番外編:王太子殿下の憂鬱1



ぼくが開花をしたのは8歳の頃だった。この世界では一般的に10歳前後から開花が始まる。ぼくのように早く開花をする人間はほとんどいない。しかし稀に存在する彼らは、特異な力を持っていると言われていた。それがどのようなものなのか、文献を探しても見つからないので詳しいことは分かっていない。だからそれは誰かがついた嘘なのかもしれない、と子供ながらに思っていたんだ。

それなのに、ぼくが8歳で開花をしたと知った元老院の一部の人間が囁く。


『特異だ』

『きっと魔力が強すぎるのだ』

『いずれ暴走をするかもしれない』

『危険だ。王太子に気をつけなければ』


ぼくを案じた父上によって箝口令が出されたおかげで知れ渡ることはなかったが、知っている一部の人間同士で囁き合っていたのだ。


(ぼくは、特異なんだ)


だから8歳で開花したのだ。ぼくは生まれてきてはいけなかったのかもしれない。生まれてこなければ父上や母上を心配させることもなかったかもしれないのに。心臓がぎゅっと掴まれたように痛くなる。呼吸もままならなくて、全身が気怠くなっていた。

そんなぼくを心配した母上はいつも隣にいてくれた。おかげで変な話を聞くこともなかったし、暗い影を落としていたぼくの心も少し軽くなっていた。


「レオン、あなたにこれをあげましょう」

「これはスズラン、ですか?」

「似ているけれど少し違うのよ。これはスノーフレークと言って、純粋、純潔、そして皆を引き付ける魅力、という花言葉があるの」

「……ぼくとはまるで違いますね」

「そうかしら。あなたはとても純粋な子よ。大丈夫。私達と同じように、あなたのことを理解してくれる素敵なお友達が出来るわ」


その時言われた言葉を、ぼくは信じることが出来なかった。ぼくは特異で危険な子供だと囁かれているのに、そんな人間に友達など出来るはずがない、と。


「いつか大切なお友達が出来たら、私にぜひ会わせてくださいな」

「……はい」


ぼくは、小さく頷くだけで精一杯だった。

そんな様子を母上から聞いて知ったらしい父上が、ある日ぼくを呼び出してこう言った。


「レオン、今から出かけよう」


あまりにも突然だった言葉に、ぼくは瞬時に理解することが出来なかった。しかし目の前の父上はにこにこと、とても楽しそうに微笑んでいる。


「今から、ですか?」

「あぁ」

「あの、どちらに……?」

「それは着いてからのお楽しみだよ」


茶目っ気たっぷりに微笑む父上に、ぼくは言葉を飲み込んだ。いつもお一人でお出かけになる父上。その父上がぼくを心配して一緒に出掛けようと提案してくれたのだ。そのせっかくの気遣いを無下にすることも出来ず、ぼくは小さく頷いた。


「よし、それなら早速アイツに連絡をしよう」

「アイツ……?」

「私の一番の学友だよ。前に話したことがあっただろう?」

「ジェドというお方ですか?」

「そう」


すると父上は引き出しから便せんと羽ペンを取り出した。今から手紙を書いたところで間に合わないだろうに、どうするのだろうかとじっと眺めていると『これはね、ちょっとした魔法なんだよ』と教えてくれた。


「魔法……」

「この便せんとジェドが持っている便せんは繋がっていてね。文字を書くと同じものが向こうの便せんに映し出される。もちろん逆もまた然り。彼とのやり取りはほぼこれで済ませているんだ。もちろん機密事項では使わないけどね」


父上は便せんに何かを書き込んでいく。覗き込むのは失礼なので内容は読めなかったが、書き終わった父上が羽ペンを置くこと数分、ジェド殿の返信が来たと見せてくれた。


「もっと早く言えと怒られてしまったね」


ジェド殿の筆跡と思われる便箋を見せながら父上がわざとらしく肩をすくめる。ぼくはそんな子供っぽいことをする父上を見るのは初めてで、どのような態度を取ればいいのか分からなかった。父上はそんなぼくの頭を優しく撫で『では、準備をしようか』と言ったのだった。


外に出るのだからといい格好をするのかと思ったがどうやら違うらしい。父上の今の格好はまるで王都にいる国民のよう。それは僕もまた同じだった。着てみたいと密かに思っていた服に腕を通すなんて思っていなかったので、驚きと困惑の表情を浮かべていると、父上は満足そうに頷いていた。


