番外編:ラインハルトの胸の内



それはほんの気まぐれであった。開花してから社交界に出席するようになったものの、自分はダンスなんてあまり得意ではないし、何より貴族の付き合いにうんざりもしていた。

私を見れば目の色を変える貴族達。その子息や令嬢も例外ではなかった。


『ラインハルト様、うちの娘をぜひ』

『ラインハルト様、此度の貿易事業について……』

『ラインハルト様』

『ラインハルト様』


貼り付けたような笑顔を浮かべて近づいてくる貴族は己の利益しか考えていない。まだ10歳だというのに婚約だなどど、辟易しないわけがない。


(私はまだ、自由でいたい)


いつかは来るであろう婚約の話も、今はまだ耳に入れたくないのが本音で。けれどそんなわけにもいかないのがこの時代の貴族というものだ。知り合いには既に婚約者がいるのだという。なんて気の毒なんだろう、とは思うものの口にすることは出来ない、許されない。私はその知り合いに賛辞の言葉を述べるしかなかった。

幸い私には婚約の話は出ていない。だからだろう、周りに令嬢が集まってくるのは。そんなにもこの“ブランズ”という名前が欲しいのだろうか。こんなにも窮屈で、退屈な名前を。


「ラインハルト・ブランズです」

「お待ちしておりました、ラインハルト様。どうぞ中へお入りください」


使用人に促され、私はホールへと足を踏み入れた。先に来ている父は既に誰かと談笑している。面倒くさい、と思うがここで顔を出さないわけにはいかないので、私は父にゆっくりと近づいて行った。


「父上、遅くなり申し訳ございません」

「かまわん」


私をちらりと見て、父はすぐに視線を戻す。あまりにも私に興味がないその態度に嘲笑したくなったが、今はそれどころではなかった。視線を父と話している人物に向ける。ひげを蓄えたその男性は、にっこりと微笑んだ。


「これはこれはラインハルト様。お久しぶりにございます」

「お久しぶりです、バシュロ侯爵」


彼がいるということはあの子もいるということで。私は引き攣りそうになる笑みを隠したまま、気づかれないように少しだけ足を後ろに出した。


「アドリエンヌ嬢はどちらに?」


父上よ、余計な事は聞かないでいただきたい。あの子はとてもいい子だと思うのだが、何せ圧が強い。一度腕を絡めとられたら離れないほどに。


「少し外しておりますが、すぐに戻ってくるでしょう。アドリエンヌもラインハルト様にとても会いたがっておりましたので」

「そうですか」


私はあまり会いたくはないかな、と出かかった言葉を必死に飲み込む。あぶないあぶない、そんなことを口走ったらこの父親になんて言われるか。


「では、私は他の方々に挨拶をしてきますので、アドリエンヌ様がお戻りになられましたら、また」

「はい、ぜひ」


そして私は軽やかにお辞儀をしてその場から離れた。これはアドリエンヌに捕まる前にこっそりと逃げ出さねば。などと内心焦っていたからだろう。注意が前に向いておらず、私は目の前にいた令嬢とぶつかってしまった。


「きゃっ、も、申し訳ございません!」


彼女はどうやら鼻をぶつけてしまったようで、そこを抑えつつ頭を下げた。初めて見る令嬢だな、と考えながら、頭を上げるように促した。


「私よりあなたはお怪我はございませんか?」

「は、はい。大丈夫でございま、すっ!?」


私の顔を見た瞬間、彼女の眼は大きく開かれ、語尾も跳ね上がった。私がラインハルトだと気づいての反応なんだろうか。それならばそれ相当の対応をしなければならない。私は未だ目を見開いている彼女に『それは何よりです』とにっこりと微笑んでみせた。


