ!」


考える暇なんてなかった。ぼくは勢いよく地面を蹴り、そして両手を突き出した。彼女が地面に叩きつけられる前に淡い緑色の光が彼女の体を包み込んだ。浮遊魔法。対象を浮かせることが出来る魔法だが、まだまだ未熟者のぼくには魔力の消費が激しい魔法でもあった。ゆっくり、ゆっくり。彼女を地面に下ろそうとしていると、邸宅の中から見ていたのか、それとも騒ぎを聞きつけてやってきたのか、男性と父上が駆け寄ってくるのが分かった。


「カーラ!!」


カーラと呼ばれた女の子が困ったように笑ったかと思うとぼくに視線を向けて、そしてにっこりと微笑んだ。


「あの、ありがとう」

「……っ」


まさか話しかけられると思わなくて、驚いた拍子に魔力が尽きてしまった。彼女を包んでいた光が消え、重力に従って地面へと落ちてしまったのだ。


「ねえさま……っ!」


男の子が泣きながら彼女に抱きつく。その様子を見ながら、ぼくは乱れた呼吸を整えていた。


「カーラ! まったくお前は! 元気になったばかりなのにまた寝込むつもりか!」

「ご、ごめんなさい」


ジェド殿と思われる男性から怒られた彼女はしゅんと落ち込み、腕の中にいた猫が小さく鳴いた。なるほど、彼女は猫を助けようとしたのか。深呼吸を数回繰り返した後に長く息を吐きだすと、目が合った父上に『よくやった』と口の動きだけで褒められた。


「お前だけでどうにかしようとするのではなく、今度からは大人を呼びなさい」

「はい……」

「それよりもカーラの怪我を治そうか」


それまで静観していた父上が口を開く。その存在に気づいた彼女は、先程の落ち込んだ表情を一変させて『アレクおじさま!』と綻ばせた。


「やぁ、カーラ。今日はいつも以上におてんばだね」


父上の言葉に彼女が困ったように笑う。今日ほどではないが、いつもおてんばをしているということなのか。ちらりとジェド殿へ視線を向けると、ぼくの視線に気づいた彼が恭しく頭を下げる。それに応えるように小さく頭を下げ、治癒魔法を施す父上へと顔を向けた。


「ありがとうございます、おじさま」

「どういたしまして」

「すまない、アレク」

「このぐらいどうってことないよ」


父上の後ろに移動して大人同士の会話をぼんやりと聞いていると、立ち上がった彼女がぼくを見て、その小さな口をゆっくりと開いた。


「あの……」

「……っ!」


突然話しかけられたものだから驚いてしまって、父上の後ろへ完全に身を隠す。同年代の子と話したことのないぼくが顔を見て話すなんて至難の業で。どうしようかと必死に頭を回転させていると『ほら、ご挨拶なさい』と押し出されてしまった。


「先程はありがとう! あなたのおかげで助かったわ!」

「ぼ、ぼくは何も……」

「ううん、あなたの魔法のおかげで助かったの。本当にありがとう」


お礼を言われるようなことなんてしていない。なぜなら自分の魔力がすぐに尽きたせいで彼女に怪我をさせてしまったのだから。しかし彼女はまるで気にしていないのか、その大きな瞳でぼくを見据えている。


「私の名前はカーラ・マルサス。あなたのお名前は?」


本名を名乗っていいものか一瞬考えたけれど、父上がお忍びで遊びに来るようなところなのだ。それは信用に値するということなのだろう。だからぼくも、外で使う偽名などではなく、本名を伝えることにした。


「…………レオン・リンフォード・ダンフリーズ、です」

「レオン! よろしくね!」


ぼくに向けられた眩しい笑顔。心臓が一気に騒ぎ立てる。


これが、カーラとぼくの、初めての出会いだった。

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