(5)



どうして私はこうなっているのだろうか、とふよふよ漂いながら考える。近くでアゼルが泣いていて、庭の向こうから『カーラ!!』などと大声を上げて駆け寄ってくるお父様の声が聞こえていた。あぁ、怒られてしまうわね。などと冷静に考えると同時に目の前の男の子へ視線を向けた。












「カーラ、少しいいかな?」


ある日の昼下がり。相変わらず魔導書を熟読する私の部屋へお父様がやってきた。


「どうしました?」

「これから大切なお客様がお見えになる。くれぐれも粗相のないように」


まるで子供に言い聞かすような声音で……いや、私は子供なんだけれど、たまに自分の今の年齢を忘れてしまうからややこしくなる。

そんなことを考えながら変な顔をしていたらしい私をどうやらお父様は誤解したようで『いいね?』なんて念押ししてきた。


「も、もちろん。ちゃんとします」

「挨拶は」

「出来ます!」


椅子から飛び降りてお父様の正面に立ち、ふんわりとしたドレスの裾を両手で持ち上げて腰を落とす。


「 “カーラ・マルサスでございます” 」

「よし」


満足そうに頷いたお父様が私の頭を撫でてくれた。挨拶は基本中の基本。令嬢であればこのぐらい当然だ。しかし褒められるのは悪い気はしない……というか、嬉しい。ものすごく嬉しい。


「お客様は何時頃いらっしゃるのですか?」

「あいつはいつも適当だからな。まぁそのうち来るだろう」


大切なお客様と言う割にはくだけた言い方をするお父様に、これからお見えになる方が “気心の知れた” 大切なお客様なのだと気づいた。


「ではそれまでお外で遊んでいても?」

「あぁ」


お父様のお返事に、ぱあっと表情が明るくなる。久々にお外でアゼルと遊ぶことが出来るのだからテンションが上がってしまうのも仕方がない。


「ではお父様、あの、アゼルとお外で遊んで来ます!」

「怪我をしないように」

「はいっ!」


パタパタと小さい手足を動かして、私は自分の部屋を飛び出た。そして隣にあるアゼルのお部屋に飛び込みたいのを我慢して、少し大きめにノックをする。


「アゼル! お外で遊びましょ!」

「おそと!」


ドアを開けてアゼルに声を掛ければ、彼もまた表情を明るくさせる。我が弟ながらとっても可愛らしい笑顔で、私は自然と笑みがこぼれた。

アゼルは散らばった絵本を軽く片付け、そして私の手を掴んできたので、私も応えるように優しく握り返す。


「何をして遊びましょうか」

「うんとね、ねえさまとかくれんぼがしたい!」

「ではかくれんぼをしましょ」

「うん!」


アゼルの足に合わせて一緒に歩き出す。繋がれた手をぶんぶんと振り回して廊下を歩く私達に、執事長のスチュアートが『お怪我にはお気をつけくださいね』と優しく話しかけてくれたので、私達は『うん!』と返事をしながら手を振った。

外で遊ぶというだけなのにこんなにもわくわくするものだろうか、と精神年齢大人が考えてみる。でも楽しいものは仕方がない。そう自分に言い聞かせ、私はアゼルと共に中庭に飛び出したのだった。











「はー、いっぱい遊んだわ」


芝生の上にごろんと仰向けになる。今日は快晴。青々とした空が視界いっぱいに広がっていた。


「ねぇ、ねえさま」

「んー?」


少し疲れた私は目を瞑る。このままここでお昼寝をしたいのだけれど、そんなのがお父様やお母様、それにスチュアートに見つかったら怒られてしまうので諦めた。


「ねこのこえがする」

「猫?」


アゼルの声に体を起こし、辺りを見渡してみるがそんな声はおろか姿も見えなかった。


「私には聞こえないわ」

「でもぼくにはきこえるよ」

「んー?」


アゼルが嘘をつくとは思えないので、神経を研ぎ澄まして猫の声を探した。風に揺れてさわさわと木々が音を立てている中に、微かに『にゃー』という声が聞こえてくるような気がしないでもない。


「小さく聞こえる、かな?」

「どこだろう」

「少し探してみましょうか」


立ち上がってドレスの裾を払い、アゼルと一緒に猫を探すことにした。聞こえてくる方角を目指しつつ、草むらを探したり木の裏側を探したり。しばらくそうしていると、やっと猫の存在を目視できたのである。


「……あそこね」

「にゃー」


か細い声で鳴く猫(というより仔猫という表現の方がぴったりだろう)は、大きな木の枝に座り込んでいた。震えている様子を見ると、何かの拍子でそこに上がってしまい、下りられなくなったのだろう。


「猫さん、飛び降りてごらん」


なんて両手を広げてみるが全く意味がない。アゼルも心配そうにその仔猫を見上げていた。


(あのままだと、いつ落ちてしまうか分からないわね)


見事キャッチ出来ればいいのだが、万が一ということもある。誰か大人を呼んでくるべだろうけど、あのぐらいの木なら平気そうだ。私はパンパンと木の幹を叩き、そして自分に気合を入れる。


(大丈夫、よく木登りをして怒られているぐらいだもの。仔猫を捕まえて戻ってくるぐらい出来るわ)


「よし!」

「ねえさま?」

「アゼル、私が木に登って猫さんを助けてくるわ」

「あぶないよ!」

「大丈夫。あなたは危ないからここで待ってるのよ」


弟に笑って言い聞かせ、私は木の幹に手をかけた。出っ張りや窪みに足を置き、慎重に登っていく。このぐらいならいつもと同じなので難なく仔猫が座っている枝まで到達した。さて、問題はこの後だ。まずは仔猫を怯えさせないように気をつけながらそっと体を持ち上げて枝に腰を下ろした。


「猫さん、こんにちは」


指を鼻先へと近づかせて自分のにおいを嗅がせる。仔猫はすんすんと鼻を鳴らし、そして鼻をこすりつけてきた。

この子は人間慣れしてるのかな、と更に手を伸ばしてみるが、仔猫は嫌がる素振りを見せなかったので両手を伸ばして抱き上げてみた。


「にゃー」

「よしよし」


優しく撫で、仔猫が落ち着いたところで抱き上げる。仔猫は暴れる様子もなく、すんなりと私の腕の中に落ち着いたのだった。


「じゃあ降りますか」


登る時と同じように慎重に降りようと枝に手をついた時だった。バキッと嫌な音と共に体がゆっくりと傾いていく。


「えっ」

「ねえさま!」


それはまるでスローモーションのようで。遠くなる木の葉っぱを見ながら(なにこれ、二次元あるあるじゃん)なんて呑気なことを考える。そして襲いかかるであろう痛みに耐えるため、私は強く目を瞑った。しかしいつまで経ってもその痛みは襲いかからず、そしてなんだか不思議な浮遊感を感じていた。


「……あれ?」


淡い緑色の光が私を包み込み、地面の少し上でふよふよと浮いている。なんだこれは。まさか無意識の内に魔力が開花したのだろうか。と思っていると、アゼルの傍に見知らぬ男の子が立っているのが見えた。誰だろう、と声を掛けようとした所で大きな声が辺りに響いた。


「カーラ!!」


ばたばたと駆けてくる足音が聞こえてくる。あぁ、怒られてしまうわね。と冷静に考えながら、私は見知らぬ男の子へ視線を向けた。


「あの、ありがとう」

「……っ」

「わわっ!」


その男の子は突然話し掛けられて驚いたのか、かけられていた浮遊の魔法が解けてしまい、私はそのまま地面にお尻を打ち付けた。

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