番外編:ラルフ・バルトスという少年



――――お前は、この国を変えたいと思うだろ?


目の前の男が、俺の肩を掴んで離さない。何度も何度も繰り返されるこの “儀式” に辟易していたが、この場から逃げ出そうと考えることもなかったので、ただひたすらに目の前のその瞳をただ眺めていた。

俺の肩を掴む男の手に力が込められる。痛い。痛いが、それが繋がりでもあるので手を振り払うことが出来ない俺も相当だな、なんて頭の隅でぼんやりと考えた。しかしいつまでもこのままでいるわけにはいかない。俺が “あれ” を口にすればこの儀式は終わるんだから。


『はい、父さん』


俺にとっては、どうでもいいけれど。











その日も一仕事が終わり、王都を歩いていた。顔を見られないようにフードを目深にかぶり、無意識に気配を消して歩く。行先は特になかった。ただ、仕事が終わった後特有の気怠さを紛らわせるために、ひたすらに歩き続ける。街の人間は、俺を視界にいれない。こんな姿の人間と関わりたくないのが普通で、当たり前なのだ。

俺も他人と関わるのは面倒なのでそれでいい。しかし将来オルドフィールドに潜り込むためにはある程度のコミュニケーションの能力を培わなければならないとは思うのだが、面倒くさい。これに尽きる。


「……人と関わったところで」


俺がなすべきことはただ一つ。この国の“浄化”だ。生まれたころより叩き込まれたこの教えに逆らうことは許されない。なぜなら俺が、そのレジスタンスのリーダーである男の子供だからだ。

この国は乱れている。男の目にはそう映っているらしい。俺にはよくわからない。どこが乱れているのか、どれが不浄なのか。ただ、そう言われて育てられたので、そういうものとして認識していた。


――――お前の目的は、分かっているな。


あぁ、分かっている。


“アイツ” が覚醒しないために見張っていること。そして、もし覚醒した時は、始末すること。


それが、俺のやるべきことだ。


「きゃっ!」


路地に入って更に角を曲がった時、短く発せられた悲鳴が後ろの方で聞こえた。声の感じからすると子供。それも女児だろう。俺には関係ない、無視を決め込もうとしたのになぜかやけに引っかかった。むしゃくしゃしているのかなんなのか自分でも分からない。しかしこの胸の内を何かで憂さ晴らししたいと感じたのは確かだった。


「おっと、騒ぐなよ」

「んー!!」

「だから騒ぐなって」


下衆な声がだんだん大きくなる。誘拐をするならもう少し忍んでやればいいのに、なんて考えが過って自嘲した。

角を曲がれば体格のいい男が、その身なりから想像するに貴族の子供を抱き上げていた。大声を出されないように、しっかりとその口を押さえつけながら。

俺はすぐさま地面を蹴って、その男に向かって飛びあがった。一瞬目があった男はその目を見開く。しかし次の瞬間には、俺の右膝が男の顔面にめり込んでいた。『んぐっ!?』と潰れた声を上げ、子供を抱き上げていた腕が外れる。そのままだと子供も後ろに倒れてしまうのでその腕を掴み、そして男だけが後ろへと倒れこんだ。


「な、な……」


子供はまだ驚いているのか、言葉も上手く発せていない。青白い顔をして小刻みに震えているその腕を離そうとしたが、倒れたはずの男が『う、ぐぅ……』と体を起こした。

そのまま男を始末してもいいのだが、その姿を見せるわけにもいかず、かといって子供を置いて逃げるなどという真似は出来そうにもなかった。


「……走るぞ」

「へ?」


間抜けな声が返ってくる。しかし悠長に子供の反応を待っている余裕はなかったので。俺はその子を引っ張り上げて走り出した。


「おいこらクソガキ共!!」

「ひっ!」


振り返って男の姿を確認すれば、その目は血走り、怒りを前面に押し出していた。捕まえたらただでは済まさない、まるでそう言っているようだった。


(なぜ俺はこんな面倒なことをしたんだ)


貴族の子供を助けるなんて真似。これをアイツに知られたら面倒だというのに。


「遅い」

「し、しかたないでしょ! いつもと違って走りにくいの!」


などと喚く子供に嘆息する。こいつの足の速さに合わせていたら追い付かれて更に面倒なことになるのは目に見えていたからだ。

仕方がない、と再度嘆息する。逃げ切るためにはこうするしかないと言い聞かせながら、子供を肩に担いだ。


「えぇっ!?」

「いちいち喚くな」

「そりゃあこんなことをされたら誰だって喚く……」

「あまり喋っていると舌を噛むぞ」

「……っ!」


ようやく静かになった子供に、俺は走るスピードを速めた。この辺りは、というか王都の脇道、路地裏のほとんどの道は頭に入っている。とりあえずコイツをどこまで連れて行こうかと考えながら角を何回か曲がっていく。後ろから追いかけていた男の姿はもう見えない。どうやら俺たちを見失ったようだ。これならもう少し先で子供を解放しても問題はなさそうだ。


