(3)



「あら?」


カチャリ、ゆっくりと開けられたドアの向こうから中をうかがう少年と目が合った。


「……ねえさま?」


細々と紡がれる言葉に、私は笑みを浮かべてみせた。


「アゼル」

「ねえさま、だいじょうぶ?」

「えぇ、もう大丈夫よ」


流行病で生死の淵から復活して早2日。今はもう普通のご飯を食べられるようになったし、こうして体を起こして本を読むことさえ出来ている。

しかし心配性なお父様の言いつけで、私はまだ部屋から出られないでいた。


「あのね、ぼく、ねえさまがとてもしんぱいでね、かあさまにおはなししたら、おにわのおはなをあげなさいって。だからね、これつんできたの」


とたたたっとベッドの脇までやってきた弟が、私に白いお花を差し出した。これは何のお花だったか。えーっと、確か……そうだ、スノーフレーク!


「ありがとう、アゼル」

「えへへ」


小さな頭を撫でてやれば、彼は恥ずかしそうに身をよじらせつつ微笑んだ。我が弟ながらめちゃくちゃ可愛い。前世では兄弟も姉妹もいなかった私は、前世の記憶を思い出してからアゼルが可愛くて仕方がなかった。もちろんその前からも可愛いと思ってはいたのだが、それ以上に可愛い。とにかくめちゃくちゃ可愛いのだ。


「ねえさま、なにをよんでるの?」

「魔法の本よ」

「まほう?」

「そう。どんな魔法をどのように引き出すか。その基本的なことが書いてあるの」


とは言っても子供向けの本なのでそこまで詳しくは書かれていない。ひとまず基本を覚えましょうね、というような『魔法の入門書』である。


「アゼルもそのうち読むことになるわ」

「まほうかぁ」

「大きくなったらどんな魔法を使いたい?」

「ぼくね、おそらをとびたい! それで、ねえさまとおそらのたびにでるの!」


え、なんなのこの子。可愛すぎるんですけど。

目をキラキラさせて嬉しそうに話すアゼルが可愛すぎてまた寝込んでしまいそうになる。


「アゼル、ここにいたのね」


胸を押さえ前屈みになっている私の耳に届いたのはお母様の声だった。


「まだカーラは寝ていなくてはいけないのだから邪魔しちゃダメよ」

「はーい」

「カーラ、具合はどう?」

「大丈夫です」


と言ってみせるが、お母様は私の額にそっと手を置いた。


「熱はもうないようね」

「……はい」


お母様の温かい手が額を離れる。それが無性に寂しくて、恋しくなった。前世の私は社会人になって数年、忙しさのあまり実家に帰ることもなかった。家と職場の往復。たまの休日は乙女ゲームに費やしていたので、今考えるととても親不孝な娘だった。しかも親より先に死んでしまったのだ。


(もっと実家に帰っていればよかった)


ご飯の最中に小言を言ってくるお母さんも、やたらと私生活を気にするお父さんも。私はもう、会えない。

そう考えたら涙が溢れてしまって。ぽろぽろと大粒の涙を流す私を見て、お母様は目を見開いた。


「カーラ、どうしたの?」

「……っ」


大丈夫だと、そう伝えたいのに、言葉が喉に張り付いて上手く出てこない。こんなに泣いているのは、今の私が子供だからだろうか。大人になってからは泣いたことなんてほぼなかったのに。それなのに今の私は涙が止まらない。


「……カーラ」


優しい声音と共に、お母様の体温が私を包み込む。そしてその温かい手が、背中を撫で、頭をぽんぽんと叩いてくれる。


「よしよし」

「おか、さまぁっ」


前世の私は親不孝者だった。だから今世では、こんなにも優しいお母様を悲しませたくない。お父様も、アゼルも。絶対に、悲しませない。


「ねえさま、なかないで」

「ア、ゼル、ごめんね」

「ねえさまぁ」


私が泣いているせいで弟までもが泣き出してしまった。そんな私達を、お母様は『仕方のない子供達ね』と抱き締めてくれたのだった。

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