あきらめたい。

反復横跳び

「うーん、髭かな。」

救命ドラマの、それも特別シリアスな手術シーンに、何とも場違いな横槍が入る。そちらを見なくてもわかるのは、彼女がテレビを見ていないということだ。

「何が」

短く問いかけると、静かに顔をこちらに向けて「うーん、」ともう一度首を捻った。緊迫した状況から切り離された頭の隅で、漫画の話だろうな、となんとなく察して、

「あー、まぁわからんでもないけどさ」

と曖昧に返す。血飛沫が上がり、ようやく画面から目を離した。彼女の細い指が本を閉じて、空いていた本棚の隙間にぴったり収める。

「嫌いじゃないけど、キャラがしっくりこないんだよなあ」

時刻は深夜一時過ぎ。明日までの課題が画面に表示されたまま、文字数を示すカウンターはしばらく動いていない。

「いや、もう今日か。」

何が、とは言わなかった。現実逃避している場合ではない。そのことは、彼女もわかっているようだった。

華奢な肩をふらふらと寄って来て、目の前に座り込むのをタッチの差で避けると、お互い自分のコンピューターを目の前に、無表情な光を浴びせかけられていた。

「もうやめていいかな、九百字ジャスト。」

「…課題、千二百字だよ?せめてあと二百五十字。」

正直もう書くべきことがない。書きたいこともない。こんなつまらない文章になるのも、道理だ。

「そもそも課題が面白くないのに、面白く書こうとするから大変なんだよ。」

まじめだなぁ、と笑うから、それ以上何も言えなくなって、キーボードを闇雲に叩いた。

 彼女のカウンターは既に四桁にのっていて、画面は白く靄がかかっている。フリーズしたラップトップを放り出して、彼女は二巻を丁寧にめくる。好みじゃなくても、続きは読むんだな。その細い指を目で追って、静かな時間が流れた。

「何?」

視線に気付いた彼女が不意に顔を上げたから、何もせずに見ているだけの自分が急に恥ずかしくなって、慌てて視線を画面に戻す。カーソルが、点滅する。

「フリーズ、直ってるよ。」

平静が、再びキーボードを鳴らした。

 文字数カウンターがやっと課題の終了を告げる頃、小さな彼女の体は大きく寝床を占拠して、既に寝息を立てていた。いつの間にか時間は大分経過していて、深まる夜に、もう朝は来ないような気がした。

一人分の間を空けて、その隣の床に寝そべると、向こうを向いた彼女の髪が、肩からサラサラ流れ落ちた。下に溜まった柔らかな髪に、触れようとして、手を引いた。

眠くは、なかった。

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あきらめたい。 反復横跳び @hyt_rsj

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