「……ここまでくれば平気だろう」

「えっと、ありがとうございました」


子供を地面に降ろし、そしてその子供を観察する。ここでは見ない顔だ。ということは王都ではなく外から来た貴族なのだろう。遊びに来たこの地で誘拐されそうになるなんて、コイツもツイていないんだな。軽く腕を回しつつ、辺りに注意を配る。今いる辺りは治安が悪いわけでもない。それならば誰かがコイツを連れて行ってくれるだろう。俺はその隙にでも身を隠して……。


「なんだ」


視線を感じて声を上げれば、子供は慌てたように顔と手を振った。


「あ、いえ、随分と力持ちなんだなぁって」

「大人を持つ時もあるからな、別に造作もない」

「大人を持つ?」


失言だったかと口を噤む。何か話題をと思ったが特に見当たらないので『あまり見ない顔だな』などとさきほど考えていたことを思わず口走った。


「今日はお買い物をしに王都に来ただけですから」

「ふーん」

「あなたはどうしてあそこに?」

「……お前には関係ないだろう」

「まぁそうですわね」


興味があるのかと思えばそうではなく、子供はふいっと視線を逸らした。それにしても年の近い子供とこんなに話したのは初めてかもしれない。そもそも人と会話することはほとんどないので、どういう反応をしたらいいのか困ってしまう。……いや、もう二度と会うことはないのだから、そんなことを考える必要はないのだ。


「あのぉ、つかぬことをお聞きしますが」

「……なんだ」

「あなたの、その、お名前は……?」


まさか自分の名前を聞かれるとは思っていなかったので、一瞬動揺をしてしまった。人に名前を聞かれたことなどない。他人が俺に興味を持つことはなかったのに、なぜ初対面のこの子供は名前を聞いてきた。興味がなかったのではないのか? よく分からない。しかし自分の行動にも疑問を持つことになる。気が付けば俺は口を開いていたのだから。


「…………ラルフ」

「へ?」

「俺の名はラルフ・バルトスだ」


ラルフ・バルトス。俺の名を口にしたのは一体何年ぶりだろうか。こんな、呪われた名前。アイツと同じものが自分の名前の一部だと思うと嫌悪感で溢れるというのに、なぜか今はそんな感覚などない。だからだろうか。この。目の前の子供に興味を持ったのは。


「お前は、なんという名だ」

「あ、申し遅れました。私、カーラ・マルサスと申します」


服の裾を持ちあげて、腰を落とす。まさかそのように挨拶をされるとは思っていなかったので、俺は思わず目を見開いてしまった。そんな俺に子供、いや、カーラは首を傾げている。


「俺にそんな挨拶をするやつは初めてだ」

「あら、そうなんですか?」

「こんな格好をしたやつに丁寧な挨拶をするやつがいるわけないだろう」

「目の前におりますよ」

「……お前は変なんだな」


口を出た言葉に、カーラは一気に不貞腐れる。何を考えているのかまるわかりのその表情に『ふっ』と息が漏れた。


「まぁ!」

「な、なんだ」

「ラルフ、あなた笑った方が絶対いいですよ」

「……何を言っている」

「あなたの笑った顔、とても素敵なんですもの」


ふわりとカーラが微笑んだ。その瞬間、得体の知れぬ感情が沸き起こってくる。なんだ、これは。胃の辺りが何かに掴まれているような苦しい感覚。その辺りの服を掴み、少し乱れた息を整えようとする俺の耳に、誰かの足音が聞こえてきた。先程の男だろうか、と警戒をする。もしそうだったならば、カーラには悪いが始末をするしかないと、そう思ったのに現れた人物は想像もしていなかった人物で。目を見張ってしまった。


「カーラ!」

「え、レオン?」


レオンと呼ばれたその少年は見覚えのある顔をしていた。この国の人間なら誰でも分かるその顔は、俺の目的の人物でもあるレオン・リンフォード・ダンフリーズ。カーラも、王太子殿下サマの名前を口にするなんて、随分と不用心だ。


「良かった!」

「レオン、あの……」

「アルドヘルム殿に君がいなくなったと聞いて探していたんだ」


彼らの会話を聞くに、どうやら顔見知りであることが窺い知れた。王太子殿下サマと一般貴族のカーラがどうしてそんなつながりがあるのか分からなかったが、仲がいいというのはこちらにも伝わってくる。なんだ、これ。先程とは違う胃の痛みに顔を顰める。よく分からない感情に支配されたくなくて、そして王太子殿下サマに顔を見られるわけにもいかないのでフードを深く被り直す。そもそもカーラに顔を見られたことも失態だというのに、何をしているんだ俺は。


「あの! 改めてありがとうございました! このお礼はいずれ必ず……!」

「ちょ、カーラ」

「それでは、ごきげんよう!」


王太子殿下サマの背中をぐいぐいと押して、カーラ達は通りの向こうへと消えていった。その姿を見つめながら拳を握り締める。レオン・リンフォード・ダンフリーズ、間近で見たのはもちろん初めてだが、こんなにも自分とは違う人間なのだと思い知らされた。アイツが、俺の……。


「……っ!?」


ばっと屋根の上を見上げる。何かに見られていたような感じがしたのだが、そこには誰もいない。どうやら気のせいだったようだ。


「カーラ・マルサス、か」


もう会うことはない彼女の名前を胸に刻み、俺はこの場から姿を消したのだった。

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