「カーラ・マルサスでございます」


カーラと名乗った彼女はドレスの裾を軽く持ち上げ、そして腰を落とす。私も同じようにと肩に手を当てて頭を下げた。


「ラインハルト・ブランズです」


顔を上げて、少し乱れた髪を手で直す。そんな私を眺めているカーラと目が合い、再び微笑んでみる。すると彼女は慌てたように、そしてはにかんだように微笑んだ。


「あなたは今日が初めてのダンスパーティーですか?」

「えぇ。なので少し緊張しております」

「そのようにはとても見えませんよ」


というのは嘘だった。彼女が明らかにこの場に慣れていないのが目に見えてわかる。どこか落ち着かないのか、指先をこすり合わせているし、その口元は引き攣っている……って、この観察する癖を少し改めないとな。


「隠せているようならよかったです」


カーラは、他の令嬢と少し違うことも分かった。普通の令嬢なら私を前にすると頬を赤らめ、もじもじとするものなのだが、彼女はそんなことなかった。本当に“緊張が隠せている”という安堵の溜息をついていたのだ。


(なぜ、だ?)


彼女は私を“ブランズ家の”ラインハルトとして見ていないのだろうか。ただのラインハルトとして見てくれているのだろうか。


(……もし、そうなのだとしたら)


彼女は、カーラは、僕と普通に話してくれるのではないだろうか。などという小さな期待が生まれたのだ。家柄ではなく、ブランズ公爵の息子としてではなく、普通のラインハルトとして。

私だって普通の、同年代の友達が欲しかった。婚約者が出来たという彼は別に友達ではないし、他の同年代の子息も友達と呼べるものではないのだから。

意を決して、彼女との距離を縮めようとした時だった。


「ラインハルト様!」


聞き覚えのある声が耳に届いたのは。


「こちらにいらっしゃったのですね!」

「これはアドリエンヌ様。お久しぶりです」


彼女はカーラを押しのけて、ぐいっと私との距離を縮めた。目と鼻の先にあるその顔は可愛らしいのに、彼女の行動力は可愛いものではない。隙あらば腕を絡めて来ようとするので、私はそれを回避する術を身に着けていた。げんに今も飛び掛かってきそうな彼女に神経を尖らせる。いつ来ても避けられるように。

ちらりとカーラを盗み見ると、彼女は『げっ』と顔を歪ませていた。知り合いか? と思ったのだが、カーラに視線を向けたアドリエンヌが『あなた、どちら様ですの?』などと尋ねていた。


「失礼いたしました。私はカーラ・マルサスと申します」

「あぁ、マルサス家の」


どうやら知り合いではないらしい。それならばカーラの先程の表情は何だったのだろうか。頭のてっぺんから足の先までまるで舐めるように見るアドリエンヌ越しにカーラを見る。彼女はその口元を引き攣らせていた。


「私はアドリエンヌ・バシュロですわ。あのバシュロ家の娘ですの」


家柄でマウントを取るアドリエンヌにため息が漏れそうになった。家柄の優劣がそんなに偉いのだろうか。私はどうせならこんな地位などいらないというのに。


「それで?」

「え?」

「あなたのような方がラインハルト様にどのようなご用件が?」

「いえ、私は別に……」

「用事もないのにお話しされていたと?」


そろそろアドリエンヌの過ぎた口を咎めようと口を開いたのだが、それより早くカーラは一歩身を引いた。


「で、ではそろそろ失礼いたしますわ。ラインハルト様、アドリエンヌ様、ごきげんよう」

「あ、ちょっと!」


アドリエンヌの制止もむなしく、カーラは足早にこの場を去っていった。アドリエンヌは少し不満そうに口を尖らせている。


「……アドリエンヌ様」

「はい、なんでしょうラインハルト様」

「あまり彼女に意地悪をしないでください」

「い、意地悪など私は……」

「私がカーラ様にぶつかってしまったので話していただけです。それなのに追い返すように捲し立てるなど」

「……っ、申し訳、ありませんわ」


これで彼女も少しは反省してくれることだろう。私はカーラが立ち去った方へ視線を向け、先程の笑顔を思い出していた。


「……カーラ・マルサス」


薄い青色のドレスが似合う、可愛らしい女の子だった――……。

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