「うん、似合っているよレオン」

「それは喜んでいいのでしょうか」

「当り前じゃないか。これからお忍びでこのような服を着る機会が増えるであろう。似合わないよりいいと思わないか?」


それはそうなのだが、なんだかいつもと違う服装にそわそわしてしまう。ズボンをぎゅっと握り締めてゆっくりと息を吐き出すぼくに、父上は何も言わず、先程と同じように頭を撫でてくれた。

母上の時とは違う感触。しかしぼくは父上に頭を撫でられるのはとても好きだった。


「シリル」


父上はおもむろに名前を口にする。次の瞬間、ここには父上とぼくしかいないと思っていたのに、“シリル” と呼ばれた男性が姿を現した。


「はい、陛下。ここに」

「ジェドの元に出かけてくる」

「かしこまりました」

「私が留守の間はよろしく頼むよ」

「仰せのままに」


恭しく頭を下げたシリルという人物は、父上からぼくへと視線を動かした。初めて見る彼に驚いたぼくは、慌てて父上の後ろに隠れる。


「王太子殿下、お初にお目にかかります。私はシリルと申します。以後お見知りおきを」


父上に対して行ったように、シリルはぼくに対しても恭しく頭を下げた。父上がそばに置いているということは、シリルはいい人なのだろう。しかしぼくにはまだ判断できずにいた。もし、あの人達と同じようにぼくを見る目が冷たかったら。ぼくの聞きたくない言葉を言われてしまったら。


「レオン、シリルは大丈夫だ」

「陛下、初対面の人間に対して軽々と心を開かないのはとても良いことです。殿下、お戻りになられましたらまたお話しいたしましょう」


シリルはぼくを安心させるために小さく微笑んだ。それに頷くのが精一杯で、無意識に父上の服を握り締めるぼくに、彼は何も言うことなく視線を父上に戻した。


「すぐに出発の手配をいたします」

「あぁ」


頭を下げて出て行ったシリルを見つめた後、父上へ向き直す。相変わらずにこにこと微笑んでいる父上に聞いてもいいものかと思案したが口を開いた。


「父上、今のお方は」

「鳥だよ」

「鳥?」

「詳しいことは馬車の中で話そう。とりあえずこちらにおいで」


父上に手を取られて、ぼくはクローゼットの前に足を運んだ。また着替えるのだろうか、と疑問を思い浮かべたのだが、それが見当違いなのだとすぐに気づくことになる。

父上は一度クローゼットを開けて中を見せる。そこには様々な洋服が並んであり、別に変った所がない。そして扉を閉めた後、何かを呟いた父上が再びクローゼットを開けると、並んであったはずの洋服は消え、代わりに階段が現れていた。ぼくの小さな頭では処理しきれずに固まっていると、父上に優しく手を引かれた。


「この秘密の抜け穴は私とマリアとシリルしか知らないんだよ」

「……母上は知っているのですね」

「もちろん。マリアの前で使ったことも何度もあるしね」


ぼくの歩幅に合わせ、ゆっくりと階段を下りていく。だんだんと暗くなっていったが、父上が魔法で火を灯せば階段が一気に明るくなった。それでもなんだか薄気味悪くて、父上と繋いだ手につい力が入ってしまう。ぼく達の足音が反響するのもなんだか不気味だった。


「あの、父上」


ぼくは怖さを紛らわせるために口を開いた、


「ん?」

「ここは父上がお忍びで通るために作られたのですか?」

「んー、少し違うな。ここは国王に“何か”があった時のための脱出路だよ」

「それなのに頻繁に使ってよろしいんですか?」

「ここを知ってるのは少ないから大丈夫」


からからと笑う父上に不安になる。父上の言う“何か”が分からないわけではないからだ。


「あー、大丈夫。今までここを使ったことのある王はいなかったから。この国は平和だからね。それに優秀な騎士団だっているんだから」

「……そうですよね」


ぼくを安心させようと明るく話してくれる父上に合わせる。それにこの国が平和だということ、優秀な騎士団がいることは事実なのだ。だから、反対勢力が台頭しつつあるという噂は聞かなかったことにしよう。そう思った。

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