番外編:クロード・モルメックは黒がお嫌い



持って生まれたこの髪を快く思ったことなどなかった。黒持ち。それが僕に対する周りの印象。これが正妻の子でなければ、きっと僕は捨てられていたんだろうなと思う。


この世界には、黒髪は少ない。そのほとんどが茶髪であったり、赤毛であったり。それ故、黒髪は奇特な目で見られ、疎まれた。自分達とは違うから。世間一般とは違うから。そして、闇の魔術に最初に手を染めたのが黒持ちだったから。余計なことをしてくれたもんだと、顔も名前も知らないその黒持ちを何度恨んだだろうか。

その黒持ちが闇の魔術に手を染めなければ。魔族と契約をしなければ。黒持ちがここまで世間から冷たい目で見られることはなかった。そして、父と母に愛されたのかもしれなかった。


「なんてバカなことを考えるんだ僕は」


そうだ。父も母も、もう諦めたじゃないか。どんなに頑張っても僕を見てくれない。僕よりも後に生まれた弟の方が可愛くて仕方がないのに。それなのに両親は僕が優秀であることを望む。いや、それが当たり前なんだと押し付ける。モルメック家は、優秀であることが求められる。代々魔法省長を歴任しているモルメック家は、それ以外を許さない。たとえ黒持ちだとしても嫡男であれば魔法省長にならなければならないのだ。だから僕は必死に勉強をし、少しでも優秀でいなければならない。あり続けなければならない。自分より弟が愛されていたとしても、黒持ちだとしても。


「僕は、優秀でなければならないんだ」


手のひらに爪が食い込み、血が滲む。どうやら無意識のうちに拳を握り締めていたらしい。その手のひらを見つめ、もう片方の手を翳した。そしてほとんど声にならないような大きさで呟き、治癒魔法を施す。緑色の淡い光が手のひらを包み込めば、あっという間に傷はきれいさっぱり消えた。

僕の消えない傷も治癒魔法で消えてくれればいいのに、と柄でもないことを考えて再び息を吐き出したのだった。











「……想像した通りつまらない、な」


王族で開かれたダンスパーティー。まさか僕にまで招待状が届くとは思わなかった。招待客をピックアップしたのは王太子殿下だという。なぜ彼が僕を招待したのか知る由もなかった。まぁ別にどうでもいいのだけれど。

着いて早々、モルメック家に恥をかかせないために簡単なものではあったが、僕一人で挨拶回りをした。父親は既に到着していてどこかで貴族とでも話しているのだろう。

一応ここにいる貴族の中でも上の方に位置するため、私の元にくる貴族は多かった。もちろんそれは体裁を保つためだろう。そうでなかったらこんな黒持ちにあいさつにくる貴族などいないのだから。現に今目の前にいる貴族も、笑ってはいるが目はそうではなく。むしろ汚いものを見るかのような目をしていた。


「……そういえばアルマ男爵。あなたは新しい事業に手を出そうとしているとか」

「え、えぇ。お、お父上から聞かれたのですか」

「はい。私の断りもなく勝手に、と申しておりましたが」

「ま、まさか! そのようなことはございませんよ」

「そうですよね。なので僕も父に話しておきました。アルマ男爵のような御方が父には内密に新事業に手を出そうなどと。だってバレたら大変ですものね。あなたが交渉しようとしている相手は父が懇意にしている相手ですし、万が一詐欺でも働いて向こうに不利益を被らせたら父の怒りは計り知れない……おや? アルマ男爵、顔色が優れないようですが」


明らかな動揺に、僕はわざとらしく声をかける。あくまで優しい体面を保ったまま、じわじわと追い詰めていけば彼は悔しそうに顔を歪めた。


「……っ、用事を思い出しましたので、これで。失礼」


ざまあみろ、と鼻を鳴らす。お前がやっていることは父の耳にも届いているんだよ。そのまま破滅しろ、と心の中で悪態をつきながら。


「あぁ、すっきりした」


先程のアルマ男爵の顔と言ったら。思わず笑ってしまいそうになるのを懸命に堪える。しかし僕の元によって来る人間はどうしてこうも嫌な奴ばかりなのだろうか。ここのホールに充満する嫌な顔ぶれにうんざりしたので、外に出て空気を吸い込もうとバルコニーへ向かった。

開け放たれた扉から入り込んできた風は優しく頬を撫でる。僕が風属性だったら、この風のように空を飛べるのだろうか、などとらしくないことを考えて自嘲した。何を考えているんだ僕は。空を飛べたところでここから逃げ出すことなんて出来やしないのに。僕はやらなきゃいけない。オルドフィールドに入学して、首席で卒業して、魔法省に入省して、それから、それから……。


「……あら?」


考え事をする僕の耳に飛び込んできたのは、小さく、しかし何故かはっきりと聞こえた声だった。ゆっくりと振り返り、声を発したであろう人物を視界に入れる。その彼女はとても驚いたような顔をしていて。彼女のような見知らぬ貴族にも僕の黒持ちが知れ渡っているんだなと実感した。


「……何か?」


存外低い声が出てしまった。普通なら体裁を保つために普通の態度で接するというのに。今日だけで溜まり込んだイライラが前面に出てしまった。しかしそれを謝ったところで彼女には関係のない事だし、そもそも説明をしなければならないかと思うと面倒だったので、僕はそのまま何事もなかったかのように眼鏡を押し上げた。


「僕の顔に何か?」

「あ。い、いいえ。なんでもございませんわ」


彼女はぎこちなく微笑んで、そして視線をきょろきょろと彷徨わせる。出ていくわけでもなく、どうしたらいいのか考えている様子だった。


「……そこに突っ立っていられるのも逆に迷惑なので座ったらいかがですか?」

「は、はい。そういたします」


僕の目の前を通り、彼女が椅子に腰かける。グラスに入ったオレンジ色がキラキラと輝いていた。なんとなく、彼女を観察してしまう。ふわふわな茶色い髪に薄い青色のドレス。色んな貴族の令嬢を見てきたのだが、彼女達と同じようでどこか違う雰囲気を醸し出していた。

あまりにもじっと見つめすぎたのか、彼女が僕に視線を向けた。しまった、と体を反転させて手すりに身体を預ける。いくら気になるからといってじっと見つめるのは失礼だったと反省をし、息を吐いた。


(それにしても、風が気持ちいいな)


ふわり、と風が吹く。こんな天気のいい日は外でお茶をしながら読書がしたくなる。まぁ僕が外に出てお茶をしているところを見られたらなんて言われるか分かったものじゃない。使用人にも、母にも、父にも。今でこそ小さい弟も、そのうち黒持ちについて嫌悪感を抱くのではないかと想像して嫌な気分になってしまう。そんな僕の耳に、それは小さな声で『私は黒髪って好きなんだけどなぁ』なんて聞こえてきた。


(……は?)


僕の聞き間違いかと、そう思った。驚きと共に振り向けば彼女は口を手で塞いでいて。その様子が、僕の聞き間違いではないということを示していたのだ。


「ち、違うのですクロード様! 今のは深い意味などなく……」

「何故僕の名を?」

「あっ」


明らか“しまった”という顔をした彼女は、視線を彷徨わせながら閉口した。聞かなくても分かるではないか。初対面の彼女が僕の名前を知っている理由など一つでしかないのに、と嘆息する。


「知らないわけない、か」

「え……?」

「僕の黒髪は有名ですからね。初対面の方が名前を知っていても不思議ではありません」


顔の知らない貴族にまで広がっている事実に顔を顰める。この黒髪のせいで僕は周りから距離を置かれ、疎まれている。もしも僕が普通の髪色であったのならば、父も母も周りの人間も。みんな普通に接してくれていたはずなのに。


「……黒は、嫌いだ」


この世で一番、嫌いな色なんだ。無意識のうちに拳を握り締め、あの時のように手のひらに爪が食い込む、痛みなど感じない。痛いのは手のひらではなくて、心の方だ。黒持ち、黒持ち。うるさい。好きでこんな髪色になったわけではない。それなのに周りは僕を黒持ち黒持ちだと騒ぎ立てる。うるさいうるさいうるさい。うるさい! ぎゅっと、唇をかみしめると同時に、温かいものが頭に乗せられた。そのせいで意識は戻され、そしていつの間にか目と鼻の先にあるその顔に気が付いた。


僕は、今、目の前の彼女に、頭を撫でられているのだ。


「…………は?」


それを理解した瞬間、声が漏れていた。間抜けな、意味などない声。こんな声を上げるなんて生きてきた10年で初めてのことだろう。


「え? あ、も、申し訳ございません!」


自分の行動に気付いた彼女が慌てて手を引っ込める。その様子をただじっと見つめ、そして考える。何故彼女は僕の頭を撫でたのか。


「その、クロード様が知り合いと重なって思わず撫でてしまったといいますか、そのつやつやな髪が触りたくなったといいますか」

「……なんだ、それは」


この黒髪に触りたいなどと言う人間は初めてで。驚きと共に不思議な感情が沸き起こってくる。周りの人間など、興味を持てなかった。当たり前だろう。自分が嫌われているのに、何故周りに興味が持てるのだ。しかし目の前の彼女には興味を持ってしまった。持ってしまったのだ。


「君、名前は?」

「名前?」

「もしや“名前”を知らないのか?」

「いいえ! そういうことではありません!」


少しからかってやりたくて意地悪なことを言ってみれば、なんとも面白い反応をしてくれる。小動物のように頬を膨らませ、体をプルプルと震わせている。思わず吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。


「カーラ・マルサスです!」

「そうか」


令嬢としての挨拶ではなく、ただ名前を口にする。それが可笑しくてたまらない。


「レディーが名乗ったらあなたも名乗るのが普通ではないのですか?」

「レディー?」

「……っ!!」


だめだ、あまりにも面白すぎる。顔を真っ赤にした彼女は持っていたグラスを飲み干して、くるりと背を向けて歩き出した。しまった、言い過ぎたか。とは思うものの、素直に謝ることが出来なくて、僕は彼女の華奢な背中に『おい』と声をかけた。


「僕はクロード・モルメックだ」

「知ってます!」

「あぁ、そうだな」


黒持ちの僕だから、カーラが知っているのも当然で。しかし不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろその逆で、今は気分がいい。


「……先程、ぽろっと言ってしまいましたけれど、私は黒髪は好きです」

「は?」

「そういう人もいるということをお忘れなく」


にっこりと、彼女は微笑む。一瞬、思考が停止してしまった。何故だろうか。自分のことなのに、よく分からない。彼女に何か言葉を発するべきかと口を開いたのとほぼ同時に、ダンスホールが沸いた。どうやら王太子殿下がそのお姿を現したようだった。カーラはそれをじっと見つめたかと思うと、何やら複雑そうな表情を浮かべている。どうかしたのか、と声をかけようとしたがやめた。


「それではクロード様、失礼いたします」

「あぁ」


曇った表情のまま、しかし彼女は無理やり笑顔を浮かべる。そんな彼女に背を向けて再び手すりに体を預けた。

乗り気ではなかったダンスパーティーだが、今は来てよかったと思う。それはきっと、カーラに出会えたからだろう。


「……いつの間にか、敬語が抜けていたな」


初対面の人間に敬語が抜けるなど今までなかったのに、と僕は空を見上げた。そのきれいな青空は、彼女のドレスと同じ色だな、なんて考えながら。

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